第12話

                    *



 昼食後、せっかくだから、と木材工作で各自の夕飯の食器を作ったが、由実と雅は熱が入りすぎたせいで会話が生まれなくなり、仕方なく美名美は1人でテントに戻った。


「さむ……」


 風が当たらないとはいえ、やや日が傾いたキャンプ場は大分冷えるため、美名美は由実から貰ったウッドストーブに焚き木を入れて、たき火から火を移した。


 それとチェアをテントに持ち込み、美名美はイヤホンを付けてホラー映画を見始めた。


「あれ? 坂之上さかのうえさんと西宮原にしのみやはらさん、大田さんは?」

「やや、藤宮先生。彼女ならそこに――」

「いないね。排泄はいせつ行為かな?」


 没頭していた由実と雅は、夕方まで粘ってヤマメしか釣れなかった藤宮に呼びかけられ、美名美がそこに居ない事に気が付いた。


「ハカセ殿。貴殿はもう少しデリカシーというものをだな……」

「じゃあ雪隠せっちん?」

「どうしてその方向へ行くのだ」

「あはは……。まあ私は周りを一応探してみるけれど、君たちも頼めるかな?」

「了解しました」

「はい」


 苦笑いした後、すぐに真剣な表情になった藤宮は、懐中電灯を手に河川敷の方へと駆け足で向かった。


 由実達もキャンプ場施設を歩いて回って探したが、美名美はどこにもいなかった。


「雅。何か心当たりは?」

「うーん、後ろ向いてたからなあ……。由実は?」

「私は横だが、フォークを削っていてな」


 2人とも後輩が忽然こつぜんと消えた事に動揺し、いつものどこかのらりくらりとした様子が全く無かった。


「――あれ、由実。さっきあげたウッドストーブと、彼女のチェアって置いてあったっけ」

「なか……ったな?」

「……」

「……」

「――テントだッ!」


 2人はその可能性に気が付いて、全力疾走で設営へと帰ってきた。


「雅! テントに全力で空気を! 私は中に入る!」

「オーケー! こんなこともあろうかと酸素ボンベとブロワがあるよ!」

「よしきた!」


 血相を変えた2人が大慌てで色々準備して、最悪の場合を考えてテントに突入したが、


「えっ、なんです――ふぇあッ!?」


 美名美は特に異常の無い様子で映画を見ていて、パワー全開のブロワを顔に浴び、スカイダイビング中みたいになった。


 ややあって。


「美名美くん……。それ用でないテントでも意外と気密性があってな、中で火を炊くと酸素が不足して一酸化炭素が発生し、気が付いたら動けなくなっているのだぞ」

「はい……。すいません……」


 薪ストーブで暖かくなっている由実達のテントの中で、美名美は正座して由実の説教を受けていた。

 そのテント内では、念のために、と一酸化炭素用の警報器が天井付近にぶら下げられていて、寝床の近くにもう1つ置かれていた。


「分かったならよろしい。後で藤宮先生にお礼を言っておきなさい」

「はい……」

「よーし。気を取り直してなんか映画見よう」

「だな。よし、美名美くん。なんかこう、明るい感じのを頼む」

「はい」


 わかりやすく、しゅん、としているのを見かねた2人にそう言われ、美名美はその優しさが身に染みていた。


「美名美くぅん……。サメ映画は怖くないのではなかったのかね……」

「はずなんですけど……」

「ボク見たことあったけど、大元おおもとは普通に怖いよ」

「それを早く言えッ!」

「ごめん、単純に忘れててさー。ははは」

「ははは、ではないわ!」


 バカ映画を見よう、と選んだのがサメ映画の原点だったため、由実はメンタルに多大なるダメージを被った。


 これでは眠れない、と言ってガタガタ震えていた由実だったが、普通に5分で爆睡していた。


 雅が薪ストーブを消し、高温カイロを寝袋の足元に入れていた3人は、快適な温もりの中でぐっすり寝入った。


「ぐえ」


 だが、雅の寝相は極めてアクロバティックなもので、縦に大きな当たり判定があるその体当たりを喰らって、由実は真夜中も良い所の時間にたたき起こされた。


「これだからこやつは……」

「……。んがっ」


 眉間に深々とシワを寄せた由実は、グースカピー、と寝る雅の鼻をつまんで八つ当たりした。


「ううー……、ひどいよー……」

「それは貴殿の寝相だ」


 しょぼしょぼとした目で抗議する雅に、呆れた様子で言い返したところで、


「――なんか、外にいないか……?」

「……いるね。明らかに」

「人か……?」

「いや、4足歩行の音だよ」

「なんか重そうだが……」

「く……、熊……?」


 のそのそ、と何かがテントの外でうろついている音が聞こえ、2人同時にサーッと顔が青ざめた。


「みみみみ美名美くん……っ」

「んぇ? 何ですか……」

「外に熊がいるっぽいんだよ……」

「熊? 出現情報ありましたっけ……?」

「今日出現したかもしれないではないかっ」

「誰かが見ないと情報にならないからねっ」

「んー、それはそうですけど……」


 一応本当にその可能性があった場合を考えて起きたが、美名美は依然怪訝けげんそうな表情をしたとき、明らかに人ではない物の息づかいが聞こえ、2人同時にビクッとした。


「熊だ……、絶対熊だ……」

「身体の大きさ的に、結構低いんじゃないですか?」

「いや、実際に聞いたわけじゃ無いんだろう?

「まあ、はい」

「じゃあ分からないじゃないか。熊だよ……」

「ハカセ殿なんかないのかねっ?」

「閃光弾もどきなら……」

「例え熊であってもまずかろう。もう少しこう、一般の範囲に収まる物とか……」

「ドライアイス式ペットボトル爆弾とかなら」

「いや材料だけではないか」

「じゃあもう無いよ……。センセイ氏なんかない?」

「たいまつなら作れるがそれ以上はどうにも……」

「じゃあトンカチでどうにかするしかないか。鼻が弱点らしいから」

「我々でどうにか出来るわけがないだろう」

「ラジオのデカイ音で追い払うとかどうです?」

「ポータブルラジオでは……。なんとか音を大きくする方法とかないものか……」

「手っ取り早くフライパンを叩けば良いんじゃないかな?」

「熱したそれを振り回す方が良いだろう」

「そうだねっ。自然界にそんなに無いもんねっ!」

「よし、鍋を被って頭を守るのだっ」


 話がどんどん変な方向に向かい始める中、やや高いトーンのググググ、という鳴き声が聞こえた。


「ウヒィ! もはや猶予はなさそうだ! ハカセ殿ガスバーナーとか出来ないか!」

「ちょっと危ないけど、消臭スプレーとライターを使えば即席のやつが!」


 恐怖がピークに達した2人は、混乱の極みでとんでもない事を言い出した。


「これ、鹿しかじゃないですか? 修学旅行で行った奈良公園で聞いた、威嚇いかくしてるときの鳴き声そっくりです」


 鳴き声を聞いて考え込んでいた美名美は、小学生のときの記憶を思い出して冷静に指摘した。


「熊も出すかもしれないだろう? ハカセ殿はそれを頼む。私は万が一の事も考え、傘を構えておく」

「了解。この際テントが燃えても構わないだろう?」

「うむ! 身の安全が第一だ!」


 美名美の話を聞かずに、2人が迎撃態勢を取ったときだった。にわかに空を覆っていた雲が切れ、満月の青白い光がキャンプ場に降り注いだ。


 それによって、正体不明の生物のシルエットが白いテントに映った結果、


「……ん? 熊にしてはシュッとしてないかい? 鹿かな?」

「そうだな……。それっぽい角もあるな……」

「あー、鹿ですね」

「お主、鹿だったのかッ!」

「ええー。鹿ぁ……」


 どう見ても熊ではなく鹿だという事が判明し、由実と雅はふにゃっと座り込んで、同時に引っくり返った。


「……ま、まあ、誰にでも勘違いはありますよね」

「……」

「……」


 冷静になって振り返ったところで、天を扇いでいる由実と雅は自分達の言動のおかしさに気付き、恥ずかしくなって両方とも無言のまま、すごすごと寝袋の中に潜り込んだ。

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