第4話 肉蜂

 酷く痩せこけた牛と豚の死体を、メロは注意深く観察していた。

「間違いなく死んでいる。だが、目立った外傷なし。それどころか血液の付着もない」

「注目すべきはやはり身体の体積が著しく減っていることです。体の中に備わっているはずの臓器の大部分がないのだと思われます」

 私見を述べた後、ジョッシュは白い手袋をはめて牛の身体をつついた。指が跳ね返されるような感触は皆無だった。

「詳しい検死は解剖しないことにはわからないデスが、この哀れな家畜たちの内臓や血液を吸い取ってしまった人間がいるのでしょうね」

 ベラッティはそう言って鼻をフンと得意げに鳴らした。

「仮にそうだとして、犯人はなぜ残った表皮をここまで持ってきたんでしょうか」

 キーファは腕を組んで低く唸った。ベラッティは彼女に向かってキザな笑みを浮かべ、

「そいつはきっと人の注目を集めたいサイコ野郎なのデスよ、ミス・キーファ」

 白い歯をキラリと光らせた。

「マーク・ガーストンさん。すでに事情聴取は取られたと思いますが、もう一度当時の状況を説明していただけますか」

 メロがマーク・ガーストンに問いかけると、彼は胸を張って威勢よく答えた。

「ええ、任せてくださいメロニック博士。

 ポポピグがいなくなったのはちょうど一週間前の四月二日。その日は家畜たちの身体を洗ってやる日でした。洗うのは僕とうちの親父、オーエン・ガーストンです。父は一匹一匹を念入りに洗ってやるので、牛と豚を何回かに分けて母屋の前――僕たちが今いるここです――まで連れてきました。小屋の中を汚すわけにはいきませんし、ここは水はけがいいですから。

 夕方、あと残すのは牛と豚それぞれ一匹ずつになりました。ほかの牛や豚は先に小屋に戻しました。最後の仕事にとりかかろうとした時、うちの母が慌ててやってきました。ある牛が産気づいたのです。僕と父は急いで母屋に向かいました。

 それから三十分ほどして、牝牛のようすは落ち着きました。僕たちは一安心してここに戻ってきましたが……そこに二匹の姿はありませんでした。

 僕と父はあたりを探し回りましたが見つかる気配もありません。警察に届け出を出し、知り合いの手も借りて捜索を続けましたが手ごたえはなし。そしてとうとう昨日、農場の夜の見回りを終えた父が母屋まで戻ってくると……」

「二匹は連れ去られた場所に転がっていたと。なるほど、ありがとうございましたマークさん。犯人は必ず暴いてみせます」

 メロはマークの手をぎゅっと握った。二人は熱い視線を交わしていたが、メロの背後に立っていた派手な格好の男が無造作な髪をたたえた後頭部を小突いた。

「何を一丁前に。探偵気取りデスか?少年ボーイ」

「探偵ではなく研究者だ、ベラッティ博士。それに、これはあなたの仕事でもあるんだ」

「ふん……そんなことは分かっている。メロニック博士、この家畜の成れの果ては私の研究室に持ち帰らせてもらいます。詳しい検死結果が知りたければ、直々に足を運ぶことデスね」

 くくく、とベラッティは趣味の悪い笑い声を上げながら母屋の中に入っていった。ジョッシュもその後ろについて行ったが、母屋の扉の前で立ち止まるとパッと振り返り、

「女、キミは来なくていい。メロニック博士はいつでもおいでください、我が研究室一同が歓迎します」

 そう言い残して扉の奥に消えた。



「……あの男、博士にだけ甘くて、私のことは呼ばわりですよ。ほんと嫌な奴」

 眉間にしわを寄せたキーファはずずず、とコーヒーを啜った。ガーストン農場を後にしたメロと彼女はメロニック研究所に帰ってきていた。二人は朝と同じように向かい合ってテーブルについていた。

「今度僕から彼に言っておくよ。君の機嫌を損ねるようなことはもうやめてほしいからね」

 天井を睨みつけるキーファの向こう側、マグカップを手にしたメロの顔はまた真っ白になっていた。ジョッシュの口撃をその場では受け流したキーファだったが、その分、帰り道で彼女が馬を操る手綱さばきが荒れ模様になった。結果、メロは馬嫌いと乗り物酔いを併発することになった。

「結局あのまま帰ってきちゃいましたけど、よかったんですか?博士」

「あそこにあの死体以上の手がかりがあるとは思えないからね」

 コーヒーをぐいと呷ったメロは、ふう、と息を吹き返し、イスから立ち上がって大部屋の壁際に置かれた本棚に近寄った。

「博士。この事件について、何かしらの予想はもうついているみたいですね」

「……いや、まだ仮定の域を出ない」

 メロは縦五段のうち一番上の棚に手を伸ばし、ぶ厚い研究書を取り出してページをめくった。

「キーファ君、肉蜂ニクバチの生態は記憶しているかい」

「……ニクバチ?」

 キーファが首をひねる。メロは手に取った本を彼女の前に広げた。

「肉蜂はその名のとおり肉を食べる。手近な動物を巣に持ち帰り、卵から孵った幼虫はそれを食べて成長するんだ」

 メロが開いたページには、全身が黒で塗りつぶされた蜂の図が載っていた。普通の蜂とは規格外の大きさで、体長が十センチを超える個体も存在する。

 肉蜂はおとなしい哺乳動物を狙い、お尻の針で刺すと獲物の全身を麻痺させる毒で動きを封じ、強靭な腕力で巣に持ち帰る。持ち帰った餌は幼虫と同じ部屋に入れられ、幼虫は餌の口から体内に侵入し、中の臓器を食い尽くして成長するのだ。

 幼虫が食い荒らして残った皮膚などの部分は、オスの親個体が巣の外へ持ち出す。そして餌を捕獲した場所まで持っていくが、この習性についてはまだ研究が十分にされていない。一説によると、他の肉蜂へ縄張りをアピールする行為とされているが、信憑性はいまいちである。

「……待ってください、博士」

 研究書に目を通していたキーファの顔は青ざめていた。

「通常の肉蜂が狙うのはリスやネズミといった小型のげっ歯類が主です。でも、今回の事件で犠牲になったのは牛や豚たちです。普通の肉蜂じゃ、とてもじゃないけど巣に持ち帰るような真似は出来ませんよ」

 そう言ってキーファは黙り込んでしまった。メロは何も言わずキーファの言葉を待っている。

「もし牛を持ち上げるような肉蜂がいるとすれば、そいつは一メートル以上の馬鹿みたいな大きさのやつですよ。そんなの、考えられません」

 再びキーファは黙り込んだ。部屋の中を居心地の悪い静寂が支配する。

「あくまで仮定の話だ、まだ断定はできない。とりあえずはベラッティ博士の検死報告を待とう」

 メロは自分のイスに戻り、途中まで手をつけていた論文に筆を走らせ始めた。キーファは黒い肉蜂の姿を見つめたまま動かない。彼女の傍らのコーヒーはすっかり冷めきっていた。


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