第3話 奇妙な死体

 ガーストン農場はメロニック研究所から東に五キロほど離れた場所にあった。大きな母屋には牛二十、母屋から数十メートル先にある離れの小屋に豚三十が飼育されていた。母屋の裏手には放牧用のスペースが広がっている。

 馬に乗ったメロとキーファが農場の前に到着した時、母屋の近くに二十人ほどの人だかりができていた。二人が通ってきた大きな道から脇に入ると、農場の母屋まで細い道が続いており、その中ほどでキーファはひらりと馬から降りて、手近な木の柵に馬を繋いだ。彼女は身体をかるく撫でてやった。茶色の毛並みが美しい馬だった。

 メロは馬を刺激しないようにゆっくりとした動作で鞍から降りた。小さくなってキーファを追いかける彼の背中を見て、馬はうしろから唸り声を浴びせた。メロはさらにびくついて、キーファのもとに小走りで駆け寄った。

「腰が引けてると、彼にナメられちゃいますよ」

 そう言ってキーファは、もともと白い顔がいっそう白くなっているメロの表情を覗き込んだ。彼は唇をぷるぷる震わせて、

「……帰りのことは考えたくないな」

 キーファと並んで歩くメロには、新聞を調子よく読み上げ変顔を披露する研究所での面影は全くなかった。

「それにしても、たくさん人がいますね」

 母屋の前の人だかりを見て、キーファは独り言のように呟いた。群衆は子どもたちや中年の女、白髪の老人など近くの農場の住民と思われる人々の他、カメラを手にした記者連中も見受けられた。未知の事件への興味か、または単なる野次馬根性かを働かせた彼らの前には警官が立ちふさがり、行く手を遮っていた。

 メロとキーファは列の一番後ろでぴょんぴょん飛び跳ねていた。人混みのせいで、その奥にいるであろうポポとピグの姿は見えない。

「キーファ君、肩車してくれ」

 数回の跳躍で疲弊したメロが肩で息をしながら言った。

「いやです。というか、むしろ博士がしてください」

 キーファはそう言って、彼女の前に陣取る体格のいい男の上になんとか顔を出そうと背伸びしている。

「君のほうがでかいんだから、君が下になった方が合理的だろう」

「でかいですって?」

 キーファが横のメロを睨む。

「なんですかその言い方……まあ仕方ないですね。事実、博士ちっこいですし」

 それを聞いてメロも挑発するような視線を向ける。

「たった五センチの差だ」

 そうやって二人はお互いの揚げ足を取り続ける。野次馬たちの関心は、彼らの後ろで騒ぎ立てる二人の男女へと移りつつあった。小言をぶつけ合うメロとキーファを見て何やらひそひそと囁いている。その時、メロたちの後ろに何者かが近寄ってきた。

「あれ、あなたメロニック博士じゃないですか」

 犬と猿のように火花を散らせていたメロとキーファは、不意にかけられたその言葉に振り返った。そこにいたのは、オーエン農場の主オーエン・ガーストンの息子、マーク・ガーストンだった。

「マーク・ガーストンさん、お久しぶりです。その節はどうもありがとうございました」

 メロは姿勢を正してマーク・ガーストンにお辞儀をした。マークは短く刈った金髪をわしゃわしゃと掻きながら会釈した。

「いえいえ!お世話になったのはこちらのほうですよ、博士。あの厄介な虫を追い払ってくれて感謝のほかありません」

 そう言ってマークは快活に笑った。大きな胸板がゆさゆさ揺れる。

 以前、マーク・ガーストンは農場内に現れた出所不明の害虫に手を焼いていた。木を蝕むその虫のせいで、豚を囲っていた柵が崩壊し、ほとんどの豚が逃げ出してしまったのだ。自分の手に余る事態だ、と頭を抱えた彼はメロニック研究所を訪れ、害虫の駆除を依頼したのだった。マーク・ガーストンのほかにも、虫に関する専門的な知識を頼ってメロのもとにかけこんでくる依頼人は多い。学者という、世間から浮いた職業ではあるが、メロニックの名は市民たちにもそれなりに知られていた。

「ガーストンさん、あなたの農場でお痛ましい事件が起きたと聞いてやってきました。何かお力になれることはありますか」

 キーファは心底心配そうな表情を浮かべた。彼女にも、研究所でメロの力説をせせら笑っていた時の面影はない。

「ええ、あなたたちがいれば百人力ですよ。どうぞこちらへ」

 メロとキーファは大柄なマーク・ガーストンに連れられ、警官の横を通り過ぎた。制服をぴしっと着こなした警官は部外者二人に対し警戒をみせたが、「メロニック博士と助手のキーファさんです、捜査の力になってくれますから」とほほ笑むマーク・ガーストンを見て無言で了承の態度をとった。

「調査は朝から始まってます。警察と……そうそう、専門家の方にもお越しいただいています」

 専門家?とメロは表情を曇らせた。マークが指した母屋の前には警官二名と、他にも男が二人、何かを囲うようにして地面にしゃがみこんでいた。

「メロニック博士。こちら捜査に協力してくださっているベラッティ博士です」

 マークはクマのような笑顔で言った。しかし、ベラッティと聞いて、メロとキーファは「う」と小さくえずいた。

「……メロニックですって?」

 地面に屈んでいたうちの一人がマークの言葉にぴくりと肩を震わせた。そしてしゃんと立ち上がり、振り返った彼は不気味なほどよい姿勢でメロとキーファのもとへ寄ってきた。

「これはこれは、まさかと思いましたがあなたデスか、メロニック博士」

 ねっとりとした言いまわしの男はウェーブのかかった暗い色のロン毛を垂らし、胸元には白いレースのリボン。派手な紫のジャケットに淡い空色のスラックス。さらに先のとんがったぴかぴかの革靴で着飾っていた。土臭い農場においてその貴族じみたは浮きに浮いていた。

「どうも、ベラッティ博士。こんなところで会うとは」

 メロは動揺を隠すように、先ほどマーク・ガーストンにしたお辞儀をそっくりそのまま繰り返した。ベラッティはくくくと笑って、差し出されたメロの乱れた頭をぽんと叩いた。

「寝ぐせがひどいデスよ、お子さま教授」

 メロは頭をさげたままむっとした表情をベラッティに向けた。しかし彼はそんなことはお構いなしという風で、今度はキーファへと向き直り膝を折って深々と首を垂れた。

「ご機嫌うるわしゅう、ミス・キーファ。今日もあなたは輝いておりますね」

「え、ええ。こんにちは、ベラッティ博士」

 キーファはどこか引きつった笑顔を取り繕った。ベラッティが彼女の手を取ろうとした時、奥からもう一人の男がやってきた。

「ベラッティ博士、そんな女など放っておけばいいのです。会話など以ての外、時間の無駄でしかありません」

 彼は跪くベラッティをぐっと持ち上げ、膝についた土埃を羽箒でさっと払った。男は背が高く、短く切りそろえられた黒髪は鋭い双眸を際立たせていた。焦げ茶のスラックスをサスペンダーで留め、ストライプのシャツに袖を通した姿は育ちの良さと知性を感じさせた。

「……ジョッシュ、あなたも相変わらず口の減らない奴ね」

 キーファが辛うじてたたえていた笑みは崩れ去り、今度は毛を逆立てた猫のように目を細く光らせていた。

「メロニック博士、ご無沙汰しております。こちらへどうぞ」

 そんな彼女は無視して、ジョッシュはメロニックを先導した。二人に続いてベラッティとキーファも母屋の方へ向かう。

「気を悪くしないでくれよ、ミス・キーファ。うちの助手は優秀だが他人に厳しくてね」

 ベラッティはうしろを歩くキーファの手をとろうとしたたが、彼女の右手はそれをするりとくぐり抜けた。

「ところで、被害者は一体どんな状態なんですか、ベラッティ博士」

「ああ、あの家畜かい。実に奇妙な死に様だよ。二十年の間、哺乳類を研究してきたが、あんなのは見たことがない」

 キーファはしゃがみこむメロとジョッシュの上からを覗き込んで「わっ」と短い悲鳴を上げた。ポポピグは地面に横たわっていた。二匹はげっそりとやせ細り――というより、中身を根こそぎ吸い取られてしまったかのようにしぼんでしまっていた。彼らの表面の皮だけが、そこに並んでいた。


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