第15話

  「旅?」


 ピンときていないようだ。それもそうだ。ここに骨を埋めることにほとんど疑問を持っていないようだったから、この地を離れるなんて提案はなかなか受け入れられないかもしれない。これは説得に時間がかかりそうだ。


 「つまり、ここを出て、いろんな場所を巡り歩くってことなんだ。ああ、大丈夫! ここには戻ってくるし、それに村の人達がここに来ないように……」


 「おもしろそう!!!」


 満面の笑みで声を上げるミナミ。直前までの会話から想像もつかないテンション差。どうしてそうなるのか全くわからない……。


 「え、あれ? だってさっき、1人でここに居続けるって……」


 「ま、そうは言ったけどさ! 流石の私も、1人っきりでずっとっていうのも寂しいし。もうこんなチャンス無いかなって。それに、キミは何か策を練ってきたんだろ? 村の人が西にやってこないようにする策をさ!」


 「それはそうだけど……」


 こんなにあっさり行くと調子が狂う。そして策はこれから考えるのだ。


 「父上の言ってたことも大事だけど、もう私を見守る鬼はいなくなっちゃったんだ。最後に残された私くらい、好き勝手してもいいじゃない」


 ご先祖様に対してあんまり忠心の無い鬼で助かった。まあ、親の言ってることを忘れてないだけ人間よりまともかもしれない。僕なんてほとんど忘れてるみたいだし。最近は顔すらおぼつかない。

 何はともあれ残る問題は一つ。どうやって村の人々が、番人のいなくなったこの西の山に来ないよう牽制するかだ。


 「さっき言ってた、僕たちが失敗したら村の人達が来るっていうのは嘘だ。おそらく今の子供の代までは彼らはここを拒みつづけると思う。だからね……」


 今考えると出来心みたいな作戦をミナミとキリルに伝えた。ミナミは面白そう! と歓声を上げて旅の準備をしていたが、キリルは不満気だった。


 「それ、お前が村を出る前に言ってたこと違くねェか?」


 「仕方ないじゃん。事実、僕たちは敗残兵だし報酬は無くて当然。大人しく負けを認めよう」


 「だからって全部諦めることは……。それに、俺がこの村に残る選択肢は?」


 「無いよ。もうちょっと付き合ってくれよ。命がけで逃げてきた仲間じゃないか」


 「心にも無ェことを。一昨日の朝、俺がいなくなったと思い込んでぬか喜びしてたのはどこのどいつだ?」


 「ばれてたか。まだその時は親睦が深まる程過酷な山歩きの前だっただろ? それよりミナミ、準備できたか?」


 「ああ。村を出るなんて初めてだから勝手がわからないな。とりあえず要りそうなものだけ麻袋に入れて縄で結いてみた」


 ぐるぐる巻きに縛られただけの小さい麻袋が1つ。こ、これだけ?


 「おい、何か食うモンねェのか?」


 「無い! その日取ったものはその日食う!」


 計画に必要なものを除くと食料はないらしい。今朝取れたというそれは食料にすることもできるが、残念だけど今回は村を守る生贄になってもらうほかない。僕たちもそれは非常に残念なことだけれども、致し方がない。それにしても、その日暮らしみたいな食料事情でどうやって冬を乗り切ったのだろう。

 疑問は頭の隅に置いて起き、ミナミから不格好な麻袋を受け取る。


 「ちょうど雨も弱まってきたし、そろそろ出るか。あんまり遅くなって日が落ちても目立たなくなっちゃうしね」

 

 「仕方ねェ。いいぜ」


 「りょーかい! いくよ!」


 春雷は地に穿つことなく過ぎ去り、僅かな雲の隙間から彼方の田園に光を降ろす。雨に打たれた土のにおいが鼻をつく。雨が打ち続けてぬかるみとなった地面に視線を注ぎ、最初の一歩に適した場所を探る。


 「よし。作戦開始。まずは、東に向かって逃げろ!!!」



※     ※     ※



 アカシにとって、雨の日は特に退屈だ。友達のゆうくんやかっちゃんと遊びにいけないということは、爺ちゃんからひたすら田んぼのこととか山のこととか、大工のこととかを聞かされるということであった。

 ぼーっとして頭の中のどこにも引っかからずに、爺ちゃんの言葉が通り過ぎていく。はやく雨止まないかな、と考えていると、心なしかちょっとずつ止んできてる気がした。そうに違いないと確信し、爺ちゃんに対して提案を持ちかける。


 「じゃからの、木を切って家を直すにも、どの木でも切って良いわけではないのじゃ。きちんと木の具合や周辺の根の張り方を見ないと、えらい目にあってしまうよ」


 「爺ちゃん! 雨止んできたよ! どうせなら山に登って実際に見てこようよ!」


 「うむ? それもそうじゃな。ワシも家にいっぱなしでは根腐れしてしまう。そら、北の山にでも入るか」


 アカシの計画はすんなり第一難関を突破した。適当に外に出て、ゆうくん達と合流できれば流れで遊びに行けるかもしれない、というのがその幼い計画の全容だ。

 支度をしてから家を出ると、辺りは雨上がりの靄で白くかすんでいた。田に出ている人の影がゆらゆらと黒く揺れている。まるで話に訊きし幽鬼のようであった。まだ日は高い時刻にも限らず少々心細さを感じる景色に、アカシは外出の提案を後悔し始めていた。そもそも、これほど視界が悪い中山を登るのは危険であると、家中に戻る提案をしようとしたその時だった。

 視界が悪い分音は良く聞こえた。立ち話をしている音、鍬を引きずる音、家の屋根に木釘を打ち込む音。近隣で発する音さえも、すぐ近くで起こっていることのようであった。そして大気中に充満する水分が伝達する彼方の音は、まるで馬や牛が暴れているかのように思える激しいものだった。


 「爺ちゃん、何か聞こえる」

 

 どこからともなく響く地鳴り。次第に大きくなっていくことからこちらに近づいてきていることは確かだった。

 誰かの家畜が逃げ出したのだろうか。ドドドと響く音は、人の駆ける音にしては力強すぎる。戸口を閉め、隙間から外の様子を伺う。


 「なんじゃ? 何か外にいるのか?」


 爺ちゃんがアカシに近寄ると、起こっていることを理解する。彼らは息をひそめ、戸口からじっと外を伺う。

 既に村付近まで迫っているであろうその地鳴りは、複数の個体から発せられる音らしかった。なにやら人間らしきものの声も聞こえる。叫んでいるようであったが、上手く聞き取れない。苛烈な足音はもうすぐそこに迫っていた。


 「助けてくれえええええええ!」


 「逃げろ! 逃げろ!!!!!」


 助けを求める2つの人間の声。危うくアカシは様子を見ようと戸口を全開にし、逃げ惑う人間に助力しようと考えたところであったが、ついに震動を伴うようになった地鳴りに足がもつれる。

 さらにその後に聞こえた、人の声とはかけ離れた、嗄れておりかつ甲高いような声に畏怖し、その場に釘付けとなった。さらにそれは、紛れもなく人語を操っていた。


 「観念しろ。我らの山に入った貴様らは許されん! その身に受けるがいい!!!」

 

 ガタガタと震える彼の戸口の隙間で見開く目には、2人の青年が走る姿が映る。彼らは先程までここにいた旅人であった。声を掛けようと硬直する口を開こうとした瞬間、おぞましいものが目の前に降ってきた。

 目の前の地面が、ぬかるんだ表面から堅い地盤まで貫通する程の突きで文字通り「割られ」た。

 高く舞い上がり、素手で軽い地割れを起こしたそれは、人のように見えた。グラグラと揺れる視界の中、しかしそれが次の瞬間、爺ちゃんの言っていた鬼であることが、その巨大な2本の角で判った。黒く枝分かれし、血管のような赤い筋が浮き出ている角に、赤黒い肌。

 アカシの3倍はあろうかという身長のそれは、爛々と不気味に迸る赤い目玉をぎょろつかせ、再び彼らをめがけて走り去っていった。


 しばらく固まっていたアカシは、遠ざかっていく轟音を聞きながら緊張を溜息で吐き出す。外に出ると、まるで丸太が落ちてきたような穴が彼らの軌跡を示していた。一番後ろから追いかける鬼の足跡であるそれは、牛や馬とは比べ物にならないほどの力で走っていた、と言うよりも足で地面を抉り取っていた。


 「お……鬼じゃ……。あやつら、とんでもないものを村に引き込み追って……!」


 振り返ると爺ちゃんは恐怖と激昂が入り混じったような表情で震えていた。すぐさまアカシは家から出てはならぬと命令を受け、そして彼は素直に従った。

 村の警備隊が完全武装で村を歩き回ったものの、鬼どころか旅人の姿は見つからなかった。代わりに、村の周囲と村長宅の前に開いた大きな穴と地割れ跡。

 そして彼らのものと思われる破れた背負袋と、彼らの血と思われる赤黒い液体が、東の森の中で見つかった。足跡と流血は村を迂回して鬼の棲み処へ戻るように、森の中を西に向かって痕跡を残していた。

 おそるおそる鬼の行く手を辿っていた警備隊だが、嵐によって急流となった川岸で、痕跡を見失った。

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