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第13話

 すっかり秋めいた頃、学校からそう遠くない位置に存在する、小さめの渓谷にある釣り堀に由実ゆみ美名美みなみの2人はやって来ていた。


 天気は快晴だが地形のせいもあってそこまで暖かくは感じず、晩秋も晩秋という事もあり、人出はそこまで多くはなく閑散としていた。


「さて、早速釣りに行こうじゃないか美名美くん」


 釣り堀と併設のデイキャンプサイトで設営を終えた由実は、満足そうにうなずいてから美名美にそう告げる。


「別に釣り堀のお金なら払いましたけど……」

「良いのだよ。美名美くんに釣りの醍醐味だいごみのもう一つを味わって貰いたい、というのは私の勝手であるからな」

「でもなんか、釣れないのも醍醐味って言ってませんでした?」

「とはいえ、面白いものではなかっただろう?」

「まあ、はい」

「素直でよろしい」


 とはいえ、釣れなかった事は美名美にとって、前回はあまり良い思い出ではなかった。


「ところでなんでまたあんな大荷物を?」


 見た目はシンプルだが、豊富なアイテムによる設営を見ながら、美名美は由実に単純な疑問を言う。


 由実が乗ってきた原付きは、前回のキャンプ同様リアカーを引いていて、自立式タープやキャンプチェア・テーブル、き火台に炭火グリル、料理に使う練炭の箱、米がすでにセットしてある小型の炊飯器、電源用の発電機とバッテリーなどが積まれていた。


「どうせデイキャンプをやるのならば、十全に楽しめる様にするべきだ、と思っただけの事だよ。美名美くん」

「なるほど。っていうか、よくこんな良い感じのとこ知ってますね」

「なに、あのユカイな3人とよく来ているだけだ」


 やけに上機嫌な様子の由実は、そう言ってパンツのポケットから財布を取り出し、古びた鉄筋コンクリート造りの受付に向かう。


 薄ベージュの地味なパーカーの上に、黒っぽいダウンジャケットにモスグリーンの厚手カーゴパンツというで立ちで、背中に簡易キャンプチェアの袋を斜めがけにしていた。


「やあやあ。いらっしゃいセンセイ氏。竿代と餌代はこれだよー」

「なぜハカセ殿がいるのだね?」


 入り口の掃き出し窓を開けると、雅がラミネートされた料金表を差し出して、いつも通りの調子で朗らかに出迎える。


 特に飾り気のない黒いジャージの上下に、釣り堀の名前が書かれたエプロン、といういかにも学生の手伝い感溢あふれる服装を雅はしていた。


「代理のバイトさ。叔父さんがぎっくり腰になっちゃってね」

「なるほど」

「おや。美名美嬢も一緒なのかい? ボウズはめったにないから安心してくれよ」

「あ、どうも……」

「まあボウズならもうからないだろうよ」

「ははは。それはそうだね」


 由実は財布から必要なだけの金額を払い、カウンターの中にいる雅から竿とエサの魚肉ソーセージの輪切りが入ったコンテナ容器を受け取った。


「ところであの2人は?」

「彼女らはサウナに行くそうだ」

「整えたいんだねぇ」

「体調をかね?」

「さあ?」


 由実は雅とそこまで興味なさそうに話した後、美名美を連れて小さなダムの様になっている釣り場に向かう。


「私、もしかして気を遣わせたりとか……」

「安心したまえ美名美くん。むしろ気を遣うならば逆に全員一緒になるのが我々だ」


 もっとも、一緒だからといって気を遣っているとも限らないがね、と言って、由実はもっとも上流付近にある、深みの脇のポジションに三脚キャンプチェアを置いた。


「さて。ヌシは……。いたいた」

「わ、おっきい……」


 深みには他の個体よりも2周りほど大きなヤマメが、貫禄かんろくたっぷりに悠々と泳いでいた。


「今日こそはつり上げてやろうではないか」

「先輩でも釣れないことあるんですね」

「装備がこれではな。私物が使えれば多少は早く釣れただろうがね」

「まあ、ですよね」


 針と重りだけのシンプルな仕掛けに、エサの魚肉ソーセージを付けた竹竿たけざおを深みへ狙いを定めてほうるも、コントロールが付かずその手前に落ちた。


 まもなく、水面下でかかったヤマメが回るように暴れ、ひょいと上げるとピチピチ生きが良いそれが釣り上がった。


「普通のは簡単に釣れますね」

「うむ。これなら美名美くんも満足して貰えるはずだ」

「やってみます」


 バケツの中にヤマメを投入する由実の手つきを、竿を持ったまま見届けた美名美は少し離れた所で立ったまま仕掛けを投入した。


 続けて、由実も再度餌を付けて深みを狙い仕掛けを投じるが、今度は投げるのではなく水面近くまで仕掛けを下ろし、そこから竿を前後に揺らして深みに投入した。


 由実よりは遅いものの、竿に当たりが来たため美名美は素早くそれを上げたが、


「よいしょっ。あれ?」


 針の刺さりが甘かったせいで抜けて、ヤマメはほんの僅かの間だけ宙を舞って水に戻った。


「そんなに上手くはいかないで――」

「おおっ。ついにやったぞ美名美くん!」


 美名美が苦笑して由実の方を見ると、彼女はちょうどヌシを釣り上げ、その糸をたぐってつかんだ所だった。


「おお……」

「ぬはは。手こずらせよってからに」


 美味しく食べてやろうじゃないか、と先程よりもさらに上機嫌そうに表情を緩めて由実は言う。


「ヌシが釣られたと聞いて」


 バケツに投入したところで、薄い灰色のロングコートを羽織った長身の雅がぬっと現われ、やや高めの声で由実の背後から話しかけてきた。


「耳が早いな」

「常連さんが教えてくれてね。魚拓とる?」

「面倒だ。写真を撮ってくれたまえ」

「おかのした」


 バケツを上から抱える様にして手を添え、逆の手でピースサインを作る由実を、雅は彼女の携帯を受け取って、カメラで斜め上から撮影しようと構える。


「ういー。とるよー」


 雅が50連写もしたため、無駄に長々とシャッター音が周囲に響いた。


「……なぜわざわざ連写したのだハカセ殿」

「やー、特に理由は無いんだよね。これが」


 ほい、と返された携帯の画面には、怪訝けげんそうな顔をした由実の画像が表示されていた。


「ええい、面倒な……」


 それを1枚削除して行く度に、どんどん得意げな様子に変わっていく。


「美名美嬢も釣れたかい?」

「いえ、まだです」

「ありゃあ」


 由実がもたついている間に、隣の美名美に話しかけながら青いバケツをのぞき込んだ雅は、スッカラカンのそれを見てパチパチとまばたきをした。

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