第19話 埋没した宝

 夜。

 黒い空に月が光っていた。

 一台の馬車が草原の上に伸びる道を走っていた。舗装されていない土の道は少し凹凸がある。馬に鞭を打つ馭者は小太りの男は帽子をかぶっている。彼の後ろの車は堅牢な造りで、乗客はそれ相応の身分だと思われた。

 車の窓に映る女の横顔が月明かりを浴びていた。

「ネエちゃん」

 女の向かいに座る少年が口を開いた。

「ねぇ」

 女は窓の外を向いたままだ。

「ネエちゃん。めっちゃケツいたい。この馬車ゆれすぎ」

 少年はうんざりした表情でお尻をさすった。くせっ毛の金髪。可愛らしい顔立ち。年齢は十三、四歳――いや、もっと幼くも見える。

 女は終始無言のまま、座席の横に置いた黒い鞄から書類の束を取り出した。

「それなに?」

「あなたには関係ないわ」

 女は初めて口を開いた。艶っぽい、低く伸びる声。

「みせて」

「だめ」

「ケチ」

「何とでも言いなさい」

 女は余裕ぶった笑みを浮かべる。

「貧乳」

「おい」

「貧乳」

「モデル体型と言いなさい」

「貧乳」

「てめえ、外に放り出されてえのか」

 女が勢いよく少年の胸ぐらを掴んだ。しかし、少年はにやにやしたまま手を差し出す。

「……チッ」

 少年を突き飛ばし、女は書類を渡した。

「はいどーも」

 少年は紙の束を受け取り、読み始めた。

「えーなになに……『ホワイトラン警察署巡査失踪事件について』――」

 彼が頷きながら紙面に目を通していると、バタンと物音がして、急に体が宙に浮いた。

「え」

 次の瞬間、彼は固い土の地面に衝突し、ごろごろと転げていった。遠ざかっていく馬車の音。彼は、自分が車内から放り出されたということを理解するまでに少しの時間を要した。

「痛てて……」

 泥だらけになった体の節々を押さえながら立ち上がる。

「おい。マジかよあの女」

 少年は走り去る馬車の背中を睨んだ。車の影はだんだん遠くなっていく。

「バカ親父に似て短気なこと」

 悪態をつき、地面の上に散らばった書類を集める。

「えーと、どこまで読んだっけな……」

 少年は月明かりに照らされて、のろのろと歩き出した。



「な、何か落ちた音がしましたけど」

 馭者は戸惑ったまま、おどおどして言った。車の戸はぶらぶらと揺れて開け放たれたままだ。

「ゴミよ。気にしないで」

 何かが地面に叩きつけられた音とともに、「ぐえっ」と明らかに人の声が聞こえたのだが、面倒ごとに巻き込まれたくない馭者は何も言わずに馬の操舵を再開した。

「ふん。ガキのくせに楯突くからこうなるのよ」

 女はドアを乱暴に閉め、向かいの座席に足をのせた。手を後ろで組み、ひとり車内にふんぞり返る。暗い車内で、女は書類の報告内容を反芻していた。

 先月のことだ。

 警官が一人、行方不明になった。彼の救出活動を行った男女三人がホワイトラン市営病院に担ぎ込まれた。内一人は意識不明の重体で十数日を眠ったまま過ごした。

 事件現場であるマードックの森は封鎖され現在も立入禁止。事件は新聞で報道されず、現地警察も口を閉ざしたまま……。

 そりゃそうだ。警官が一人死んだとなれば、責任の所在を巡る問題が起きるはず。それを避けるために、警察組織の内外に結構な圧力がかかったのだろう。狭い空間で女王気取りの彼女はそう予想していた。

「生意気なこと……」

 女が笑う。まもなく、馬車はマードックの森入り口へ到着した。

 

 馬車から女が降りた。やはり力任せに扉を閉め、鞄を片手にヒールを鳴らして歩いた。

 見送りをする馭者は、彼女の顔をじっと見ていた。

「んだよ」

 女が男を睨みつける。

「い、いえ、なんでも」

 震える男を見て、チッ、と舌打ちをする。

「ぶくぶく太りやがって……」

 言われ放題の彼だったが、不思議と悪い気はしなかった。女はその汚い口とは裏腹に、美しかった。

 黒のドレスに身を包み、艶やかな黒のロングヘア―が細い腰まで伸びている。白い肌、通った鼻筋、うすい唇。整った形の瞳は見る者を吸い込んでしまいそうなほど魅力的だが、

「クソ歩きにくい。ヒールなんて履いてくるもんじゃねーな」

 愚劣な話し振りに、誰もがすぐ目を覚ます。



 森の奥まで進んでいくと、『立入禁止』の札が並ぶ一帯の先で、スコップを手に穴を掘る十人ほどの男たちがいた。その内、現場を見守っていた男が女の姿に気がつき、彼女のもとへ寄ってきた。

「エレガノビッチ様。夜遅くにようこそお越しくださいました」

 男は深々と頭を下げた。

「作業は順調?」

「はい。地下に埋もれていた洞穴を発見しました」

「結構」

 女は土をかき出す男たちの方を見ていた。周囲に灯りが設置され、穴の中に吊るされたロープを男が引っぱりあげていくと、土が満載された大きなバケツが引き上げられた。

「ククク……」

 女が笑う。

「どうしましたか」

「いえ、何でも」

 彼女は可笑しかった。汗を流して穴を掘っているこの男たちは、自分たちが何のために作業をさせられているのか、全く知らないからだ。この穴の底に、何が眠っているのかを。

 警察関係者の一人から聞き出した情報はこうだった。

 ――巨大な化け物。眼が赤く光る蟲を埋めた。

 情報提供者は笑った。『まあ、そんな怪物がいるわけないが』と。誰だってそう思うだろう。そんなものがこの世にいるわけない、と。

 そう、これは歴史に残る世紀の発見なのだ。彼女は確信していた。

「全く、愚かなアンダーソン教授。こんな宝を埋めてしまうなんて」

 「結晶生命体」。報告例が極端に少ないこの生物を、みすみす見逃すわけにはいかないのだ。

 女は闇の中で笑った。顔じゅうが引きつった、邪悪な笑みだった。


「ネエちゃん、おまたせ。ん?なんかめっちゃブスな顔してるけど」

 彼女の背後から泥だらけの少年がひょっこり現れた。


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