第12話 中を浮く赤子(弐)
手を離すと、駅員さんは思い出し思い出し、叶夢さんであろうその人の事を話てくれた。
「その人な――ほら、ここんとこに大きな蝶々の絵が入ってたやろ?それが珍しくて、よく目に付いてたんだ。
確か・・・朝早くと、日暮れ頃か。
良く見かけたと思うよ。
だけど残念やな・・・最近は、あまり見なくなった気がする。
ごめんね、これじゃ全然駄目やよね――」
心霊を見て、怖くて使わなくなったのだろうか?
「いえいえ!お忙しいのに御協力頂いけただけで凄く嬉しかったです。
本当にありがとうございました。
お仕事、これからも頑張って下さいね」
何やら考え込む探偵の分も、飛びっきりの笑顔でしっかりと御礼を伝えると、今度は優しい駅員さんが、目を潤ませながら私の手を強く握る。
「長年働いてきたが、こんなに優しい言葉を頂いたのは初めてです。
あなたの様な人は、きっと御天道様が見てる。
妹さん、必ず見つかりますよ」
私達は、優しい駅員さんと別れて駅のホームを見回る事にした。
阿下鬼駅のホームは、両サイドに上り、下りが着くといった良く言うとシンプル。悪く言うと簡単。
な造りで、木造とまではいかなかったがかなり古い物のようだ。
剥き出しのコンクリートや鉄骨の痛み具合、電光板ではなく、小さな丸い針時計の下に貼られた紙の運行表。
雨風で色抜けすり減った、薄らと青が残る横長のプラスチックベンチ。
点々と付けられた心許無い丸い黄灯。
その全てがこの空間を不気味に浮き立たせている。
周囲が何も無く暗いせいか、世界がここだけになったような不思議な孤立感に襲われ、それが徐々に不安を煽らせる。
この駅は、あまり長く居たいとは思えない独特の空気を滞留させているようだった。
「ねぇ、どう?いたの?
用が済んだなら、出来れば早く帰りたいんだけど・・・」
ホームをあちこち眺めた後、淵から深く闇が溜まる線路を見下ろして、ブツブツ独り言を垂れ流している探偵に、私は痺れを切らして投げ掛けてみるが、反応する素振りもない。
仕方が無いので、私はため息を吐いてしゃがみ込んだ。
こんなのは今に始まった訳では無い。
いつもこうして散々振り回されるのだから、いちいち怒ってなんかいたって、拉致があかない事くらいもう分かってます。
仕方ない。そう仕方ない事なの。
要は学習ってやつね。
そうそう学習したのよ!
私って凄いわぁー。
そんな事を思いつつ足を曲げると、思ったよりも両足の肉と膝の骨、腰周りの筋肉に疲労が溜まっていた事に気付く。
足を曲げた瞬間、ジワーっと広がるムズ痛さがなんとも心地よい。
腰の張り詰めた筋肉は、握力で押し込んだ親指達の侵入を尽く阻止し、私の快楽への欲求は、表皮の面程で完璧に押し
今晩はちゃんと浮腫み取らないと、明日筋肉痛酷くなりそう・・・
湯船溜めてしっかりケアしなくちゃな・・・
あー、自販機くらい置いといてよ。ケチね。
その時、無防備な両耳へ微かに滑り込んだ音が鼓膜を揺らす。
それは、ザッ。ザッ。と一定のリズムを刻み大きくなる。
私と探偵しかいない、夜更けのオンボロ駅に横たわる重く冷たい静寂を、引き裂くようにして響くそれは、間違いなく足音のそれだ。
何で!?二人しか居ない筈でしょ――!?
まさか心霊!?
いや、叶夢さんの絵では赤ちゃんだったし・・・それに晴美には足が無かった・・・。
も・・・も、もしかして――、お化け!!?
「・・・・・・あのう・・・」
突如背後より震えるような囁き声。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!」
「うわぁぁーーぁああ!ど、どうしたんです?!大丈夫ですか?」
――そこには、駅員さんがいました。
「な、なんだ――、脅かさないでくださいよ・・・。唯でさえ――」
――不気味。と言おうとして口を噤む。
確かに驚かされた事には少し腹を立てたけれど、長年勤めこれからも毎日のように通うだろう職場を不気味だなんて言うのは忍びない。
「確かに――ですね。実は私も夜は未だに慣れんのです。すみません」
駅員さんが、辺りを眺めて帽子を触るので、私は思わず笑いが漏れそうになって手で口元を隠した。
「いえこちらこそ、ごめんなさい。
それで、何のご用事で?」
それで思い出したように、駅員さんは私達にとんでもない重大情報を告げる。
「そうだ、君らが乗ってきたので今日は最後だよ。そろそろ私も終いなんで、閉めたいんだけど、いいかい?」
それはもう、どうしようもなく優しい笑顔で――。
「「何だってぇぇーーーーーーー!!!!」」
若男女の絶叫にも似た叫び声は、空の駅に反響して静かな田舎の夜闇に消える。
「どうして最終便だと最初に言わないんだ!!何たる職務怠慢か・・・呆れて物も言えんな」
はて、先程までは聾だったような探偵だが、摩訶不思議な事に駅員さんの声は聞こえるご様子で、此方へ近寄るやいなやお得意の猛毒を浴びせかかっている。
ちょっと・・・素が出てるわよ、素が。
そろそろ止めないと、せっかく偽った背景が台無しになりそうなので、私は怒れる探偵を引きずって渋々駅を後にする他なかった。
「もう、私が居なかったらどうなってた事か!
アンタ今までどうやって捜査してた訳?もしかして、全部手塚さん任せだったとか?」
街灯も無い真っ暗な夜道を宛もなく歩く。
全くどうして、こんな事になったのやら・・・。
「手塚だと?ハッ、彼奴はおこぼれ欲しさに付いて回るコバンザメだ。まぁ、使い勝手がいい内は置いておくのも悪くはないがな」
「またそんな言い方して――。
そんな事言ってるといつか一人になるわよ?
寂しくないの?」
『馬鹿言え!五月蝿い虫が消えて清々する――』
と、間髪入れず返ってくる。
なんて、タカをくくっていたのだが――
一向に返事が聞こえてこない・・・。
うそ・・・思ったより人間関係とか気にしてたの!?
いやぁ、どう見ても友達とか少なそう・・・って言うかボッチよね。
心霊の事もだけど、不気味なオカルト系が全面に出てるし・・・極めつけはあの性格ね。
毒舌ツンツン人間嫌い大王様なんて、どんな神のような紳士も、女神のような淑女もしっぽを巻いて逃げ出すってなもんよ・・・。
とはいえ、真っ暗な夜道で二人、普通の人には無言で歩き続けるには限界という物があるの。
段々歩くリズムも歩幅もぎこちなくなるの。
仕方ない、言葉にしたのは私なんだ。
何とかフォローを――
そう思い数歩後ろを歩く探偵の方へ振り返る。
と、振り返り際視界をふわりと柔らかな影が横切って、甘く爽やかな余薫を残した。
目で追うと、そこには杖をつく探偵の背があり、私の足取りがぎこちないでいた為に、遅足の探偵に抜かされてしまっていたのだ。
「ちょっ、ちょっと!」
澄ました調子で歩く後姿に、あーだこーだと考えていたのは私だけだったのかと、何だか腹立たしくなって思わず呼び止めると、探偵が事の他簡単に立ち止まって『何だ?』と振り返るので、私は慌てて文句を考えねばならなくなってしまい、咄嗟に印象的だった余薫の事が口をついた。
「えっ、えーっと・・・匂い!
さっき甘い匂いがしたのよ、あれは何かなーって?・・・」
匂い!?匂いって何よ!!?これじゃ変態じゃないの!!
咄嗟とはいえ何言っちゃってんのよ私!
バッカじゃないのーーー!!!??
早く訂正しないと!!!
「あぁ、これか。欲しいならくれてやる」
周章狼狽する私に探偵は、帯の辺りに下げていた物を取って放った。
受け取ると、それは手の中に収まるほどの小さな巾着袋で、甘く爽やかな薫りを優しく香り立てている。
「匂い袋だ。
ミチがこさえては付けろと煩くてな。
そいつは――金木犀とユーカリだったか?
――詰まるところは虫除けだ。
大方、甘味か何かと勘違いしたのだろう?
残念だったな!そんな物があれば、疾っくと胃袋に収まっておるわマヌケめ!」
そうか、これは金木犀の――。
街にいると忘れてしまうけど、今頃に咲くのね。
この薫りのお陰か、いつもみたく得意げにして小憎たらしい探偵が、何だか楽しそうに見えた気がした。
――よく見ると、初めての夜遊びにはしゃぐ小学生みたいで可愛らしいわね。
「そう、ありがとう。
――とてもいい薫りね。大切にするわ!」
紐の両端を結んで鞄に下げると、歩く度揺れては秋が花開く。
宛もなく歩く事一時間程、その間に探偵は小さな公園、シャッターの閉じた古い駄菓子屋の前、あと何故か小さく整備もされていない小川等、道行で目に付いた所を見て回っていたが、何処も真っ暗な闇の中で心霊どころか、手がかりすら見当たらない。
「ねぇ、何も無いしそろそろ帰りましょうよ。
今度は叶夢さんを連れて具体的に調査しましょ?」
昼からの歩き詰めで棒になっている足を摩って、突き進む探偵を引き止める。
この疲れた足で、目標も目的さえも定まらずに歩き続けるには限界があった。
それどころか、まだ帰る手段すら見つかっていないのだ。
ここからタクシー使ったら幾らになるんだろう・・・
私の頭の中はずっとその事でいっぱいです。
しかし、案の定この探偵は聞く耳を持たなかった。
呆れるように振り返って、無情な一言を寄越す。
「断る」
そ、そんなぁ・・・。
もう言い返す体力も無い。
仕方なく分かりやすく肩を落とすと、振り向いた探偵が子供のように無邪気な笑顔で笑ったので一瞬、目を奪われる。
「そんな顔をするな、次で最後だ」
――そう言って向かった先は、古い公営住宅の団地。
都会のそれ程大きなものではないが、沢山の世帯が住めそうである。
所々窓に電気が灯ってはいるが、古い団地だけあって、外は外灯もろくに機能していない。
勿論こんな時間に公営住宅の庭先を徘徊した事は無いのだが、夜の団地は古さも相まって案外、ホラーなテイストを醸し出している。
遠くから全体を眺めていた探偵が、等々敷地内へと足を伸ばそうとしたので、私は堪らず彼の袖を引っ張る。
「駄目よ!不法侵入だし、それにこんな時間に入ったら如何にも犯罪者だわ!もし見つかった時言い訳のしようも無いわよ!?」
しかし探偵は鼻で笑って袖を振ると、はっと気づいたように目を丸く見開いた。
「何故声を絞る?――よもや怖いのか?あんなに心霊と話しておいて――」
信じられないと言った様子で哀れな目を向けて来るので、私は堪らず声を張り上げた。
「ちっ、違うわよ!!夜だから迷惑でしょ!?それに見つかるかもしれないでしょうが!!
アンタも静かに」
「おい!そこにいんの誰だ!?出てきな!」
突然の怒声に心臓が飛び上がり、もう少しで口から出るところだった――いや、出ていた。私が両手で口を抑えていなければ。
どど、どうしよう・・・。誰かに見つかってしまった!
声の方からは、携帯か何かのライトが光って、此方へ向けられながら動いているし・・・
きっと私達を探しているんだ!
どどうしよ!どんどん光大きくなってない!?
反射的にしゃがみこんで、足を震わせていた私の腕を乱暴に鷲掴みにして、探偵は丸く剪定された木峰陰から光の中へ飛び込んだ。
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