第13話 相席
……。
……ーファ。
……キーファ?
「キーファ、聞いてるの?」
その声でキーファは我に返った。彼女の前に座るアナは怪訝そうな表情で彼女の顔を覗いている。
アナの肩越しに、食事を楽しむ学生たちの姿が見える。植物の装飾で彩られたログハウスのレストランの午後。キーファの傍らに置かれたコップは、溶け切った氷の幽霊が底に溜まっていた。
「うん、聞いてる」
キーファはコップの外側についた水滴に視線を落としたまま答えた。
「あんた、大丈夫?たしかにもうそろそろ夏本番だし、日中は特に暑さに頭をやられることもあるけど……」
でも、年中野山を猿みたいに駆け回るのが趣味のあなたにそんな心配はいらないか、と言ってアナはスパゲッティを頬張った。金髪を後ろで結び、二の腕まで肌を露出させたアナの開放的な格好は、レッドウォールに初夏がやってきたことを端的に表現していた。
入学から三か月。キーファがこのように腑抜けた面を晒しているのは、もちろん日中のレッドウォールの平均気温が三十度を目前に迫っているからではなく、入学以来あの狭い研究室の中で中年男性の耳障りな声を一日中聞いているからであり、しかし彼女は抜け殻になった自分の現状を頑なに認めず、四月は「環境の変化」、翌月は「五月病」、六月は「気圧の影響」などとアナがその慧眼による当てずっぽうな精神分析をキーファに対して繰りかえす度にそれを否定することもなく、どちらかといえばそこに自らの倦怠感の正体を求めている節まであった。
要するに退屈だったのだ。
翌日。
「ごめん、今日は私、ランチの約束してるの」と、悪びれるようすなど全くないアナと別れ、キーファはその日もあのログハウスのレストランに赴いた。そこの食事が気に入っているからとかそういう前向きな理由ではなく、単に他の飲食店を知らないからである。
レッドウォールは暑かった。街を囲む赤い壁の外を見た者は分かるが、およそサバンナじみた、荒涼としたこの土地に降りそそぐ太陽の光は容赦を知らない。大学の門を出て例のレストランまで片道五分もいらないのだが、それでもキーファの額や首筋には汗の雫がつたっていた。
ログハウスの前には、珍しいことに学生や大学の職員連中が列を成していた。炎天下の中、人と人との間に挟まれながら待機するはめになったので舌打ちの一つもしたくなった彼女だったが、かといって他に思い当たる食事処もないので、仕方なくハンカチで汗をぬぐいながら入り口のドアに吸い込まれていく人々を見守る作業に徹した。
ほどなく入店したキーファだったが、店内は人、人、人の海だった。ユニフォームの色が変わるほどフロアをせわしなく走りまわるウエイターに「すみませんが、できるだけ席を詰めて座っていただけますか」と言われた彼女は空いているテーブルをうろうろ探し回り、なんとか窓際の二人掛けのテーブルを発見した。幸い、先客はいなかった。
腰を下ろし、肩にかけていた鞄をテーブルの横において、ハンカチで顔をまた拭いた。少し気分が落ち着いた彼女はメニューを手に取り、今日の昼食のメニューを吟味し始めた。昨日はサンドイッチだったし、一昨日もサンドイッチだった。たしかその前も――、
「失礼、相席してもかまわないか。他に座れる場所が見当たらなくてね」
男の声だった。キーファがメニューから顔を上げ、「どうぞ」と言うのを待たず彼は向かいの席に着いた。
男は汗をかいていた。ストライプのシャツはボタンが二つ外れていて、胸元に流れる汗の線がはっきり見える。キーファは視線をそのまま上に滑らせた。
短く切りそろえられた黒髪に鋭い双眸。そのたたずまいは、どこか育ちの良さと知性を感じさせた。
「……もしかして、ジョッシュ君?」
キーファがおそるおそる口を開く。ジョッシュ・ケインは窓の外を見ていた二つの鋭い眼を彼女に向けた。
「キーファ・グリーンウッドか?ずっと君に会いたかった」
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