第18話

  まっすぐ、化け物に向かって落ちていく。加速した体は触手たちの反応を遥かに上回り、本体のもとへ跳んでいった。


 「これでも喰らえ!」


 頭から突っ込む体が、再度空中を蹴った足の加速で縦に一回転。堅い靴底の踵が、化け物の頭上から振り降ろされる。

 グワンと響く音。不思議と足に痛みは無かったが、靴の魔力でついた勢いは相当なものだった。キリルの刀でびくともしなかった化け物の頭部が見るからに凹み、前方によろける。

 触手の猛攻が一瞬止まった。リュカにはそれだけで十分だった。彼女は既に、前のめりになっている化け物が倒れこむまさにその足元に潜り込んでいた。


 「セイッ!!!!」


 リュカの拳が触手が絡み合うように形成された胴体を捉える。目にも止まらない正拳が、捻じれ合う太い管を破砕した。

 弾け飛んだ管の残骸と分断された頭部と脚部が勢い余って飛んでいき、光の届かない暗黒の中に吸い込まれるように見えなくなっていった。


 「よくやったハヤト! 私とやり合った時から思ってたけど、キリルの言うほど弱っちくないよね!」


 「いや、僕も戦いたくなかったんだけど、体が勝手に……」


 「根っからの戦闘狂ってわけだね!」


 「そうじゃないと思いたいけど。そんなことより、ここから出ないと」


 いかにも不衛生な感じに水が黒ずんでいる。先程の化け物の体液だろう。1秒でも長居したくない。


 「あ? 終わってるか……。ミナミがやったのか?」


 キリルがざぶざぶと波立てながら起き上がった。


 「おはよう、キリル。 “僕” とリュカでやったんだぜ」


 「自惚れるな。んなわけねェだろ」


 「ハハハ、2人ともよくやってくれたよ。最後私が止めを刺しただけで。キミたちがいなかったら勝ててないよ」


 「そうか。さて、この後どうすんだ? この洞窟には先がありそうだが、進むか?」


 「嫌だよ! それに、明かりを灯す道具が何もないのにあんな場所、入っていきたくないよ!」


 「ハヤトに賛成だなー。さ、ハヤト。一息で脱出してしまってくれ!」


 キリルを落とし穴から担ぎだした時だってギリギリだったのに、2人同時にひとっ飛び、とはいかない。先にキリルを担いで飛んで、地上に降り立つ。

 

 「助かったぜ。あとはミナミだな」


 「わかってるって。キリルは周りでも見張っててくれよ」


 再びガラス張りの地表から深い穴に身を投じる。勢いを殺すために何度か空中で蹴り上げり、バシャリと飛沫を上げて降り立った。あまり浴びたくないような、黒くてどろっとした液体が体にかかる。


 「おまたせ。リュカの番だよ」


 「よっしゃ、任せた!」


 リュカを背負おうとしゃがむ。彼女の息遣いが近づいてくる。筋肉質に見えた彼女の体は見かけ通りしっかりと重さがあり、キリルの時よりもしんどい。しかし持ち上がらないほどではなかった。

 それよりも、がっしりとした筋肉を覆うやわらかな感触が、しなやかな彼女の腕が、僕を包み込む。初めての感触に動揺し、重さに意識が行かない。戦闘も終わったというのに心臓が高鳴っていく。


 「大丈夫か? 私は普通の人間より重いと思うけど、飛べる?」


 僕にもたれかかった彼女の口元が、僕の耳のそばで囁く。耳の淵にあたる風の動きとこしょこしょと鼓膜を揺さぶる声に、顔が火照り紅潮していくのを自覚する。

 これはやばい、さっさとリュカを降ろさないと恥ずかしさで死にそうだ。


 「だ、大丈夫だから! いくよ!」


 力強く水底を蹴ろうとする。瞬間、僕の背後に見えた、暗闇から伸びる一筋の光。反射的にリュカを守ろうと反回転しながら跳躍する。足先に激痛が走るが、飛んだ勢いが失われることはなかった。地上に脱した僕は着地に失敗し、リュカを背負ったまま地面を転がる。


 「痛ッ!!!! いってえええええええ!」


 右足の足首に風穴が空いていた。

 暗闇の中から伸びてきたのは、ぬめりと光った黒い触手のようだった。おそらく先ほどの化け物の触手だろう。もしかしたら本体部分はまだ生きており、胴体の部分の触手が再生して復活しかかっていたのかもしれない。


 「落ち着け、ツヅク。とりあえず傷口塞ぐぞ」


 キリルは着ていた上着を縦に裂くと、僕の左足首をぐるぐる巻きに縛り上げた。


 「てめェは暫く動くな。ちゃんと治療しないとやべえだろうな。早く人里を探しに行くぞ」


 「任せて。ハヤトは僕がおぶっていくよ。私をかばったせいだし、なにより私は荷物もほとんどないから」


 リュカに背負われた僕は足が痛いやら、恥ずかしいやらで死にそうなくらい心臓が早鐘を打っていた。背中は柔らかいし、かなり動いてどぶ水の中戦っていたにもかかわらず、黒髪が目の前で揺れる高等部からは微かに甘い匂いがする。

 体がずり落ちないよう腕は掴まれ、リュカの前方で組まれている。女性の最も柔らかな部分があたる。出血でクラクラする頭にいろいろな感情が混じり合い、目の前がホワイトアウトしていく。

 今日は疲れた。このまま寝てしまうほうが、楽かもしれない。

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