第9話 エピローグ、詰まりはプロローグ
――青傘の女事件は解決した。
境の探偵の手の上で、境幸之助の思うままに。
事はスムーズに進み、巷を騒がせた連続殺人鬼『髪切り魔』こと、篠田勝宣の事など皆すっかり忘れ日常へと巻き戻り、気付けば小風が肌寒い秋へと季節も移り変わっていた。
篠田は判決こそまだだが、ほぼ死刑で確定だろうと手塚さんが内緒で教えてくれた。
「これで、良かったんだよね――」
濡れて濃く染る青い傘を大粒の雫が伝う。
「あの・・・、境探偵事務所という所を探しています。助けてくれるって聞いて・・・」
不意にかけられたか細い声に、振り返ると女性が立っていた。
年齢は意外と若そうだ。
というのも服装はとてもラフで髪も乱れ、片手には水でも入っているのか垂れ下がったビニール袋。
「え!?あぁ、その探偵事務所ならここから何駅か向こうですよ」
あまりの突飛さに勢いで答えてしまったが、まさかあの探偵事務所の場所を聞かれる事になるとは・・・
境探偵事務所は噂話のような物で、世間では信じていない人の方が多いだろう。
現に私も最後にと藁にもすがる思いで探し回ったのもだ――。
それをまさか、こんな小さな下町のスーパーの出入口で聞かれる事になるだなんて・・・。
「・・・遠いんだ。どうしよう、早くしないといけないのに――」
女性はとても困った顔で辺りをあたふたと見回すばかりで進めない様子。
その姿は少し前の私と何処か似ている気がした――。
もう・・・放っておけないじゃないの!!
「あの!良かったら、これから私そこに行くので、一緒に行きませんか?」
彼女は少し躊躇った後、嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。
そんなこんなで、探偵事務所へ行く事になったのはいいんだけど、彼処にはアイツが居るのよねぇ・・・。
事務所へ行くのも、アイツと顔を合わせるのもあの日以来――
『・・・俺が助けようとしたのは椎名晴美さんだ。その為にお前等人間を使ったまでの事。
自惚れるな、俺はお前達が嫌いだ。
力を借りたいなら――、死んで出直しなさい』
あの硝子玉みたいな目を思い出すと、今でも少し怖い。
「雨、止んでくれて良かったですね。私この傘しか持って無かったから――」
考え事に耽って、黙ってばかりだった事に気付き、少し後ろを歩く彼女に話しかけてみた。
「え・・・、私・・・?
ご親切に、どうもありがとうございます。
でも私は大丈夫ですから、お気になさらないで下さい」
そう言って振る両手には何も持っていないし、腕に掛けるビニール袋は大した膨らみは無く、傘が入っているようには見えない。
若いのに、人に気を使える叮嚀な人なんだなぁ。
私も見習わないと・・・。
電車に乗る間、私は彼女と少し話をする事にした。
「良かったらですけど、名前教えて欲しいなぁーなんて・・・。私は三隅和花っていいます!」
私がニッコリ笑うと、彼女は少しオロオロとしてチラリと手にした袋を見るとこう答えた。
「私は・・・いちご。苺といいます」
苺さんとはなんて可愛らしい名前だろう!
古臭い私の名前よりもずっといい!
羨ましいなぁ・・・
「私の名前、三つの隅に咲く和の花って書くんですよ。苺さんは和の花何が好きですか?」
「んっと・・・、桜・・・ううん、梅。梅が好きだわ!小さくて愛らしいの――」
苺さんは、深く悩んで顔を顰めたかと思うと、はっと瞳を輝かせて、小さく開いた両の手の平で梅の花を作ると微笑みをたたえ、優しい眼差しで見つめていた。
「いいですね!梅の花!近くで見て愛らしく、遠くで見て美しい。凄く素敵です!
私は、朝顔が好きです。
知ってますか?朝顔ってサツマイモと同じサツマイモ属なんです。
私、サツマイモ大好きなんですよ!!
こうホクホクッとしてる所を、パクッと食べると優しい甘さに包まれたみたいで、幸せな気持ちになるんですよねぇ――」
頬を撫でて、サツマイモを頬張った瞬間の幸福を思い返す私を見て、苺さんはクスリと笑った。
良かった――。
私は胸をそっと撫で下ろした。
思い詰めた様子で焦った顔や、ぼーっと力が抜けたように遠くを見る顔ばかりしていた苺さんが、何処か危うくて心配だったのだ。
だけどもう、大丈夫そうね――。
「和花さんって面白い方ですね。童心のまま素直で綺麗な心、ずっとそのまま大切になさってね。
そういえば、芋朝顔という、サツマイモに朝顔の苗を接ぎ木して作る観賞花があると聞いた事があります。ユニークで可愛らしいそうですよ」
両の手を顔の傍でそっと合わせて、思い起こした花を嬉しそうに話す苺さんを見ると、こちらまで気持ちがウキウキして来る。
「なんですかそれ!!
最高じゃないですか!
早速帰ったら――って、もう旬終わってる!!
・・・仕方ない!
苺さん、来年夏が来る頃、一緒に作りませんか?
あ、その前に梅が咲きますね!
一緒に見に行きましょうよ。
私、とっても綺麗な公園知ってるんですよ。
百種類の梅木が四千本以上も植えられてて、満開の梅達を小高い場所から見るとそれはもう息を飲むほど美しいんです」
この感じ、昔は当たり前に毎日感じていたあの感じだ!
懐かしい――、いつから消えて無くなっていたんだろう。
私の話を聞いて一瞬、苺さんの目線が下へ流れた気がした。
その瞬間、車内にアナウンスが流れ電車が揺れ始める。
耳をそばだてると、私達も降りる駅を知らせていた。
危ない危ない、危うく乗り過ごす所だった。
停車と同時に少ない降車客について私は駅に降り立った。
久方ぶりに友達と呼べそうな、呼ばれてみたい人を連れて。
駅から探偵事務所まではそう遠くはない。
だが、あまり人が使わない路線のあまり利用者がいない駅なので人通りが少なく、道を聞くにしても大変で、初めての時は骨が折れた。
駅の表には古びた商店街が伸びているが、薄暗くて半分以上がシャッターを下ろされている。
私はそこで道を聞き回ったが、たまに噂話を聞く程度で・・・
やっとの事で古い八百屋のお婆さんに教えて貰う事が出来たのだ。
お婆さんによると、『境の探偵の話はしたがらない人がおおいでね』だそうだ。
もしかしたら、それまでに聞いた人達の中にも知っていて黙っていた人が居たのかもしれない。
――そうこうしている間に着いてしまった。
まさか、あんなに駆けずり回った表ではなく、駅の裏側の、錆びれた子ビルが転々としているような場所にあるとは思いもしなかったけどね・・・
今考えてもよく辿り着けたなと、我ながら感心する。
「このビルの4階が、境探偵事務所ですよ」
そう言って振り返ると、苺さんはゆっくりと上の窓を見上げてから足をモジモジと動かしている。
彼女がそんな反応を見せても可笑しくはない。
ビルの、灰色一色の無機質な外壁は所々崩れ落ち、雨垂れ等の汚れが不気味な模様を染み付けていて、その不穏な空気感は正しくホラースポットそのものなのだ。
配慮が足りな過ぎた自分に反省して、私は再度苺さんに声をかけた。
「大丈夫、見た目程中は怖くないから。
さ、一緒に行きましょ?」
すると苺さんは、唾を飲み込んでコクリ頷くと一歩ずつ踏み込んで着いてきた。
そうよね、ここまで来て諦めきれないわよね――。
決めた!私も苺さんの依頼解決を手伝おう。
こんな私だって少しくらい何かの役に立てるかもしれない!
『・・・お前が?邪魔になるの間違いだろう』
あー言いそう!!言いそうだわぁ・・・。
だけど何としても言いくるめなければ――
あの毒舌ツンツン大王とピュアで優しい苺さんを二人にする訳にはいかないわ!
どんな鋭利な言葉で苺さんを傷付けにくるか分かったもんじゃない。
大丈夫よ苺さん、貴方は私が盾になってでも守ってみせる!!
錆び付いたドアノブを勢いよく捻り、引き開けると『境探偵事務所』と刻まれた小さな表札がカタカタと音を立てて揺れた。
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