第三話 その日の私は

その日の私は、いつも通り腐っていた。

一度目が覚め、そしてまた布団を被る。

部屋に引きこもり、更に布団の中にも

ヒキコモル。


入念に、闇を放出していたのだ。

(何の為に生きているのだ?)

生きる意味まで問い正しながらも、

何一つ怖い要素の無い布団から

出られないのだ。


そして、意味も無くありもしないものに

恐怖を覚え、怯える。


世紀末に弥勒の世が広がる。

これが何世紀も前に言われた預言。

そしてその弥勒が567と言われている。


567は私に”挑戦”というワードを

与えてくれた。

ジリジリと、逃げ場を狭めて来る。


それでも私は、同じ轍を踏む。

同じ轍を何度も踏んで、その度に余計に腐りかける。腐って腐って腐り切ると、ゾンビの様に復活する。


もう逃げれないと思うと、復活する。

まるで時計が正午から午前に切り替わる様に。行きつく所まで行くと、自動的に反転してしまう。


痛みを覚えれば同じ事は繰り返さない。

それが頭の良い者のする行い。

そして、痛みを覚えてもさらに繰り返すのが、頭が弱く、体当たりでゴリゴリ行ってしまう私の習性。

痛みは慣れれば、鈍化する。

心頭滅却すれば、火もまた涼し。

意識が無と化せば、負傷量も軽減出来る。

通常の者と、進むべき方向を違ってしまう。


そして、同じ痛みを遭い続ける私に起きた現象は、左手を上げる事が出来ないという事だった。不意に動かすと、落雷の様に鋭く痛みが走る。痛みを感じたら、それから数十秒は痛みで固まる。

痛みを感じてから、左肩、左腕は、ただぶら下がっているだけのアクセサリーの様な存在となってしまった。


左手の指が動くのだから問題ない。

ゆっくり動かせば、左肩腕の痛みが走らない領域は動作可能。


ふつふつと予約が入らない仕事を待ち、

いつまでも陽の光をカーテンで遮って、

追いつめられた人間を演じていた。


(こんなんではイケナイ。。。)


頭の中で、言葉が走った時、

それを追いかける様に、県境を跨いだ氷柱を見に行きたくなった。


(氷柱を観に行けば、人生が変わる。。。)

何の根拠もない思いが湧きあがった。


(氷柱を観に行けば、人生が変わる。。。)

(明日、氷柱を見に行こう。)

呪いとでも言い訳とでも、なんと言われても構わない。

腐りかけた心と身体を陽の光に当てて

天日干しをしたかったのである。

(氷柱を観に行けば、人生が変わり始める。)

暗示は掛かり始めた。

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