第2話 音楽には良い思い出がありませんの
「すごくよかったね!百合ちゃん!」
飛彩は感極まっていた。小学校では目立たない生徒であったが、青春に対する憧れは人一倍強かった。仲間と何かを成し遂げる、ぶつかって、それでも前へ進んでいく。そんな小説のような展開にならないかと日々妄想してきた。
確かにまだ他の部活は見ていない。だが、これ以上の部活はないであろうと直感が告げていた。明日から始まる日々に期待を膨らませていた。
「そういえば飛彩さん、お部屋の場所をまだ教えてもらっていないのではなくって?」
「あ……」
失念していた。目の前の事に夢中になって大事なことを忘れるのは悪い癖だ。来た道を戻り、先輩たちに部屋を聞く。この建物は中庭を囲むようにして五角形を形作っており、玄関を角とし左の辺に当たる部分が食堂、右に当たる部分が風呂であるそうだ。その2辺は階層ごとに各種施設となっており、静養室や広間、談話室など様々な場所があるらしい。学年が上がるにつれて使用できる施設が増えていくらしく、中1が使えるのは広間、食堂、風呂のみらしい。トイレなどは各種角に点在し、共同となる。公共場所の掃除などは昼間、生徒がいない時間帯に清掃員を呼ぶらしく、あまりに汚いと都度指導が入るらしい。飛彩達の部屋は風呂側の辺にあったらしく、食堂から出てもなかなか辿りつけないわけである。2階以降の四人部屋は広さもそこそこあり、3~4人程度で集まって合奏をするくらいなら余裕である。
「君たち、慣れないなら地図くらい持ち歩けばよかったのに〜」
「仰る通りです、さゆり先輩。」
夕食後は入浴時間となるようで、今日は1年から入れるようだ。浴場は1階と3階にあるらしく、中2は分散、中1と中3はそれぞれ1階、3階を使うらしい。
「ここじゃないかな?外部生はこのフロアに集められることが多いからね。自分の部屋、あったかい?」
思えば部屋のドアの色が違う。ドアの隣にある名札を見、しっかりと自室を確認する。
「ここですわ、さゆりさん、どうもありがとうございましたわ。」
「いえいえ〜、あたしも初めは迷ったしね、君たちも後輩ちゃんが迷ってたら、助けてあげるんだぞ〜?」
「はいっ!必ず!」
短い時間ではあったが、飛彩はさゆりの虜となっていた。自分よりも先を行く、生き生きとした先輩を素直に尊敬した。さゆりの天真爛漫さが、純粋な飛彩には輝いて見えたのだろう。一方百合は先ほどから険しい顔をしており、なんともいえない緊張を感じさせた。部屋に入ると、それぞれ作業をし始める。
「百合ちゃん、お風呂はいつ行こっか?」
「そうですわね…飛彩さんのタイミングでよろしくてよ。」
「私がのろまなせいで百合ちゃんに迷惑かけられないし、先に行っててもいいよ?」
「大丈夫ですわ、私も一人は心細いですし。」
「そう?じゃあもうちょっとだけ待っててね。」
飛彩は人より要領が悪いのか、荷造りや整頓が苦手であった。バックから荷物を出してはオロオロとしている様を見て、見ていられなくなった百合は、手を差し伸ばす。
「それはこちらにした方がよろしくてよ、飛彩さん。取り出しが便利ですわ。」
「衣類はクシャクシャにならないように詰めてくださいまし、シワになってしまいます。」
「制服はハンガーにかけて、そこにかけておけばよろしいですわよ。」
あれやこれやと口を出す様はさながら母親のようで、人によっては鬱陶しく感じたであろうが、飛彩としては家にいるようで心地が良かった。家では母親に頼りっぱなしであったため、急に一人で生活しろと言われ、内心は不安でいっぱいだったのである。
「百合ちゃんありがとう!おかげで早く終われそうだよ〜」
「礼には及びませんわ、私のためでもありますもの。」
「えへへ、でも助かったよ。」
礼を言われた百合の頬が若干紅くなったのを飛彩は見逃さなかった。飛彩は鈍臭いが、他人の表情の変化、感情を読み取る力は頭ひとつ抜きん出ていた。
「よしおしまいっ、いこっか百合ちゃん!」
「えぇ、いきましょうか。今度は地図を持ちますわよ!」
ドアを開けると、百合が手を差し出してきた。
「は、はぐれたら面倒くさいですからね、特別ですわよ?」
「ありがとう百合ちゃん!心配してくれてるんだね!けど、すぐ近くだよ?」
「良いんですわっ!行きますわよ!」
またもや強引に掴むと、大股でズンズンと進んでいく。
「ちょっと百合ちゃんはやいよぉ、腕ちぎれちゃうって!」
若干歩調が緩み、歩きやすくなった頃には風呂の入り口に到着していた。脱衣所に生徒の姿は無く、浴場にも影はなかった。
「私達、遅かったのかな。」
「さあ?考えてもしょうがありませんわ、入りますわよ。」
百合は荷物を置くと、躊躇いもなく服を脱ぎ出す。
「え、百合ちゃん、恥ずかしくないの?」
「女の子同士ですわ、何も恥ずかしいことはなくってよ。」
飛彩もそのことは理解しているが、どうしても自分の貧相な体を百合に見られるのは恥ずかしかった。百合は服の上からもわかるような大きなものを持っているが、成長期のなかなかこない自分の胸は、比喩でもなんでもなくまな板そのものであった。
(わあ、やっぱりブラとかしてるんだ、オトナだなぁ)
Cはありそうなブラを外すと、百合はいよいよパンツのみの姿となった。
「まさか自分で脱げないなんてことはありませんわよね?あんまりにも飛彩さんが恥ずかしがるから、私も恥ずかしくなってきましたわ。」
「そ、そんなことは!ない、…けど……。」
まさか成長が遅いのが恥ずかしいとは言えない。しかし、このまま立っていてもどうしようもないので、飛彩は意を決して脱ぎ始める。
「あら、ご自分の力で脱げるのですわね、私てっきり…」
「もう!脱げるってば!」
百合の珍しい茶化すような物言いにツッコむような形で、飛彩は羞恥を感じることなく脱衣することができた。
「さ、行きますわよ。」
飛彩は自分の胸について何か言われないか怯えていたが、杞憂だったようだ。
「うわー、ひっろーい!」
想像を絶する大きさの浴槽に飛彩は驚愕の声をあげる。
「そうですわね、実家の二倍はありますでしょうか?」
これの半分のお風呂というのも気になる飛彩であったが、あえて何も言わなかった。
「うすうす気付いてたけど、百合ちゃんってお嬢様なんだね…」
「?」
「あ、いやなんでもないよ。」
「そうですの?」
本人に自覚がないのであれば、無理に言う必要はない。ささっと体を洗うと、体を隠すように湯船に浸かった。
「邪魔な胸がない飛彩さんは羨ましいですわ。」
少し遅れて百合が入ってくる。予想外のジャブに飛彩のメンタルはかなり削られた。
「気にしてるんだから、言わないでよ……。」
「ないことを気にしているのですか?残念ですが、あって何かいいことがあるものでもありませんわよ。常に胸にリンゴをぶら下げている生活を想像してみてくださいな、邪魔以外の何物でもないでしょう?」
それでも、いつまでも子供の体というのは嫌なものなのに、百合は全然わかっていない。天然も少し入っているのだろうか…。飛彩は少しだけ、百合を恨めしく思った。
「それでも…ないよりはマシだよ…。欲しいものは欲しいもんっ!」
飛彩は百合に背を向けると、鼻まで浴槽に沈んだ。ブクブクという音が、静かな浴場に響く。すると、後ろから胸を鷲掴みにされた。
「な、何するの百合ちゃん!」
「大きくしたいのならばマッサージが効果的だそうですわ。そんなに欲しいなら、私が揉んで差し上げます。」
「い、いいって…キャッ、そんなところ触らないでよぉ…。」
徐々に飛彩の力が抜けていく。百合はなおも揉み続けるが、他の生徒が脱衣所に入ってくる音が聞こえてきたので、手を離した。
「そろそろ出ましょうか?飛彩さん。」
「……百合ちゃんの意地悪。」
「さあ?なんのことだかわかりませんわ。」
浴槽から上がり、パジャマに着替えると、部屋へ戻った。就寝準備を済ませると、それぞれのベットへ入る。部屋の中には勉強机、クローゼット、ソファ、テーブル、ベットが置いてあり、スペースもそこそこある。家具の配置は戻しさえすれば変更可能であるが、特に不便はないため、そのままにしていた。特にすることもないので、寝ようとベットに入る。興奮からかしばらく経ってもなかなか寝付けないので、ベットの中で飛彩は想像を膨らませる。部活に入ったら、なんの楽器をやってみようか、管楽器なんてどうだろう?弦楽器も指さばきがカッコ良さそうだ。打楽器もやってみたい。中2の先輩方はバンドを組んでいたのだろうか、団結力を感じた。私もそんな仲間と出会えるのだろうか、出会いたいな。
「飛彩さんは、総音部に入るのですか?」
百合もまだ起きていたらしく、話しかけてきた。百合はあまり乗り気ではなさそうなので、あれ以降あまり誘わないようにしていたのだが、百合は何部に入るつもりなのだろう。
「うん、入りたい。百合ちゃんは、嫌なの?」
「そうですわね、どうしてもというわけではありませんが、私、音楽にはあまり良い思い出がありませんの。」
百合は過去を振り返り、懺悔をするかのように語り出す。
「小さい頃から、ピアノやバイオリンなどを嗜んでおりましたが、どのコンクールに出ても予選落ち。決して練習を怠けていたり、やる気がなかったりしたわけではございませんわよ?けれど、練習をいくら重ねても、結果にならならず、次第に手放してしまいましたの。」
「百合ちゃんは、誰のために音楽をやっていたの?」
間髪入れずに緋色が尋ねる。
「誰のため、ですか?そんなこと考えたこともありません、強いていうのであれば、決して安くないお金を払ってくれている両親、親身になって教えてくださる先生方の期待に応えるためでしょうか?」
「私は、自分のために音楽をやりたい。」
「自分のため、ですか?」
決して百合の考え方も間違っているわけではないが、音楽とは本来音を楽しむもの。大前提として楽しめるものでないといけない。飛彩にとっての音楽の楽しみ方は、人に聞かせるのではなく、自分を満足させることであった。先輩方がやっていたように、自分を魅せる。誰かの顔色を伺うような音楽ではなく、自分の色を出した音楽。それ故複雑であり、また単純である。
「百合ちゃんの期待に応えたいって考え方は、すごく尊敬するし、すごいと思うけど、私が総音部に入ってやりたいこととは違う。私はひたすらに演奏したい。ううん、正確には、仲間と作り出す音楽を多くの人に魅せたい。自分の納得の行く、悔いのない演奏をしたいと思うんだ。」
百合は、未知の扉が開けたかのような不思議な感覚に襲われた。飛彩は、あの一瞬の体験で、ここまで感じ取っていたのだ。音楽が嫌いだからといって耳を塞いでいた自分とは違い、体全体で感じていた。さゆりたちの音楽を、音に乗せる想いを。飛彩についていったらどうなるのだろう。百合は飛彩に興味を持った。
「そうですわね、私も、そのような音楽をやってみてもいいかもしれません。総合音楽部入部の件、前向きに検討しておきますわね。」
百合が答えた頃には、飛彩は可愛らしい寝息を立てていた。
「不思議な方ですわ、変なところを気にしていたかと思えば、急にまともなことを言い始めますし…」
百合は無意識に微笑む。
「本当に、不思議な方です。」
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