第10話
「さて、せっかく川沿いのキャンプ場に来たのだ。釣りと行こうじゃ無いか」
他の2人よりも3倍ほどの時間を使ってイモを平らげた由実は、釣りエサ用の紐付き発泡スチロール箱と釣り竿3本、救命胴衣をリアカーから引っ張り出し2人を誘う。
「あれ、センセイ氏釣りやったことあるっけ」
「ほぼビギナーではあるが一応は。まあ釣れなかったらそれでいいのだ。昼食が1品減るかどうかの差しかないのだから」
「うーん、ボクは止めておくよ」
「上手く行かなかった点の洗い出しか?」
「そうそう。一応機材もってきたんだ」
「青空の下でやることがそれとは、実にハカセ殿らしいな」
「ラボにこもりきりが博士じゃないからさー。ま、火の番兼業ってことで」
2人で行ってきなよ、と言う雅は美名美にウィンクをしてから、自分のリアカーの所へのそのそと歩いて行った。
「ということだ。では向かおう」
「はい。ところで、お昼ご飯の内容訊いても?」
「うむ。ガーリックチキンだ。素材は全て一級品を用意したから味は期待してくれたまえ」
ぱっと見は釣り用ベストの様に見える救命胴衣を美名美へ渡しながら、由実は得意そうな表情で胸を張って鼻を鳴らす。
ちなみに、由実は使い込んで黒焦げになっている物を持っていたが、わざわざ油ならしした新品のダッチオーブンを持ってきていた。
「ニンニクは匂いの弱いものを用意したから、安心して食べてくれたまえ。しっかり火の通ったホクホクのそれはもう絶品であるよ。事前に試しているから間違いない」
「ありがとうございます」
ポリバケツを手にする由実はモスグリーンの帽子を、美名美はスカイブルーのそれを被り、堤防上の歩道を横切って白く丸い石が転がる河川敷へ下りた。
そこにはすでに、他の区画にあったテントの持ち主2組と、地元の釣り客の中年男性が3人いた。
吊り橋がかかる下流の方に、母親とその10代前半の娘といった様子の2組、そして片方の母親と談笑する、赤い革ジャケットの女性の計5人。
蛇行部分で外側の水深が深い上流の方に、内側からそこへ仕掛けを放っている、中性的で精悍な顔つきをした若い女性がいた。
「我々はあちらに行こう。無駄な気を遣わせるわけにはいかん」
「はい」
楽しげに流木拾いをしている少女2人をチラリと見やり、由実はハンチングハットを被ってリールを巻いている女性1人の方へと向かった。
「ん? 誰かと思えば
「わお。意外に早く見付かってしまったね」
その顔を何気なしに見た由実が、たき火同好会他複数の部の顧問である、女性教諭の
服装は上に白いシャツとジャケットを着たパンツスタイルで、足の長さもあってそのままアウトドア雑誌の表紙を飾れそうだった。
「わざわざ出向かれるとは、
「いやいや偶然だよ。ここの川、イワナがよく釣れると聞いてね」
「ほう。して釣果の方は?」
「ヤマメなら2匹ほど」
藤宮の足元にある折りたためるバケツには、そこそこの大きさのそれが入っていた。
「おお。なかなか良いサイズとお見受けする。まあ私はにわかであるからして、あくまで勘ですが」
「その通りさ。坂之上さんはなかなか目利きのセンスがあるね」
「買いかぶり過ぎでありますよ。藤宮先生」
偶然同じ釣り場にやって来た、老年の上司とその部下の様な空気感が2人から醸し出され、美名美はやや置いてけぼりを喰らった。
「じゃ、危ない所に近寄らない様にね」
「心得ました。では行こう美名美くん」
「はい」
最後にしっかりと教師らしいことを言った藤宮と別れ、彼女のいる地点よりも少し上流へと移動した。
「我々が狙うのはニジマスだが、美名美くんはミミズは平気かね?」
「いえ、あんまり……」
「そう思ってだ、私は美名美くんのためにイクラを用意しておいた」
由実は得意げに発泡スチロールから、北欧産のイクラの瓶詰めを取りだした。
「私はフライを使うから、遠慮せずに使ってくれたまえ。消費期限切れだから食うではないぞ」
そう言って、市販のマス釣り用の仕掛けを美名美と自身の竿の糸に付けると、由実は慣れた手つきで仕掛けを淀み付近へと放った。
美名美が慣れない様子で、由実から貰った指南書を見ながら針にイクラを刺した所で、バシャッと派手に音を立てて由実の仕掛けに当たりが来た。
「ふむ。イワナか」
いとも簡単に釣り上げたそれは、釣り人達が追い求めていたかなり大ぶりのイワナだった。
「えっ」
「マジか」
「嘘だろ……」
由実のややぎこちない手つきをほのぼの、と横目で眺めていた釣り人達が、全員全く同じ様に2度見した。
「まあ目当てではないな」
特に喜んだ様子もなく、由実はリリースしようとしたが、藤宮を含めた全員からせめて最後にしなさい、と一斉に助言が飛んできた。
「……うむ。流石にバケツの中で繁殖行動はしないか」
少し渋い顔をしたが、まあいいか、と水を入れたバケツに投入した。
「先輩、凄いですね……」
「ビギナーズラックというものだよ美名美くん。単なる運だ。釣りたい物を釣るのが腕だと思うがね」
「なるほど」
離れるように手振りで指示し、離れるのを見てから由実は先程とは少し対岸側に仕掛けを放った。
そして数分もしないうちに、
「ん、なんだヤマメか……」
かなり大物サイズのヤマメを軽く釣り上げてしまった。
「なんだあの嬢ちゃん……」
先程の釣り人達は、由実の凄まじい引きにあんぐりしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます