第3話

 どうやらキリルは村からほとんど外に出ないで育っているらしい。まあ、村人の多くはそんな感じで育っている。

 元の世界ではいつでもどこでも、好きな場所に行けたような気がするが、この世界ではそうも言ってられない。村の外は危険で満ちているし、そもそもライフラインの確保すら難しい。だからこそ、村の外で生きるためには特別な知識が必要だ。


 「で、なんなんだ、これは?」


 「だから、言ってるだろうが。盗んできた禁書の数々だ!」


 彼が掲げていたパンパンの鞄の中身は無数の本で埋め尽くされていた。得意げに古代の神話の本や昔の人々の暮らしが載っているのだという本の数々を手にする彼の目は輝いていた。少しはかわいげもあるのかと関心するが、そんなことはどうでもいい。


 「今日どうだったかは知らないけど、これからどうするんだ。こんなもの、火を起こす薪の代わりにもならないって!」


 彼が持ってきた大荷物の中で役立つものと言えば、魔導機である刀と今着ている衣類だけだった。


 「こいつらの価値がわからねえのか? 学が無ェなあ、このドアホウ」


 「兎に角! こんな重り背負って行けるほど、この先の道は甘くないぞ。ここに置いていけ! どうせ盗んだものなんだからいいだろ」


 「よくねえ。俺が持っていくものなんだから文句は言わせねえ」


 「お前は自分の生活道具を持ってもらわなきゃなんだが」


 「それも持つ。さっさと何を作ればいいか教えろ」


 なんで教えを乞う身分で上からの言いようなんだよ。


 「今日はもう日が暮れる。今日はとりあえずここから出ないほうがいいと思う。幸せなことに、ここには屋根もあるし風も防げる。食料さえあれば他はほとんど不要だ」


 「その食いもんを持ってねえから、外に出たいんだが?」


 「安心しろ。多分僕が何日分か持ってる。それに近くに狩猟用の罠が置いてあるから、運が良ければ何か捕まっているかも」


 背負い袋を下ろし、爺ちゃんに渡されて以降初めて中を探る。まあいつも使ってるものだし、中に何が入ってるかは大体知っている。干し肉、乾燥米と水といった非常食に麻縄、麻袋、ナイフの替え、火打石、雨具、寝袋といった必需品、狩猟用のトラバサミとトリモチ用の粘着液なんかが入っているはずだ。爺ちゃんが事前に用意してくれていれば、食料の類は多く入っているに違いない。

 その予測は大方当たっていた。携帯食料が少ないという不満はあれど、欠けているものはなかった。

 予想外だったのは、謎の履物が入っていたことだ。紐靴で、皮ではない何か柔らかくて尚且つある程度の剛性を持った素材だ。青地に白のラインが入っており、ところどころ銀色の、金属のような円形の装飾が施されている。靴底は鉄板のように堅い。使用されている形跡は無く、とても綺麗だった。


 「魔導機、っぽいなァ、それ」


 後ろから見ていたキリルも気づいたようだった。魔導機は遥か昔、人間たちの魔法の乱用に怒った神が、罰を下す前に作られたアイテムだ。今の技術では作れないものであったりとか、造形や装飾の傾向でなんとなくそれとわかる。

 履いてみると、大きさは問題なさそうだ。白のラインが一瞬光った。僕の生涯、初めて魔法が使えるのだ。心が高鳴る。


 履いて立ち上がると、何の変哲もない、ただの靴だった。不思議なことに、靴底がこれほどに堅い素材でできているにもかかわらず、足裏にほとんど負担はない。その場で足踏みをしたり跳ねてみたりするが、これと言って問題なく使用できそうだ。


 「うーん、どうやって使うんだろ、これ」

 

 「とりあえず履いてればわかるんじゃねえか? そういえば、罠が仕掛けてあるって言ってたが、あんまりモタモタしてっと日が暮れちまうぞ」


 「それもそうだな。ちょっと行ってくる」


 荷物をまとめ、今まで履いていた足袋をとりあえず玄関に置いておく。


 「おう、俺様もついていくぜ」


 「いいよ。ここらへんなら魔物は滅多にいないし。今のうちにそこに転がってる本、頭に入れておけば?」


 「フン。まあお前のテリトリーだってなら手出し無用か。いいだろう、行ってこい」


 奴の上からの物言いにも慣れてきた。まあ年下だし仕方がない。

 西に少し戻り、麻縄で縄梯子を作りながら獣道を登ってゆく。

 西日の差しこむ道を少し歩き、背の高さほどの茂みをかき分けると広場ほどの開けた場所があり、そこには落とし穴式の罠が張ってある。

 近寄ると本来網上に置いた木の枝の上に敷かれた落ち葉や腐葉土で隠れている穴が露出していた。両手を広げたくらいの空洞のできた地面を覗くと、5,6本の竹槍に刺さった狸が落ちて死んでいた。

 傍に刺さっている丸太に縄梯子をかけ、するすると2m程下りて地下に着地する。絶命と食用にできる程度の鮮度を確認し、麻袋に入れて穴を出る。材料がないので落とし穴を復活させることはできないが、しょうがない。


 立ち去ろうとする途端、どこからかパキパキと乾いた枝折れの音が響く。ズン、ズンとその大きさと重さを誇示するような足音がこちらに向かってきている。

 マズイ、こんな開けた場所にいたら隠れてやり過ごすこともできない。落とし穴に身を隠すこともできるが、見つかったら逃げ場も無い。

 危機的状況に足がすくみ、動けずにいた。音の方向を見ると、木々が揺れており、足音は一層大きく、重たく響いてきていた。日が暮れ、暗さに紛れて逃げる可能性を考慮しているものの、時間は遅々として進まない。このままでは見つかる。そう思ったところで足は言うことを聞かない。


 僕の背丈程もある茂みは、歩いてくるその体躯を隠しきれていなかった。一本の長く太い角と黒い背中がこちらに向かってくると同時に腐臭が漂う。茂みがかき分けられ、その巨体が姿を現す。

 初めて、生きている魔物を見た。村の外で狩られて持ち帰られた魔物は2,3度見たことがあるが、こんなものと対峙する警防隊の方々は心底尊敬する。

 艶やかな黒い体毛に包まれた4足歩行という外見は、それだけ記述すれば熊と相違ない。桁違いの大きさに鼻の先から伸びている一本の角、さらに魔物に共通すると言われる赤い眼光が加わればそれは普通の動物とは見間違うことは無い。

 低く唸りながらこちらの様子を伺うかのように、僕の周りを一定距離保ったまま歩き始める。逃げる算段も無い。おそらく茂みに駆け込む前に八つ裂きだろう。どういった攻撃をしてくるかもわからない。以前村で狩られた魔物は雷を操ったと言われていた。そんなものと真っ向から出くわしてしまったら、戦闘素人の僕にはどうすることもできない。


 僕から何もしてこないとわかったのか、ジリジリと距離を詰めてくる。突如それは地面を蹴り、一瞬で目の前に迫ってくる。

 今度こそ終わりだ。目を瞑り諦めるが、次の瞬間聞こえたのは自分の悲鳴ではない、高い唸り声だった。


 「よォ、こんなところに居たか。そのまま、少しの間そうやって無様に蹲ってるといいぜ」

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