8.アイドルと一日デートする権利
大人の女友達が二人集まって、さてどこに遊びに行くでしょう?
そんなことを悩みながら、私は環季ちゃんとのデートの日を迎えた。
「お、おおお、お待たせしました! 今邑、只今参上です!」
「うん、そのセリフは多分、遅れてきた私がするべきだと思うな」
現場が長引いたために十五分の遅刻した私は、カフェのテーブルで先に待っていた環季ちゃんに温かく迎えられた。
「ごめんね、遅くなっちゃって。随分待ったでしょ」
「そんなそんな! 今邑なんかは待たせて当たり前の人間なんですから、気にしないでください! それに今日って多分、『あべこべラジオ』の収録日ですよね? そんなお忙しい日に今邑なんかに時間を使ってもらって、こっちこそごめんなさいです」
ペコリと仰々しく頭を下げる環季ちゃん。どうでもいいけど、スケジュールは公表してないはずなのに、なぜかアイドルの仕事を把握しているファンっているよね。ストーカー一歩手前だから止めて欲しいんだけど……多分、環季ちゃんは悪気ないよね。
私が困った顔をしていると、環季ちゃんは顔を上げてニコリと笑った。
「今日は今邑なんかのために、お時間ありがとうございます!」
「私も会いたかったから、気にしないでよ」
こないだのカフェ『アンバー』で友達となった私達だったけれど、あれから二週間ほど、ゆっくり会う機会は作れなかった。原因は主に私のスケジュールの問題だったので仕方がない。ようやく時間が作れたので、夜に遊びに行こうと環季ちゃんを誘ったのだ。
「さて、それじゃあどこ行こうか?」
「今邑はどこでも良いですよ」
ニコニコと笑いながら即答してくる環季ちゃん。
こないだは鯨波も居たのであまり二人きりで話せなかったので、今日はゆっくりとお互いのことを知りたいなー、なんて思っていたけれど……このままカフェでだべるだけというのも芸がない。さて、どうしたものか。
こういうとき、夏恋ちゃんと手毬ちゃんの二人とはゲームセンターにでも行くんだけど……私自身は特にゲーセンが好きなわけじゃないし、となると……。
「カラオケでも行く?」
「か、カラオケ……」
おや、駄目だっただろうか。
遊ぶ場所に困った時は、選ぶ場所としてカラオケは鉄板だと思っていたけれど、もしかして歌うの苦手だったりするのかな?
「お、推しとカラオケ……。推しが歌うの、至近距離で見られるって、ワンマンライブじゃん。なにそれヤバいんですけど……これが噂のアフターとか言う……ううん、そんなんじゃなくて、これは友達。今邑はみやびちゃんと友達……うぅ、改めて考えると夢みたい。あぁ、夢なら覚めないで」
「…………」
よし、カラオケにするか。
そこから一時間ほど、私は環季ちゃんのリクエストに答えて単独ライブを開催した。
環季ちゃんと来たら、盛り上げ上手というか反応が良くて、私が何を歌っても「みやびちゃんカバーだ!」「ああ、ライインのデビュー曲!」「すごいすごい! へい、へい、へーい!」って、しまいにはコールまで入れ始めた。だからこれはライブじゃないっての……と思いながらも、途中から私もノリノリになって、せっかくだからと、私のデビュー曲(地下アイドル時代の黒歴史。当たり前だがカラオケ機器に入っていない)をアカペラで披露してあげたら、なんと一緒に歌ってくれた。マジか、あれプレスしたCD販売したけど、五十枚も売れてないぞ。本当に初期からのファンなんだなこの子。
ちなみに環季ちゃんの方は、普通に歌はうまかった。
私がラジオとかで好きだと言った歌手の歌とか、ちょっと前にゲストで参加したアニメイベントの曲とか、ほんとにこの子、私のファンなんだなぁとわかる選曲だった。
ひとしきり歌い終わった後、小腹が空いたので軽食を注文してつまみつつ、私達は歓談モードに移行した。
「環季ちゃんって、いつからアイドルの追っかけやってるの?」
「高校の時からです! ライブハウス通いが趣味の友達が居て、その付き合いで行き始めたら面白くなっちゃったんですよね」
楽しそうにそう言った後、環季ちゃんは急にシュンとして肩を落とした。
「まあ、その友達、悪いバンドマンに誘われて学校を中退した挙げ句、クスリで捕まっちゃったんですけどね。今は完全に音信不通です」
「あー、あるあるだね……」
「でもでも! あの子のおかげで今邑はドル活の楽しさを知りましたし、本当に感謝しているんですよ。何より、みやびちゃんに出会えましたし!」
さっきまで落ち込んでいた表情が、ぱぁっと花のように明るく咲いた。コロコロと変わる表情は、見ていて飽きない楽しさがあった。
「アイドルって本当にすごいですよね! 推しが目の前で歌って踊っているのを見ていると、自分のことじゃないのに不思議と元気が出てくるんですもん。でも、誰でもいいわけじゃないんです。なんていうか、『ピンッ!』ってくる子じゃないと、推せないんです。どんなに人気がある子でも、今邑的にピンとこないと、応援してても物足りないっていうか」
「じゃあ、環季ちゃん的に、一ノ瀬みやびは『ピンッ』と来たんだ」
「そうなんです!」
勢い込んで身を乗り出しながら、環季ちゃんは力強く言った。
「本人を前にしてコレを言うのはどうかと思いますが、みやびちゃんってそんなに目立つタイプじゃなかったと思うんです。ライアーコインにしても、派手なセンターのレンレンや、天然風のてまりんが目立ってて、みやびちゃんはクールで落ち着いてるって印象です。でもでも、そんなみやびちゃんがいて二人を支えているから、ライインはしっくりくるんです!」
「しっくりくる、か」
だとするとそれは、うちの社長のプロモーションの賜物だろう。
実際、環季ちゃんの言う通り、私は一人だとあまり目立たず、ソロ活動のときもパッとしない活躍しか出来なかった。仕事はうまくこなすから現場では重宝されていたけど、ファン人気はいつも二番手三番手、という感じだったのだ。
原因としてよく言われていたのが、執着がないという言葉だった。
必死だからといってそれが直接魅力につながるわけではないけれども、やはり強い気持ちというのは他人に伝わるものだ。特に、アイドル志望の子なんて承認欲求の塊だから、執着だって人一倍だ。そんなのと比べられたら、確かに私はパッとしないだろう。
そんな私がアイドルを続けているのは――ひとえにスリルがあるからだと思っている。
自分を売り物にして、一歩踏み外したら破滅しそうな不安定なスリル。
ファンの心という、形のないものを掴むために、手探りであの手この手を尽くす。そのスリルは、なんというか癖になるのだった。
そんなひねくれたアイドルだからだろう。
私のファンになる人も、ひねくれた人間のようだった。
「みやびちゃんは、落ち着いているけど危ういんですよ」
「ふぅん。危ういって?」
「クールで落ち着いているのに、なんだか急に足を踏み外しそうな怖さがあるっていうか……なんでも無いフリをしているのに、人一倍頑張っているのがヒヤヒヤすると言いますか……。う、今更ですけど、これ本人の前で言うの失礼ですよね」
「ううん。そんなことないよ。後学のために聞かせてほしいかな。ファン目線で、一ノ瀬みやびがどういう風に見られているのかは気になるし」
「そういうところですよ」
私の正直な言葉に、環季ちゃんは困ったように眉根を寄せて目線を落とした。
「みやびちゃん、真面目じゃないですか。それなのに、我を通さないで周りを立てるから、いっつも損しているように見えるんです。アイドルなんて目立ってなんぼなのに、いつも一歩引いて、まるで自分から足を踏み外そうとしているみたいで……もしみやびちゃんが自分のことだけ考えてパフォーマンスしたら、きっともっとキラキラするのにって、ずっと思ってます」
もったいないですよ、と。環季ちゃんは唇を尖らせながら言った。
「でも、今邑はそういう一歩引いた消極的なみやびちゃんの姿に惹かれているので、文句を言えた筋合いは無いんですけど」
まあ、何事にもストライクゾーンはあるという話だった。
消極的なのも、周りを立てるのも、それはライアーコインというユニットで私に与えられた役割でもあった。
ライインがデビューした三年前、夏恋ちゃんが十六歳で手毬ちゃんが十四才という学生だった中で、私は二十一歳。アイドルとしてはとうが立ち始めていた頃だ。仕事はできるけどなかなかブレイクしないという成人アイドルに対して、新人アイドルを組ませて経験を積ませようというのが森須社長のプロデュースだった。要は、承認欲求のない器用貧乏なアイドルなら、むしろ縁の下の力持ちになれというわけだ。
その方針に文句はなかったし、むしろ私は目的がはっきりした分、やりやすくもあった。結果的にそれがブレイクのきっかけになったので、感謝してもしきれない。
ちなみに社長からは、「そういう裏方を推す物好きもいるから、その層を狙っていけ」と熱い言葉を頂いた。
環季ちゃんを見る限り、その狙いは的中したらしい。
しかし――この方針を固めたのは、ライイン結成の時だ。ソロの時は、むしろ私自身を売り込むように色んな仕事をしていたものだけど、環季ちゃんはそんな時の私にファンレターをくれるくらい推してくれていたはずなんだけど……。
「環季ちゃんって、私がソロ活動している時からファンレターくれてたよね? 何がきっかけで、その頃から私のこと推してくれてたの?」
「い、今邑のファンレター、覚えていてくれたんですか!」
「まあ、モノが残ってるし」
なんとなしに言うと、環季ちゃんは顔を真赤にして頭を抱え始めた。どうやら黒歴史だったらしい。まあ、無理もない。詳しい内容は本人の名誉のために伏せるけど、あの文面は確かに、思春期の暴走が凝縮されたものだった。誰もが通る道なので、茶化したりはしないでおこう。
ひとしきり叫び声を上げた環季ちゃんは、潤んだ瞳を向けながら言った。
「きっかけというか……友達の付き合いで地下ライブに行った時に、見ちゃったんですよ。ライブ前のみやびちゃんのことを」
「ん? 見ちゃった?」
なんだろう。開演前で気を抜いていたラフな姿でも見せてしまったのだろうか。まあ、そういうのが好きな物好きもいるけど、大抵は幻滅されると思うけど。
ライブハウスの規模によっては、出番まで観客と同じスペースに居ることもあるから、それなりに気を付けていたつもりだけど、どこで誰が見ているか分からないしなぁ。
「違います。むしろ、かっこいいところです」
「ファンサしてあげたとか?」
「そうじゃなくて……。その、みやびちゃん、ライブハウスのスタッフさんと一緒に、別のステージの設営を手伝ってたんです。後で聞いたら、対バン相手は別の事務所のアイドルグループだったって」
「…………」
「重そうな楽器とかスピーカーとか運んでて、最初はスタッフさんかなって思ったんですけど、その日にステージに出てきたからびっくりしちゃって。ああいうライブハウスだと、出演者が準備もするのは当たり前かもしれませんけど、あんな重いもの運んでいた女の子が、ステージで歌っている姿がすごく印象的だったんです」
今度は私が赤面して顔を伏せる番だった。
……言い訳をさせてもらうと、それは本当に仕事をし始めたばかりの頃で、めっちゃ下っ端だったので率先して手伝っていた時だった。
そりゃあ、自分たちのステージなので多少は設営もするけど、怪我しかねないような重たいものなんて普通は持たせない。つまり、あの時の私は、そういう扱いがされる程度の駆け出しだったというだけの話だ。
アイドルに執着はなくても、仕事に対して必死だった頃の話。
若い頃のことを否応がなく思い出させられ、赤面するしかなかった。
「……裏方推しのファンが居るって、ほんとなんだね」
「裏方、ですか?」
「ううん。こっちの話」
その時の私の姿を見て推してくれているんだとしたら、まったく、うちの社長の先見は確かだと言わざるを得ないなと思った。
※ ※ ※
カラオケも十分楽しんだ所で、夜も深まってきて二十一時。
これから何かをするにも難しいけれど、帰るにはまだ早い時間だ。
「次はどこに行きますか、みやびちゃん」
ツレも二軒目を期待しているみたいだし、さっきは私ばかりファンサして、逆はしてもらってない。これは由々しき事態だ。私だって環季ちゃんのファンなんだから、ちょっとくらいは良い思いをしたい。
もう一軒行くか! と決めるのに時間はいらなかった。
「環季ちゃんは行きたいとかある?」
「今邑はどこでも良いですよ! お酒だっていけます」
「お、結構飲める口?」
「もちのろんです」
「よーし、じゃあね」
女二人、アルコールと来たら、そりゃもちろん――
「それでうちに来たんスか」
「何嫌そうな顔してんの。せっかく指名してあげたんだから喜びなさいな」
失礼なご挨拶とともに、げんなりとした顔のマサキが私達を迎え入れた。
新宿のホストクラブ『クルセイド』
女二人でお酒飲むなら、そりゃあホストでしょ。
「うちの店は多人数で騒ぐようなグループより、ピンの客が多いっすけどね。普通、本指名ありの客は担当ホストを独占したがるものッスから。あ、そちらのお嬢さんははじめまして。マサキっす。よろしくっす!」
「は、はじめまして。今邑です……」
「よし、じゃ、席までご案内するっすよー。ささ、お手をどうぞ、お姫様」
マサキのエスコートに、環季ちゃんは恐る恐る手を伸ばした。うんうん、こういうホストクラブでのサービスって、最初はびっくりするよね。まるでお姫様みたいに扱われて席まで案内されるもんだから、耐性のない子だとこの時点でコロッとやられるものだ。
まあしかし、今日はむしろサービスが足りないほうだ。
「おいこらマサキくん。確かに私は君を指名したけどさ。こっちは二人なんだよ。なんで接客するのが君一人なわけ? もうひとりのイケメンはどこよ」
普通こういうお店では、キャストは客と同じ人数をつけるのが常識だ。せっかく遊びに来たのに、ぬるいサービスをされたら初体験の環季ちゃんが可哀想じゃないの。
私の追求に、マサキは困ったような顔をする。
「ちょっと今はタイミングが悪いんス。団体客が入ってるのと、ちょっと出勤者が少なくなってて……オレもさっきまでヘルプ入ってたのを、指名で抜けてきたンスから。その代わり、このテーブルが続く限りはいるっすから心配しないでくださいっス」
「ふぅん。そんなに出勤者少ないのって、なんか問題でもあったの?」
「まあ、あったといえばあったと言うか……最近、経営周りでゴタゴタ合って、系列店に引き抜かれたりとかっすかね。ここんと、歌舞伎町で中華系の組織が幅きかせてて、その煽りで店が潰れたり新規店が出来たりと、忙しないんっすよ。頼りのケツ持ちも暴対法で自由に動けなくって散々で――あ、これここだけの話なんで、よろしくっす」
ここだけの話が世間話レベルのノリでこぼれてきた。これだからホストは口が軽い。
キャストが居ないというのなら仕方ない。マサキはこれでもホスト歴三年くらいなので、悪いふうにはならないだろう。せいぜい環季ちゃんを楽しませて欲しい。
マサキ、環季ちゃん、私の順番でソファーに座り、お酒を注文して歓談する。マサキの隣に座らされた環季ちゃんは、おしぼりを渡されたりお酌をされたり、絶妙な距離で気を遣ってくるマサキを相手に、おどおどしながらも満更でもない様子だった。
「ホストクラブ……始めてきたけど、すごいんですね。みやびちゃんは、いつもこんなところに来てるんですか?」
「んー、まあそれなりに」
サラリと言うと、環季ちゃんが「すごい、大人だ……」と尊敬の眼差しを向けてくる。その視線自体は心地よいけど、その理由がホスト遊びの常連だからってことはなんとも言い難い気持ちになる。
そもそも、私がホスト通いしているのは、どちらかといえばカジノが目当てなので、ホスト狂いみたいに思われるのは心外である。
「……そういえばさ、環季ちゃん」
「なんですか?」
「初めて会った時、環季ちゃん、変なこと言ってたよね。私がカジノ通いしていることだけじゃなくて、ホストに行ってたり、ヤクザと知り合いだったりとか……。あれって何だったの? まさか私、ファンの間でそんなこと言われてるの?」
いやまあ、一つを除けばどれも葉はなくても根のある噂ではあるんだけど。それなりに隠して立ち回っているつもりなだけに、それがバレてるとなると中々まずいことになるんだけど。
「さすがにファンの間じゃ言われてないですよ! た、多分」
「多分なんだ……」
「えっと、今邑が知ってるのはですね。その、カジノの常連のお客さんで、テレビ関係っぽい人たちが話してたんです」
テレビ関係か……あのへんの人達、結構有る事無い事言うもんな。でも、私は目をつけられるほど目立ってないはずなんだけど。
「えっと、なんて言ったっけ。なんとかプロの八嶋さんとか言う……」
「あのクソオヤジ!」
「ひゃ!」
思わず大声を出してしまった。いけないいけない、環季ちゃんが怯えちゃってる。
しかし、八嶋Pか……。十一月に赤坂のマンションバカラが摘発された時に、私は彼と勝負をしていたのだけれど、摘発の危機を察知した私がギリギリでカジノを抜け出したのだ。どうも彼はその時のことを根に持ってるらしく、警察等に私のことをチクったりしている。
「バクチは現行犯なんだからいい加減諦めろよあのおっさん……しかも捕まった後も普通に闇カジノに顔出してるんじゃないよ。なんであんなのが野放しなんだ」
「み、みやびちゃん、相当溜まってますね……」
「……じゃあもしかして、私の枕疑惑って」
「そのプロデューサーが愚痴をこぼしてたので、てっきり……」
よし、あのオヤジは完全に敵だ。
アイドルにとって特に性事情のスキャンダルは死を意味する。根も葉もない噂だとしても、可能性が出ただけでヤバいのだ。これは普通に事務所を通して抗議するべき内容なので、明日にでも社長と相談だ。
「じゃあ、みやびちゃん、本当に枕はやってないの?」
「やるわけ無いじゃん。あんなの明らかに割に合わないし。……っていうか、環季ちゃん少しでも信じてたの? それ結構ショックなんだけど」
「う、ごめんなさい。……でも、みやびちゃん、カジノとホストに通ってるのと、ヤクザと知り合いなのと、借金作ってたのは本当だったから……」
返す言葉もありません。
ちなみにこの話題の時に、マサキのやつが「え、みやび先輩、枕やってるんスか?」と話を蒸し返そうとしてきたので拳で黙らせた。だからそれをやってねーっつー話をしているんだっての。話を聞きなさい、この馬鹿者。
しかし――これも日頃の行いということだろうか。一応、ユニットメンバーは未成年だから、あまりそういうアダルトなことはできる限り見せないように心がけてはいるんだけど。
「あの、みやびちゃん。これを今邑が言うのも何ですけど、カジノ通いはできれば辞めた方が良いと思いますよ。日本だと違法なんですから」
「本当に環季ちゃんが言うことじゃないね」
カジノが違法であることは事実とはいえ、それをディーラーが言うことじゃないけど……でも、働いていたからこそ、その危険性は十分に理解しているという部分はあるのだろう。
話がカジノの方に向いたので、私は改まって彼女に聞いてみた。
「環季ちゃんは、なんでカジノのディーラーをやっていたの」
「あれは……知り合いの紹介と言うか、高時給のバイトって教えられて」
闇カジノは経営や元締めが反社会的勢力であることは確かだが、その従業員は至って普通のバイトとして雇われていたりすることも多い。求人情報誌に『ホールスタッフ募集』と言った風に普通に出ていたりするのだとか。
環季ちゃんもそうしたバイトの一人ということだろうけど――それにしては、ルーレットを除いたとしても、ディーラーとしての技術は目をみはるものがあった。あのスムーズな場面さばきは、一朝一夕で身につくものではないはずだ。
「それは多分、師匠の教え方がうまかったんです。今邑ってばどんくさいから、カードさばきは下手っぴだったんですよね。でも、ルーレットはボールを投げるだけだったから、それを何度も練習させられました」
「練習ってことは、じゃあ、あの『必ず当てる』のは、やっぱり実力ってこと?」
「えへへ、あれだけは、師匠から褒められたんです」
はにかみながら、環季ちゃんは頬を指で掻いた。
「ルーレットだけはなぜか、自分の体の延長みたいに感じられるんです。この前、鯨波さんとみやびちゃんの二人に言われたとおり、ちょっとズルはしてますけど、ちゃんと見て投げるとどこに落ちるか分かるんです。他のことはどんくさいのに、あれだけは今邑にとって、唯一自信を持って誇れる技になりました。それもこれも、師匠のおかげです」
「そういえば、カジノのディーリング技術って、教わる時の師匠筋がいるってのは聞いたことがあるね。その師匠さんも有名な人なの?」
「詳しくは知らないんですけど、なんか、海外で実際に学んでいた人らしいです。名前は
名前を言われてもさすがに分からなかったけど、もしかしたら伯父ならなにか知っているかもしれない。博奕の裏社会って案外狭いみたいだし。名前を覚えていて損はないかな。
つまり、環季ちゃんはその凄腕の師匠の教えもあって、神業じみた技術を身に着けてしまったということなのだろう。さすがに一年二年で身につくとは思えないから、これは未成年の頃からカジノ務めしていた可能性があるけど……まあ、気づかなかったことにしておこう。
私にとって重要なのは、環季ちゃんのルーレットの技術が、本人の意図のもとで行われている本物であるという事実だけだ。
「単刀直入に聞くけど――ヒットチャレンジルーレットは、もうやらないの?」
私の問に、環季ちゃんは困ったような顔をした。
「まあ、カジノが潰れちゃいましたからね……。そもそも、あのゲームは一時的な見世物のつもりだったんですよ。『シルエット』のオーナーが面白がってショーにしちゃっただけで、今邑としてはあんまり乗り気じゃなくって」
「なんで? あんなに盛り上がってたのに」
「だって、あんなのゲームじゃないですもん」
こともなげに、環季ちゃんは言い切った。
「あれはギャンブルとして成立していません。だって、今邑は出目を外さないんです。そんなショーにお金を賭けさせるんですから、騙してお金を奪っているのと変わりません」
「でも、それは――」
客が指定した数字にボールを入れるというギャンブル。
それは普通だったら出来ない技だからこそゲームとして成立しているのだ。本来ならばカジノが有利なはずのゲームを、カジノが不利な条件で設定することで、集客をしているのがあのヒットチャレンジルーレットのはずだ。
しかし、環季ちゃんにとってあのゲームは、カジノ側が不利という認識ではなく、むしろカジノ側が確実に勝てるゲームだと考えているようだった。
「あれだけじゃありません。今邑にとってルーレットは、客を負けさせるゲームです。鯨波さんの時も、あの人が大勝ちしてしまったから、負けさせてこいって命令されたんですよ。普通のウィールだとさすがに出目を百発百中ってわけには行きませんけど、狙いを外すくらいは簡単です。仮に投げ入れた後にベットされたとしても、予測を外すように投げ入れるくらいのことは出来ますから」
冷めた声で環季ちゃんは淡々と言う。
そこには、驕りもなければ侮りもない。ただ純然たる事実として、彼女のルーレットの技術がそれを可能としていることを表していた。
「多分、また別の店で今邑はルーレットのディーラーをやると思いますけど、遊びにこない方が良いですよ。今邑が出てくるってことは、店側は客を勝たせるつもりがないですから。今邑のルーレットの技術は有名になっちゃってるんで、勝たせたりすると疑われますし」
「別に、お友達だからって勝たせてもらおうとは思わないよ。でも、それじゃあ、お店を教えてはくれないの?」
「そうは言いませんけど……でも、今邑が雇われる店、あんまりいい店じゃないと思うんで、お勧めはしないです。まあ、闇カジノにいい店も悪い店もないですけど」
そう、環季ちゃんは笑顔に影を落としながら言った。
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