第12話 虫取り少女

 キーファ・グリーンウッド。

 交通の要所、ホワイトランの街で彼女は生まれた。

 父・母・弟・そして彼女という家族構成の中、育つ。

 小さい頃から、家の中で絵を描いたりするより、外へ遊びに出かける時間の方が多く、かといって男友達と街中を舞台に鬼ごっこをする訳でもなく、街の外の原っぱに出かけ、自然の中でひとり自由に走りまわっているような少女だった。

 父は自転車を取り扱う工務店を、ホワイトランの二番通りに構えていた。家を留守にすることが多かった母より、自転車の修理を手伝うなどして父と共に過ごす時間の方が長かったせいか、彼女はさっぱりとした性格に育った。

「娘が小さい頃は、ひとりで街の外まで遊びに行くもんだから心配でよお。かわいい子だから、いつ攫われちまうんじゃねえかってひやひやしてたぜ。

 五歳の誕生日の時、昆虫図鑑を買ってくれってせがまれたのはよく覚えてる。それからだな、あの子が虫あみ片手に遊びに行くようになったのは」


 弟は彼女の二つ下。夫婦にとって二人目の子どもである彼は幼い頃のふるまいを見た親族からやんちゃかつわがままに育つのではと心配されたが、反抗期の間、姉とのけんかに一度も勝てず、鼻が折れたのか比較的おとなしい性格の少年として成長した。

 人付き合いもほとんどせず、郊外に出かけては虫を追いかける姉は周囲から変わり者扱いされていたが、頭脳明晰運動神経抜群かつ母親譲りの愛嬌ある顔立ちから彼女は目立つ存在であり、彼女自身にその気はなくとも何かとスポットライトを向けられてしまう性分の姉のことを、世渡り上手な弟は冷静に観察していた。

「姉さん?ああ、たしかに男には困ってなかったと思うよ。とはいっても、あの人に引き寄せられるのは、変わった奴らばっかりだったけどね。だって、いい歳して自転車いじりと昆虫採集が趣味の女だぜ?おまけに真面目で勉強熱心。できた姉ではあるけど、ああいう隙のない女は色恋沙汰とは無縁の――痛い痛い、ちょっと待って、耳はやめて、おれが悪かった」


 母は役所勤務。腕の立つ女で、早くから重要なポストを任されていた。愛嬌ある顔立ちと、彼女の息子に引き継がれた優れた処世術で、同僚・取引先関わらずあらゆる人間を手のひらの上で転がすように操った。

 仕事最優先が彼女の信条であり、極めて真面目でストイック。そんな彼女と、趣味である機械いじりを職にした大らかな夫との間に生まれた女の子は、自分の興味を持った方向へ、日々の努力を努力とも思わず突き進む、まるで冒険家のような気質の女性に成長した。

 娘が幼い頃、一緒にいる時間を上手く捻出することが出来なかったと悔やんでいた家族想いの彼女だが、この前の休日に娘が父、弟と共に自転車レースを観戦しに出かけた時、体中の肌をまっ黒に日焼けさせて帰って来た娘を見て、

「色気がないのよね、あの子」

 雪のように白い肌の彼女は、つい人を惑わせてしまう自分の性質が娘に継承されなかったことを、それはそれで正しい選択だったのではないかと思い、笑った。

 そんな三人の家族とともに生活し育った彼女は、十九歳の春、念願のレッドウォール大学に合格し、大好きな昆虫の日々を送るつもりだった。



……。

……君。

……グリーンウッド君。


「キーファ・グリーンウッド、起きなさい」

 いつのまにか机に突っ伏していた頭をキーファは持ち上げた。

 教壇に立つグレッグ教授は彼女を睨みつけていた。よだれが垂れた参考書を慌ててめくり、黒板にメモされているページ番号を開く。

 キーファは連日、こんな調子だった。研究室での生活は、彼女が思い描いていたものとは違った。

 講義では、昆虫研究の長大な歴史と、功績を残した人物、現在の先行研究が成立するまでの過程を、各分野にまたがって延々、延々と教えられた。その内容に、キーファがこれまで独学で学んだことと重複するものもあり、そうでないものも多くあったが、閉じた空間で椅子に縛り付けられたまま人の話を長時間聞かされ続けるという講義の性質それ自体が彼女の性格と致命的に相性が悪かった。

 終業の鐘が鳴り、教授や生徒たちは研究室から出ていった。キーファは板書を写し終えていないノートを開いたまま、そこに顔をうずめた。


「……つまんない」

 彼女は退屈だった。

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