第5話 新たな犠牲者

「牛を拉致したのがだって?……メロニック博士は本気でそう言っているのか」

 その日の午後、キーファは彼女が通うレッドウォール大学へ向かった。メロニック研究所から南に三キロ、ホワイトランの街から汽車に乗り約一時間揺られると、赤い岩壁に囲まれた小都市が見えてくる。その中央にそびえ立つ煉瓦造りの城がレッドウォール大学だ。

「ええ。突飛な発想だとは思うけど」

 汽車を降りたキーファは大学の周囲に林立する宿舎やレストラン、図書館は無視してまっすぐ大学内の哺乳類動物研究室へ走った。大学第二棟三階、哺乳類動物研究室の扉をノックすると、ジョッシュが迎えてくれた。ベラッティ博士は席を外しており、代わりに彼が解剖結果を見せてくれることになった。

 二人は研究室の奥、解剖室へ入った。

「しかし、メロニック博士のことだ。何か考えがあるに違いない」

 ジョッシュは白い手袋をキーファに渡した。二人は両手にそれをぴっちり装着する。

「……何よ、普通に私とも会話してくれるじゃない。農場で会った時のあれは一体何だったの」

 キーファがじろりとジョッシュを睨んだ。彼はすこしも気にする素振りはなく、

「ベラッティ博士は女性に目がないのだ。事件の調査中だというのに、キミが来た途端あの調子だ。それでは困るんだよ」

 検死の調書をパラパラとチェックしていた。

「ふーん、そういうこと……」

 キーファは腑に落ちたような、そうでないような微妙な表情だった。

「これが解剖結果の報告書だ、豚の方はまだ作業途中だが。牛はこっちにいる」

 解剖室の中央には鉄製の台があり、その上に体中に切れ込みが入った牛が横たわっていた。銀色のトレイには、鋭いメスが三本。

「切り開いて体内を観察してみたが、やはり心臓や肝臓、腸などの器官はなかった」

 ジョッシュが四角形の細い線が入った皮の部分を持ち上げる。体内は空洞になっていて、ジョッシュの言う通り臓器や他の体内組織は見られなかった。

 キーファは中のようすにじっくり目を凝らしていた。彼女は何かを思い出したようにポケットを探り小さなメモを取り出した。

「……体内の外側に近い箇所に規則的に並んだ窪み、これのことね」

 キーファは表皮のすぐ裏側の、体内の肉が切り取られた部分との境界を指差した。注意深く見てみると、そこにはたしかに等間隔で幅五センチほどの窪みが連続していた。

「見て。この窪みは肉蜂の幼虫が食べつくしたリスの解剖図と構造的には同じなの」

 キーファはかばんから紙を一枚取り出した。そこにはリスの解剖図が丁寧にスケッチされていて、体の大きさこそ違えど、目の前にある牛の解剖と極めて近い体内構造を表していた。

「確かに解剖結果は酷似しているが……しかし……」

 ジョッシュは何か言いたげにしたが口をつぐんだ。キーファには、彼が言おうとしたことは手に取るように理解できた。彼女も同じことをずっと考えている。

 そんなに巨大な昆虫がいるわけない、と。

「そんなこと、あるわけないでしょうあなたたち」

「わっ!ベラッティ博士、びっくりした……」

 いつの間にか二人の背後にベラッティが立っていた。なぜか、不機嫌そうな顔でジョッシュとキーファをじろじろ見ている。

「まったく、神聖なる私の研究室で何イチャついてるんデスか、けしからん」

「博士は検死結果をどう見ていますか」

 ジョッシュはベラッティの小言をまったく無視した。ベラッティは台に近寄り、虫眼鏡で牛をじっくり眺める。ジョッシュからリスの解剖図面を受け取って交互に見た。

「たしかに、この図にあるとおり、牛の解剖結果は肉蜂の幼虫がげっ歯類の体内を食べてしまった状態に似ている。また、これを人間の仕業だとも考えにくい。口からナイフを突っ込んで、あらゆる臓器を取り除くなんて誰が出来る?仮にそれが可能だったとして、切り取ったときの傷がきれいな等間隔にならないだろう」

 ベラッティにおちゃらけた雰囲気はなかった。

「――しかし、牛を持ち上げて巣まで持って帰るような化け物じみた蜂がいるのか?そんな生物が、なぜ存在する?」



 ……どたどたどた。

 階段をせわしなく昇ってくる音が聞こえる。

 ノックもなく、ドアが開いた。

「博士、大変です!」

 髪を振り乱したキーファが立っている。ベッドでうずくまっていたメロは目をこすりながら、

「……どうしたんだい」

「新しい犠牲者ですよ!」

 キーファは新聞を前に突き出した。一面に大きな見出しが載っていた。

 ――『恐怖!森の悪魔に連れ去られた男』。



「……キーファ君。僕が言うのも何だが、肉蜂の仕業だと断定するには早いんじゃないかい?」

 テーブルについたメロは相変わらず頭を爆発させ、目は半開きのまま、寝ぼけた身体にコーヒーを流し込んでいた。

「そういうことは記事を読んでから言ってください」

 キーファは鼻息荒く、新聞をメロの目の前に叩きつけた。


 ……マードックの森で悲劇が起きた。夜七時頃、マードックの森入り口で警備にあたっていたジョンストン巡査が姿を消したのだ。彼と共に行動をしていたベン巡査は当時の様子を恐怖に怯えながら語った。

 『森の奥からプロペラが回ってるような音がしたので、私とジョンストンは灯りを持って音がした方へ向かいました。しかし、辺りを見回してもそれらしい影はありません。入口の警備を疎かには出来ませんので、私は彼より一足先に戻ろうとしました。

 すると、後ろから恐ろしい悲鳴が聞こえました。振り返り声のした場所へ走ると、そこには真っ黒な怪物がジョンストンを抱えて空中を飛んでいました。私はそれを見て腰が抜けてしまい、奴が彼を連れ去っていくのをただ見ていることしかできませんでした』……。


「マードックの森と言えば、観光施設が造られる予定のところじゃないか」

「そうです。肉蜂も巣を作っているに違いありません」

 メロは食べかけのパンを口に詰め込み、革の肩下げかばんに新聞を押しこんだ。

「ひーはふん。ははほほーいひへふえ」

 『キーファ君、馬車を用意してくれ』、とふがふが言うメロの願いは即却下され、五分後の二人は再び馬の上にいた。

「き、キーファ君、スピードを出し過ぎじゃないかい?」

 キーファはさかんに鞭を入れる。馬はどんどん加速していく。

「だって博士、これは一大事ですよ。いてもたってもいられないじゃないですか!」

 無残な姿になって発見された牛と豚。連れ去られた新たな犠牲者、森に棲まう黒い怪物。これらはキーファの好奇心を奮い立たせるには十分すぎたようだ。

 



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