第16話

「さて、ヤツは放っておいて料理を作ろうじゃないか」

「あ、はい……」


 頭つきの魚を3匹焼き網に並べ、切り身に塩を振って水気を吸っておいたヌシのヤマメは、タマネギとニンニクをオリーブ油でいためていた長いダッチオーブンに入れた。


 


 全体的にやや少なめに置かれた炭は、左端に行くほど崩されていて、魚は弱火になっているその方に置かれ、ダッチオーブンは強火側へ置いた。


 余った数尾は、トライポッドでたき火の上に吊していぶし始めてから、由実は小さいポリタンクを手にトタンの屋根だけがある水くみ場へと向かった。


 勢いよく流れ出す湧き水は、あっという間に3リットルほど入るタンクを満たした。


 蓋を閉めた由実が、水がかけ流されている先の用水路を見やると、


「んぐぐ……、微妙に長さがっ」


 深いタイプの底が平たいU字溝だったため、発電機の上を溝の左右に縦にまたがって本体を手に持ち、逆の手で擁壁ようへきつかんで川に落ちない様にする雅の姿があった。


「なんだね、その無様な自由の女神みたいなのは。だから長さが足りんと――」

「うわっ! あちっ! あっ……」

「あーあ……」


 思いのほか側が熱くなったため、雅はうっかり本体を水没させてしまった。


「んー、もっと長いのにしなきゃね」

「分かって良かったじゃないか。火傷はないかね?」

「あはは。そこは大丈夫だけど、右足がって動けないんだ。助けてセンセイ氏」

「ええい、世話の焼ける……」


 とりあえず雅を引っ張り上げた由実は、上流の方から擁壁伝いに下って、本体を落としたせいで水車がはずれた発電機と本体を回収し、上で地面に転がっていた雅に渡した。


「いやあ、助かったよ」

「礼には及ばん。それよりハカセ殿はたき火の番をしておいてくれたまえ」

「はいはい」


 まだ足が痙っている雅に肩を貸して設営まで連れて行き、キャンプチェアに座らせた由実は、やれやれ、と苦笑してから手を洗いに行く。


 帰ってきて、作業台上のボックス入りキッチンペーパーで手を拭くと、炭火グリルの上の魚を裏返し焼き加減を確認する。


「さて美名美くん。私としてはこれが最大の目的、と言っても良い事を始めるのだが」


 何か手伝えることがないか、とやって来た美名美に意気揚々と由実は言う。


「ご飯を炊くんですね」

「正解」


 心底楽しそうにニヤッとした由実は、小型炊飯器の釜を引っ張り出して作業台の上に置いた。


 炊飯器のプラグは、作業台の向こうに置かれて駆動音を立てている、ガスボンベ式発電機のコンセントに刺さっていた。


「あれ、生米なんですか」

「うむ。やはり飯は水が命であるからな。水道水を吸わせては家で食すそれと大して変わらないのだよ。名水で炊くならば名水を吸わせねば意味が無いのだよ」

「なるほど」


 作業台の奥に置かれていたバケツを手前に引っ張ってきた由実は、腕まくりをすると釜に水を注ぎ、手をややすぼめた状態でかき回すとすぐに濁った水を捨てた。


「米を研ぐ際はだね美名美くん。最初のとぎ汁はさっさと捨て無ければならんのだ」

「汚れた水を吸うからですね」

「うむ。であるから躊躇ちゅうちょ無くサッと捨てるのだ」


 米がこぼれないように手で押えて水を捨てると、素早くグリルへ横移動してトングで魚の向きを裏返し、ダッチオーブンの切り身を裏返して戻ってきた。


「センセイ氏、お湯沸かしておこうか?」

「頼んだ」

「頼まれた」


 2回目の水をなみなみ注いで、先程と同じ様にシャバシャバ研いでいると、こびり付いたススで黒くなっているケトルを持ってのそっと雅がやってきた。


 漏斗ろうとでタンクの水をそれに入れ始めた雅は、


「わあ」

こぼさないでくれたまえよ……」

 

 タンクを傾けすぎたせいで水が勢い余って漏斗から飛び出し、作業台の上を多少濡らした。


「あはは。ごめんごめん」


 布巾でそれを拭った雅は、由実の顔を横目でしっかり確認し、ゆっくりと微笑んでたき火の方へ戻っていった。


「まったく……」


 しょうが無いヤツだ、といった様子で1つ息を吐いた由実は、2回目の水を捨て3回目に入る。


「美名美くん。米を研ぐときによく押しつける方法が用いられるが、アレをやってしまうと米が割れて粒が立たなくなってしまうのだよ」

「えっ、私そうやってました……」

「まあ研ぐ、という言葉にはこすり合わせるイメージがつきまとうものだ。仕方が無い」

「今度から気を付けてみます。ところで、研ぐのって何回ぐらいやればいいんですか?」

「私個人の意見ではあるが、3回だ。あのとぎ汁の濁りは旨味が含まれていてな、うっすら白く見える程度残すと良いぞ」

「ありがとうございます」


 3回目は先程の2回よりも少し時間をかけて研いだ由実は、は喋りながらもしっかりと水を切って、滴らなくなるまで釜を傾け続けた。


「ここで水量をキッチリ計る所なのだが、幸い電気炊飯器にはメモリが付いている」

「ああ。だから飯ごうじゃなくてわざわざ」

「そういうことだ」

「省ける手間は省く、でしたっけ」

「然り」


 計量カップに一旦水を注いでから釜に2合分ちょうど注ぎ入れ、由実は炊飯器にセットして蓋を閉めた。


「……あれ。まだ炊かないんですか?」


 由実は炊飯ボタンを押さないまま、焼いている魚に温度計を刺し、火が通っている事を確認して回収して紙皿に並べた。


「うむ。30分程水を吸わせる必要があるのだよ。本当はもう少し時間をかけたいが、日帰りをしなければならないのでね」

「なるほど」


 しっかり焼けた魚に軽くひとつまみ塩を振ると、


「ハカセと美名美くんは先に食してくれたまえ」


 竹串を頭から通した後、1皿ずつ手に取って美名美に渡し、すぐさまダッチオーブンの中の切り身を裏返して身の方を下にした。


 すでに切り分けた状態で持ってきていた白菜やトマト、砂抜きをしたアサリをジッパー袋からダッチオーブンに入れた。

 そこへ小瓶に入れていた白ワインを注いでアルコールを飛ばし、カップ1杯水を注いでから蓋を閉める。


「焼き加減はどうかね」

「最高だね」

「美味しいです」

「うむ。それは良かった」


 由実は自分のものに念入りに息を吹きかけつつ、たき火の脇で雑談していた2人に訊き、彼女はその返事にご満悦の微笑みを見せる。


「ところでなんの料理作ってるんだいセンセイ氏。水炊き?」

「だったら私は土鍋を持ってくるぞハカセ殿」

「あ、そうか。じゃあなんだろ」

「せっかくだ、暇つぶしにクイズにしよう。当てた者には魚を2切れやろうではないか」

「よし、乗ったー」

「じゃあせっかくなんで私も」


 発電機のエンジンをかけて、炊飯器のスイッチを押した由実はそう提案し、タイマーをセットした美名美と雅はそれに乗った。


「酒蒸し?」

「違うな」

「パスタ?」

「主食は飯だぞ」

「シチューとか?」

「乳製品は持ってきていないがね」

「スープ?」

「汁気はあるがそれではないな」

「うーん、なんだろ」


 4連発で言った雅はそこで次が出てこなくなって、焼き魚を食べつつ考え込み始めた。


「ナポリ料理の1つだよ美名美くん」

「ってことはイタリア、ですか」

「うむ」


 炭を動かしてダッチオーブンの下を弱火にし、今だ何も回答していない美名美にヒントを出した。


「ブイヤベース!」

「それはフランス料理だハカセ殿」

「ミネストローネ!」

「魚料理ですらないぞ」

「むぅ。なかなか難しいね」

「あっ。アクアパッツァですか?」


 ずっと沈黙していた美名美は、ふと思い当たる節があってそう回答した。


「正解だよ美名美くん。良く分かったね?」

「あ、はい。この前部室でレシピ本読まれてたので、それかなと」

「よく見ていたね」

「だったらボクに勝ち目無いじゃないかー」

「知らんよ。美名美くんがめざといだけの事だ」


 半笑いで楽しそうに抗議して、ちぇー、と雅はねる真似まねをする。


「まあ、実は最初から全員2切れ分用意してあるのだがね」

「なんだ。クイズした意味自体無いとはたまげたなぁ」

「最初に暇つぶしである、と言っただろう?」


 退屈でなかったのだから良いでは無いか、と由実がニヤリと笑った所で10分経ってタイマーが鳴った。


――――――――――――

参考文献


農林水産省『aff』2020年11月号「今日からできる!お米のおいしい食べ方」

(https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2011/spe1_04.html)

NHKエデュケーショナル『みんなのきょうの料理』「スペシャルレシピ アクアパッツァ」

(https://www.kyounoryouri.jp/recipe/11798_%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1.html)

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