第15話 合わないタイプ
グレッグの研究室に籍を置いて以降も、キーファは度々メロニックの研究室を訪れていた。が、時間を変えて曜日を変えて何度扉をたたいても、彼に会うことは出来なかった。
「僕は一度、アンダーソン教授と話したことがある」
ジョッシュはスプーンでルーと米をすくった。
「それで?」
「どの研究室にしようか決めかねていると言ったら、いそいそと講義の用意を始めてくれた」
いや、あれを講義と呼べるのか……と、ジョッシュはカレーを咀嚼しながら呟いた。
「そういえばあなた、彼のことを尊敬してたわね」
「尊敬というより敬意を払っていた。十一歳で、ここレッドウォールに受かったんだぞ」
天才だ。彼はそう断言した。
「私が聞いた話では、結局今年、メロニック教授の研究室に入った新入生はいないらしいけど。あなたはどうしてあそこに入らなかったの?天才だ、なんて称賛までしておいて」
「……僕は彼の講義に、体系的で理論的な内容を期待していたのだ。だが、まず彼は僕に瓶を差し出した。中に虫が入った瓶だ」
――これは何です?
そう僕が聞くと、
――それに耳をあててごらん。
僕は言われた通り耳に瓶を近づけた。中からセミの弱々しい鳴き声が聞こえた。
――ずいぶん弱ったセミのようですが。
――ああ。その鳴き声が途切れた時、そいつは絶命して爆発する。
「僕はそれを聞いて瓶を遠くに放り投げた。すると瓶は空中で木っ端みじんに爆発したんだ」
ため息をつくジョッシュ。キーファは絶句していた。
「セミの紫色の体液が部屋中に飛び散って……最悪だった」
唖然とする僕に、彼は笑った。
――どうだい、面白いだろう?
――いいえ、全く面白くありません。
――そういわずに、ほら。こいつは爆発したりしない。
「教授は、さっきの虫が入っていた瓶より二回り以上小さい、小さな瓶を見せてくれた」
――なんですかこれは。
――ある蝶の鱗粉が入っている。キラキラ光ってきれいだろう?
彼は瓶のフタを取り、僕の手の甲に少量の鱗粉をのせた。
――たしかに、美しい光沢をしていますが……何だ?
手の甲に顔を近づけた途端、視界が歪み始めた。足元がふらついて、僕は壁にぶつかった。
「一体どうしたの?」
「鱗粉に幻覚作用を引き起こす成分が入っていたのだ。僕の横で教授はいつの間にかマスクをつけていた。結局僕は十分間、一人でドラッグ患者の気分を味わうはめになった」
話を聞いていたキーファは安堵した。あの日、グレッグの研究室に向かった自分の選択は正しかったのだ、と。
「やっぱり彼は変人だったのね」
そう言って鼻で笑う。しかし、彼女は安堵の気持ちとは別の、何かぐつぐつと沸き立つような感情を、心の奥底に察知していた。
「ああ、変人に間違いない。僕が最も苦手とするタイプの人間だった。だが、君はどうなんだ?キーファ・グリーンウッド」
カレーをきれいに平らげたジョッシュはナプキンで口元を拭きながらキーファをじっと見た。
「……どういうことよ」
「僕が君にアンダーソン教授の奇怪な講義のようすを語っている時、君は口を開けたまま僕から視線を外さなかった。君は絶句している、そう思った。しかし一方で、僕には君が、僕の話にただただ夢中で聞き入っているようにも見えたのだ」
キーファはぎくりとした。しかし、なぜぎくりとしてしまったのか、今の彼女は理由に見当がつかない。
「僕が最初、テーブルに着いていた君に声をかけた時。君がキーファ・グリーンウッドだと、僕は気づかなかった」
キーファは黙っていた。黙ってジョッシュの次の言葉を待った。不安と期待が入り混じった、そんな気持ちのまま。
「イスに座ってメニューを眺めていた君の顔は、三か月前、あの研究室で見た君とはまるで違った。別人だったよ」
だから、君が僕の名前を呼ぶまで気がつかなかった。彼はそう言いながら席を立ちあがった。
「この三か月の間に君に何が起こったかは知らない。一つだけ確かなことは、初めて顔を合わせた時から話を聞いているだけで眠くなってしまうような相手と長く付き合うのはやめたほうがいいということだ」
それでは、とジョッシュは背を向け、歩いて行った。キーファはテーブルに一人でぽつんと取り残された。
「お待たせしました、サンドイッチです」
テーブルの上に、頼んだのをすっかり忘れていたハムサンドが到着した。
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