第11話 中を浮く赤子(壱)
叶夢さんは、徐に短パンの尻ポケットから細身の煙草を出して口に咥えると、飾り気のないライターで火を付けて煙を吹かせ始めた。
探偵が『禁煙だ』と言ったが、『1本くらいいいだろ?』と、叶夢さんは聞く耳を持たずに話し出すのだった。
「あんた
等々冷房まで壊れやがって扇風機回してやがんだよ、暑くて暑くて腹立つのなんのってな!
こちとら今までと同額払ってんだぞ!?
理不尽にも程があんだろ!?」
何を話し出すのかと思えばまさかの愚痴!?
煙と共に吐かれる毒が、より一層所内の空気を悪くする。
美千代さんが気を利かせて窓を開けてくれて助かった・・・
こんな空気を溜め込んだら体に良くないのは明確だ。
「
ここから大分西の方にある、小規模な路線だった筈だが?」
え!?
今の情報だけで無数にある路線の中から1つにしぼれちゃうの!?
「流石探偵さん。あんな外れの電車まで知ってんだな」
関心する叶夢さんに、探偵は窓の外を眺める。
「乗った事はないがな。
前に
叶夢さんは、考えるように少し宙を仰いでいる。
「六岐線ってぇと・・・もっと山の方の田舎路線か・・・。
ま、知ってるなら話は早いな」
そう言って叶夢さんは、膝を叩いて威勢よく椅子から立ち上がると、奥にある子供用の席、つまり笹音ちゃんの席に広げられている画用紙の数々の中から、白紙のものを1枚引っ張り出して、転がっている赤いクレヨンを掴むと力強く何かを書き込んで此方へ戻ってきた。
席に座り直すと、叶夢さんは手に持つ画用紙を振りかざしてこう言った。
「阿下鬼線の終点、
叶夢さんが掲げた画用紙には何かの塊が描かれていて、赤いクレヨンのみで描かれている為かとても不気味で背筋が冷える。
探偵がよく見たいと受け取り、デスクの上に広げたので私も興味に駆られるまま恐る恐る覗き込んだ。
赤い塊は、よく見ると四つの足が伸びていて四足獣のようだが、犬や猫のような特徴的な耳は頭に無く、また尾のようなものも描かれてはいない。
丸く大きな頭が乗った、シワシワのつるりとした胴に丸いお尻の四足獣。
これは、もしや――
「赤子だな」
くっ、私が言おうと思ったのに!
なんて悔しさで突発的に自太腿を叩いた痛みが、思いの外痛くて後悔していると、叶夢さんが肺に溜まった白煙を吐き出した。
「――やっぱ、そう見えるんだね」
此方を見ずにそうとだけ答える叶夢さん。
その態度を見ると本当に見たのか疑いたくなってくる。
「それはいつの事だ?出来れば大まかな時間、それからこの赤子の様子やその時の状況等、情報は多いに越したことはない」
探偵がいつもの調子で捲し立てると、叶夢さんは急に立ち上がり迫り来るやいなや、探偵のデスクを拳で力強く叩いたので、堪らずデスクは鈍い悲鳴を上げる。
私は急な展開に一瞬思考が停止したのを感じた。
「うるっせぇ!!ウチはあんたらに金払って依頼してんだ、あんたらに指図される筋合いなんか無い!
ウチが何を喋るかはウチが決める!
場所も奴の姿も教えたんだ、さっさとコイツを消せ!分かったか!!?」
怒鳴りつけるだけつけると、煙草を床で踏み潰して叶夢さんは事務所から出て行ってしまった。
叶夢さんが去って行った後の探偵事務所は閑静としていて、彼方此方に倒れた机椅子や散乱した物々。
それは文字通り、嵐のように去っていった。
と言って差し支えないだろう。
私は大きなため息を吐き出した。
と言うより、ため息の方から勝手でに飛び出してきたのだが。
踏み潰された煙草の吸殻を、小さな箒と塵取りで始末をしている美千代さんを見て、私も手近な書類を拾い始める。
その中で、一枚の用紙が私の手を止めた。
「何をグズグズしている、さっさと行くぞ!」
顔を上げると、扉の前で上に一枚羽織った探偵が杖で床を打っていた。
「え、でも事務所が――」
振り返ると美千代さんが腰を曲げて椅子を起こしている。
「そんな物は放っておけ!構うだけ時間の無駄だ、どうせ勝手に元に戻る」
そう言うなり階段を草履が擦る音が鳴ってくるので、私は『お気をつけて』と手を振る美千代さんに謝ってから、急かせかと事務所を飛び出した。
探偵に追い付くの事はそう難しくも無い。
何故なら彼は杖をついてゆるりと階段を下るし、一息には下まで下りられないからだ。
「ねぇ、あんな言い方ないんじゃないの?
まるで物が勝手に動いて元の場所に戻るみたいな言い方。
あれじゃ、いつも片付けてくれている美千代さんに申し訳ないわよ」
階段の脇に座り込んで休憩している軟弱者に、私は少し灸を吸えてやる事にした。
「まるでもなにも、物は勝手に元に戻るさ。
俺が望もうと望むまいと戻るのだから、感謝などしてやる事も無い」
飛んだ屁理屈もあるものだ。
だけど、そんな意味不明な言い訳で、丸め込めると思われているのも尺なので、もう少し噛み付いてやる事にする。
「物が動く訳ないでしょ、馬鹿じゃないの!?
足が生えて歩くの?それとも羽でも生えるのかしら?」
指で足を作ったり、手を羽根のようにはためかせて見せたが、探偵は怒るどころか興味深げに私の話に耳を傾けている。
「うむ、それは考えた事が無かったな――
昔、よく試したんだ。
どんなに散らけても、汚しても、気付くと元の
時間が戻ったのかとも思い、時刻を書き付けたり、多種多様のタイマーをセットしたりもしたが時間に狂いは確認出来なかった。
――もし、お前の仮説が正しいなら、物にも意識や心が存在するやもしれん。
そうなら俺は、この杖に謝らねばならんな――」
地に打ち付けて悪かったな・・・。
と使い古された上等な杖を撫でつつ囁く姿は、嘘偽り無い本心そのもので、私は無垢な子供を騙す汚い大人になった心地でいたたまれなくなり、直ぐに嘘だと訂正するのであった。
それにしても、どう考えたって誰かが片付けておいてくれたんだろうに・・・
どうしてその考えに至らないのか・・・
どうしようもないボンボンも居たものだと、私はそっと、美千代さんを始め探偵の周囲の方々に、同情の念を抱くのだった。
外は薄ら暗く、太陽が既に仕事を終えて帰った後なのか、空は綺麗な茜色を過ぎて、毒の強い色に侵食されつつあった。
来た時はまだ、日高い昼過ぎだったのにな・・・
私、休日に何してるんだろう。
確か、ちょっと買い出しに出かけただけだったのになぁ・・・
太陽は帰るのに、私は今から休日出勤。
しかも交通費、給料無しの超ブラッキーです・・・トホホ。
「空なんぞ見てないでキビキビ歩け!
転びたいのか?全く――」
「小刻みに座り込むアンタにだけは言われたくないわよ!!
あっ!ちょっと待ちなさい!!」
本当アイツは!歩くスピードだけは早いんだから、腹立たしい!!
少し底の厚いローファーのソールを削りながら、私は探偵の後を追いかけ続けた。
案の定、阿下鬼駅に着く頃には美しい月が浮かんでいた。
まさか、探偵が電車に乗るのさえ覚束無いとは思いもしなかったが、まぁ無事に目的地へ来られたのだから良しとしよう。
叶夢さんの言う通り、阿下鬼線は古い路線のようで、途中度中の駅も車内から覗いてはみたがどれも古く、奥に見える自動改札機だけが変に新しく光って見えた。
「あぁ、この改札機ね。これは昨年設置されたんだよ。六岐線の方はまだだから、駅員が常駐しないといけないんだけどね・・・
いやぁ、これがついて凄く楽になった。
もう機械様様だねぇ。」
私と探偵は駅に着いて直ぐに、阿下鬼駅に常駐している駅員さんに話を聞くことにした。
阿下鬼線は自動改札機設置と共に、上り下りの終点2箇所のみ駅員が常駐しているそうで、今日も一人、年配の駅員さんが改札横の窓口で勤めていたようだ。
「最近、こんな感じのものを見たり、話を聞いたりした事はありませんか?」
私が鞄から、叶夢さんが描いてくれた絵を取り出すと、手に取った駅員さんは老眼鏡をかけ、目を細めつつじっくりと眺める。
「何だい?!このけったいな絵は――。
こんな物、見た事も聞いた事もないなぁ。
忘れ物なら会社に連絡したげるから、また取りにおいで」
駄目か・・・。まぁ、そう簡単に心霊が見つかる訳ないよね・・・。
お礼を言って絵を受け取ると、隣の探偵が突然私の肩を叩いてきた。
「だから、そんな下手な絵では分かりにくいと散々言ったんだぞ?俺は。
分かりずらかったと思うが、俺達は人探しをしているんだ。
巻かれた金髪に派手な格好で、太ももに大きな蝶の刺青を入れた女なんだが――。
実はコイツの妹なんだ。
コイツ達の親が酷くてな、水商売で稼いだ金を全部男に貢いでたんだと。だから二人で暮らそうと、コイツは家を出て都会で就職した。
だが、やっと夢が叶うって実家に行ってみたら、肝心の妹が居なくなってたんだ・・・。
探偵の俺が探して、やっとこの駅をよく使ってるって分かったはいいが、手詰まりなんだ。
だから、少しでもいい。何か知らないだろうか?」
水商売?い、妹ぉー!?
何を言い出すかと思えばデタラメばっか!
本当最低、探偵って皆こんなのなのかしら・・・
って言うか、こんな如何にも怪しい格好の奴が、如何にも物語の断片を切り取りましたー!
みたいな話をして信じて貰える方がどうかして――
「そりゃーお嬢さん苦労、なさったんやな・・・。
これでもここの番は長いんでね、力になれるかも――
金髪に、派手な格好、刺青――
おう!1人よく来る人がいたな!!」
信じるんかーーーい!!!!
駅員さんは、思い出せたのが嬉しかったのかキラキラした目で私の肩を掴むので、私の騙している罪悪感に拍車がかかる。
「それは助かる!
出来ればその女性について、分かる事を教えて欲しい」
この外道と書いて探偵と読む男、困惑する私を簀巻きにしておいて、その上馬で引きずり回す気か!?
こんないい人を騙すなんて・・・
少し話を聞くだけ――、そんなのは分かっている。
だけど本当にいいんだろうか・・・
『もう、大丈夫ですよ。これで貴方は守られますから――』
『この石を肌に離さず身に付けて下さい。後はこの壺を北西の玄関口へ置かれれば、どんな厄災もたちまち逃げだしますとも!』
『それは・・・大変でしたね・・・。
さぁ、共に祈りを捧げましょう――』
――私の部屋を巣窟にした、あの人達と同じにはならないのか?
私は絶対に、人をあんな虚しく哀しい気持ちにはさせたくない!!
でももう遅い、この状況で私に逃げる道などとうに無いんだ。
いや、待って・・・よく考えたら、
この探偵事務所の戸を叩いた時点で、私に
叶夢さんが描いたこの絵を初めて見た時、私は凄く気持ちが悪くて恐ろしいと思ったし、今も少し怖い。
このままこの駅を調査したら、必ずあの化け物のような心霊と真っ向から遭遇する事になる。
その時、私は怯えずに居られるだろうか・・・
正直自信が無い・・・
晴美の時も、正直最初は恐ろしかった。
だけど、話せば分かり合えた。
けど今回はどうだ?
話どころか会話が通じるかも分からないじゃないか・・・
それに、皆が皆良い心霊とは限らないんじゃないか?
ほら、人だって良い人ばかりとは限らない訳だし、その上心霊として残っている人達は、強い
だとしたら、強く人を憎み恨んで攻撃してくる心霊だって――
そう気付いた瞬間、何かを悟ってしまったようで鬼胎で頭が一杯に埋め尽くされる。
怖い、嫌だ、危ない、駄目、無理・・・沢山の文字で黒く塗り潰されて、冷たい所に落ちて行くみたいで・・・底が、底が、底が――
「良かったな!これで見つけてやれるかもしれない。早く見つけて話を聞いて、少しでも力になってやろう――」
『ありがとう。こんな私を見つけてくれて――』
――そうだ。
どうして忘れていたんだろう――
私は、肩にある駅員さんの手を取り、両手でしっかりと掴むと強く握って、真っ直ぐ目を見る。
「どうかお願いします!
妹を、私の妹の事を教えて下さい!!
お願いします!!」
――私は、晴美のような人達を、早く見つけてあげたい。
――そして、今度こそギュッて抱きしめてあげたいんだ。
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