第5話

 『フォーチュンクッキー』のギルドの台所にいたのは、ひとりの見知らぬオッサン。

 ホームレス以下の、ボロボロで薄汚れた格好をしている。


 それだけでも驚きだったのだが、その場に駆けつけたギルドメンバーを驚かせている要因は別にあった。

 オッサンは台所の隅で、


『失敗作ですので、絶対に食べないでください。ゴミの日に捨てます』


 と厳重に注意書きされたクッキーを、文字が読めないかのように貪っていたのだ。


 それだけならただの盗み食いだが、ギルドメンバーたちの反応はまるで、誤って毒を食べてしまった人を見るかのよう。

 人混みをかきわけて、ギルドの幹部3人娘が飛び出した。


「ちりんちりんっ!? そのクッキーを召し上がってはいけません!

 お腹がペコちゃんなら、他のものを差し上げますから!」


 首のカウベルをけたたましく鳴らしながら、大聖母ママベルが止める。

 血相を変えた制止であったが、オッサンは「いいよ、これで」とクッキーを手放そうとしない。


「く……空腹なのはわかるけど、それだけは食べちゃダメ!

 そのクッキーには、『塩』が入っているのよ!」


 まるで毒が入っているかのように、『塩』を強調する聖騎士オネスコ。

 しかしオッサンは、つまんだクッキーをひょいと口に放り込む。


「ああ、そうみたいだな。塩味が効いててイケるよ」


 止められない止まらないといった具合に、塩クッキーの山をバクバク頬張るオッサン。

 完全に、事の重大さを理解していないようだった。


 ついに、ギルド長のプリシラが前に出る。


「おじさま、それは『フォーチュンクッキー』といって、物欲神センサー様の力を込めて焼き上げたクッキーなのです」


 『フォーチュンクッキー』はこの世界の冒険者における、必需品のひとつとされていた。

 材料は、儀式で浄めた小麦粉と紙片。


 生地には必ず砂糖を練り込み、クッキーに成型したあとに、中に紙片を入れる。

 紙片は白紙なのだが、焼き上げられたときに運勢が書き込まれる。


 冒険者はクエスト前になると、必ずそのクッキーを食べて冒険の成功を祈願。

 そして中に入っている紙片を見て、クエストにおける剥ぎ取りや、宝箱から入手できるアイテムの運勢を占うのだ。


 プリシラは重苦しい口調で、オッサンに告げる。


「塩で焼き上げたフォーチュンクッキーは、すべて凶運となり、食べたものに災いが降りかかるのです……!」


 ギルドの台所にあった、塩フォーチュンクッキー。

 それは今朝がた、プリシラがうっかりミスで砂糖と塩を間違えて作ってしまったものである。


 プリシラは慌ててクッキーを作り直す。

 失敗作には、誰かが間違って食べないように厳重な張り紙をしておき、あとで処分するつもりでいた。


 常識的な考えを持つ人間ならば、塩フォーチュンクッキーを食べてしまったとわかるや、命懸けで吐き出す。

 そして吐き出したところで、凶運を避けるためにしばらく冒険を休むほどであった。


 しかし目の前にいるオッサンは、ここまで聞かされてもなおクッキーをつまむのをやめない。

 ただひとつだけ行動に変化があって、いままで種のようにペッと吐き捨てていた占いを、手に取って見るようになったことくらい。


 『大凶』と書かれた紙片を目にした途端、周囲のギルドメンバーは我が事のように悲痛に顔を歪める。

 しかし、オッサンだけは笑っていた。


「はは、本当だ。ちゃんと全部『大凶』になってやがる。

 塩でクッキー焼いたくらいで占いを悪くするなんて、物欲センサーとやらもずいぶん小せぇヤツなんだな」


 台所内にざわめきが起こる。


「ぶっ、物欲神センサー様を、呼び捨てにするだなんて……!」


「それどころか物欲神センサー様を、小さいヤツ呼ばわりとは……!」


「こっ……こ、このオッサン、狂ってやがる……!」


 オッサンは、傍らにあった瓶をぐいっとあおる。。


「ただのクッキーを拝むどころか、その中の紙きれで一喜一憂するだなんて、お前らもずいぶんヒマだなぁ。

 そんなの、作ってくれたその子に失礼だと思わねぇのか」


 瓶を持ったままの汚れた手で、ピッ、とプリシラを指さすオッサン。

 少女は虚を突かれ、「えっ?」となる。


「こんなにうまいクッキーだってのに、お前らは占いばっかり気にしてやがる。

 それに拝むんだったら、どこにいるかもわからねぇ女神なんかじゃねぇだろう。

 真っ先に、作ってくれたその子に感謝するべきだ」


 オッサンはクッキーをかみ砕いたあと、とうとう占いの紙を吐き出すのも面倒になったのか、いっしょにゴクンと飲み込んでいた。

 もはやどこから突っ込んでいいのかわからず、唖然とするギルドメンバーたち。


「いやあ、しかしこのクッキーはうめぇなぁ、酒のアテにピッタリだぜ」


 「酒!?」と誰かが言った。


「ああっ!? コイツ、ギルドの酒まで飲んでやがる!?」


「ふ、ふざけやがって! この酒は、ギルドが昇格したときに飲むはずだった、祝いの酒だったんだぞ!」


「いったい何者なんだ、コイツ!?」


「誰でもかまわねぇ、叩き出してやる!」


 オッサンとギルドメンバーの間に、一触即発の空気が生まれる。

 しかしそれはすぐに、新たなる驚きによって霧散した。


「くっ、ふふっ、ふふふ……!」


 それは、肩を小刻みに振るわせるプリシラの存在。

 彼女はプリシラは初めて沸き起こる感情を抑え込むかのように、うつむいたまま身体を抱いている。


 しかし、抑圧できなかった。


「うふっ! うふふっ! うふふふふっ! うふふふふふふふっ!」


 とうとう弾ける笑顔が飛び出す。

 口を押え、お腹を押え、涙を浮かべるほどに爆笑していた。


 それはギルドメンバーにとって、印籠50個分にも相当する驚愕。

 絶叫どころか怒りも引っ込み、瞬きもわすれるほどの光景であった。


「う……うそ、だろ……?」


「プリシラ様が、笑った……」


「いつも悲しい顔しかなさらなかった、プリシラ様が……」


「こんなに楽しそうに笑うだなんて……」


「は、初めて見た……!」

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