ガラスの地下牢
第17話
ボチャン、ボチャン。
水場に落ちたような音がした。恐る恐るキリルとリュカが落下した地点までつま先を立てて歩いていく。
穴の周りを注意深く観察すると、うっすらと積もった土が無数の苔と共にその正体を隠していた。それらをかき分けると格子状に組まれた細長い金属の棒が顔を出す。
網目状に組まれたそれの間は一見何も見えないようだったが、触れることのできる壁が確かにそこにあった。硝子だ。
「んだここはよォ!」
「痛いなー。地面の下に森があるよー」
覗き込むと2人が喚いている。
うっすらと光が差す地下には浅く水が張っており、そこから上にあるものよりもさらに太い木々が根を張っているようだった。木々の伸びる先は透明な壁を突き破り、地上に出て尚さらに上を目指している。
地下にはじめっとした空気が充満しており、穴の中に顔を近づけると空気の層がはっきりと感じ取れる。視界も悪く、2人のいる場所くらいしかまともに光が当たっていない。
「ハヤト! 早く降りてきて助けろ!」
「いくら私でも流石にこの高さはひとっ飛びとはいかないなあ」
僕に降りろというのか。進んで行きたい場所ではないものの、僕よりはるかに能力のある2人から頼られているというのは嬉しい。しかしなぜこの高さから落ちてピンピンしているのか。
「いいよ、今降りる!」
「「待て!」」
2人が手を上げ、飛び降りようとした僕を呼び止める。なんだ、なんとかなるんだ。少しばかり寂しい気持ちを抱くが、そうではなかった。
「蜉ゥ縺代※」
どこからか、人間の声のような、しかし聞いたことのあるどの言葉とも違う唸り声が聞こえた。どうやらこちらではなく下から聞こえたそれはゆっくりと動き回っているようだ。ジャブ、ジャブと音を立てて近づいてきている。
「まずはこいつをどうにかしてからだなァ。チンチクリンはそこで見てるこった」
「やる気だね、キリルくん。私も手伝うよ!」
暗がりからゆっくりと、しかし確実にこちらに向かってくるものは、独り言のような低い声を出している。
姿を現したそれに、意気込む彼らの顔色も次第に青ざめていく。
灰色の樹木のような皮で覆われた一本の足が見えた。黒い分泌液が絶えず流れ出ており、直立で動く円錐形のシルエットは人間のようだが、それ自体が意思を持ったようにうごめいている無数の足が、単純な人型との差異を表している。それが歩いた足元から水が黒く変色していく。
胴体は分泌液で黒く濁っており、日差しを受けるとぬらぬらと光りを反射していた。体全体が無数の縄が絡み合ってできているみたいだ。人間2人分くらいの高さにある頭部に行くにつれて縄の数が減っていき、細くなっていっている。
人間というにはあまりに禍々しいけれど、理性を持っているような表情。目は無いが、ニタリと笑うように口角を上げて小さな低い声で唸っているそれは、1対の先が鋭く尖った腕をこちらに向けている。
不意に伸びたその両腕はキリルとリュカに狙いを定めていた。すんでのところで躱す2人。リュカの角が伸び、赤い筋が走る。体が黒く変色していき、目は爛々と赤く光り始める。
「おいおい、これやばくねェか?」
「全力で行かないとダメそうだね。キリルくんは下がってていいよ」
「そうも言ってられっかよ。クソっ、こんなとこに落ちてなけりゃ、速攻逃げてるぜ。こんな倒しても食えなそうなやつ、戦い損だ!」
飛び出すキリル。伸びた腕は鞭のようにしならせ、キリルを襲う。それに対しリュカは体を割り込ませ、キリルの侵攻に合わせて妨害させまいと1本の触手を叩く。
「オリャ!」
鬼の力で思い切り水面に叩きつけられた腕は、パァンという破裂音と共に粉砕される。キリルは触手を刀で斬り刻み、それの本体に肉薄する。
「真華流・三日月斬り!!!」
縦一筋に刀を振るうが、ガチンと弾かれる音。それの頭部は見た目よりもずっと堅いらしく、刃が通りそうもない。太くがっしりとした足が水を割って蹴り上げる。キリルの腹部に直撃し、彼は水面高く飛ばされる。
「キリルくん!」
見事舞い上がったキリルをキャッチしたリュカは、キリルを降ろすと化け物に立ち向かっていく。
先程リュカとキリルが破壊した腕はいつの間にか生えており、2本の触手がリュカに纏わりつく。リュカが拳と蹴りで破裂させるが、それが腕を失うたびに新しい触手が即座に生え変わる。早まる再生スピードにリュカはついに歩みを止め、その場に釘付けになってしまった。
キリルは当分動けなさそうで、リュカは持ちこたえているものの近づけないでいる。2人がやられてしまうのも時間の問題だろう。3本、4本と再生ではなく増殖していく触手にリュカの破壊が追いつかなくなってしまっていた。幾度と体に当たる攻撃に耐え、くぐもった声を出すリュカ。
なぜ僕はここで見ているだけなんだ。いまあいつを蹴り上げて、リュカの体制を整える時間を作るべきなのではないか? 前のめりになる体にリュカの一言が釘を刺す。
「ハヤト! キミはそこで見てるんだ! 大丈夫、私がどうにかして見せる!」
全身が一瞬硬直する。そうだ、あの2人が束になってこの状況だ。僕にできることなんてないだろう。黙ってここから見ているほうが賢明だ。それに、僕がやられてしまったらあの2人はこの空洞の中で一生過ごさなくちゃいけなくなる。僕が飛び込んでいくのはこの戦いが終わってからだ。
リュカが6本の触手の猛攻を耐える中、一瞬だけこちらを向いて笑顔を見せた。真っ黒な顔に赤い眼光とニカっと歯を見せて笑うその姿は、何も知らなければ怖いものかもしれない。
けれどこれは、僕を安心させようとギリギリの中行った精一杯の強がりだ。それと戦ったキリルは既に倒れている。立ち上がって、再度それに挑む様子も無い。動けるのは自分だけ。
僕は一瞬の躊躇を経て決断し、穴の淵を蹴ってそれの元に急降下していった。
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