「氾濫していく差異」

「篠宮さんって変わってるね」と、よく言われるけれど、どこが変わっているのかを誰も語ろうとはしないのだから、そのレッテルの根拠――もしくは起源といってもいいけれど――はどこにあるのだろうかと思って考えてみると、おそらく距離の問題なのだろう。距離というのはこころのとか、からだのとか、そうしたことではなくて、もっと比喩らしい比喩で、つまり度の強い眼鏡をかけて望遠鏡で覗かないかぎり、私という存在につけられている無数のラベルを捕捉できないから、だからこそ、互いに互いが持つラベルをつきあわせて共通項を全く見つけられず、ただ差異だけが強調されてしまうのだ。


 それゆえの孤独だからといって、私から連中へとすり寄ろうとはせず、そうした言説への反抗として、自分というものを正確に理解されないように、あえて努め、即ち周りとの差異を無数に創出する装置と化すことによって、つまり、あの連中とのズレを強調し、彼ら彼女らが信奉し内面化している普遍的な規範に従順でないことをひとつの美徳としている。それは反抗という受動的な形であるかぎり、右ならえという号令でみなが動き出したあとに左にならうという態度とならざるをえないが、そうした指示に無批判に従うあの連中には見えない景色、彼ら彼女らの背後にあるものを知り尽くすことができる。

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