9.奈落への切符を自ら選ぶ


 その後、セット時間分を楽しんで、私達は店を出た。


 後半はマサキと環季ちゃんで、「あの店のオーナーどうなったっスか?」「あー、なんか店の金持ち逃げしたらしいですよ」「そういやあそこの店のディーラー可愛いっスよね」「でもでも、あの子こないだホストにハマって風俗落ちしたって聞きました」「そういえば――」と、闇カジノ業界の話題で盛り上がっていた。客である私より、裏方に精通しているからこその話題があったようで、意外な盛り上がりだった。


 そんなわけで、二十三時すぎ。

 さすがに終電まで騒ぐわけにも行かないので、この辺りでお開きだった。


「あ、LIME来てる。もう、今日は迎えいらないって言ったのに」


 お店を出てすぐ、環季ちゃんはスマホを確認してそう言った。

 その気安い口調に、私は思わず聞いていた。


「もしかして彼ピ?」

「はい、彼ピです」


 いえーい、とピースを見せる環季ちゃん。


 もう、困っちゃいますよねー、とスマホを見ながらにやけ顔をしている彼女からは、惚気の気配がする。これは熱い。やけどしそうだ。からかってやろうと思って『彼ピ』なんて言ってしまったが、触るべきではなかったかもしれない。


 問題の彼氏はすぐ近くに来ていたらしく、歌舞伎町一番街のアーチ前まできた所で、手を降って声をかけてきた。


「おつかれ、環季。この、あんま遅くなるなって言っただろ」

「ごめんね、ケイちゃん。迎えに来てもらっちゃって」


 待っていたのは、黒のジャケットを着たV系っぽい男だった。茶色に染められた髪は肩口まで伸びた長髪で、間から覗く耳にはどぎついピアスがついている。見るからにチャラい感じで、大人しめの環季ちゃんの彼氏と言われると意外なタイプだった。


「あ、紹介するね。今邑の友達で――えっと、一色さんっていうんだ」


 どうやら私に気を遣ってくれたようで、環季ちゃんは私を本名の方で紹介してくれた。


「一色さん、こちらが、今邑の彼氏で――」

「どもー、新藤しんどう蛍汰けいたです。ヨロシク」


 見た目通りの軽薄さで、新藤は握手を求めてきた。断るのもおかしかったので、私は気にせずにその手を取る。私達の握手を、環季ちゃんが凝視してくる。これは多分、「握手券なしなんて羨ましい」とか思っているに違いない。


 新藤は握手をしながら、なんだか含みのある様子で私を見つめてくる。


「一色さん――ね」

「あの、なにか」

「ううん、なんでもー。ま、オレのこと覚えといてよ」


 そう言って、新藤はひらひらと手を振った。

 最後に、環季ちゃんは丁寧に頭を下げた。


「今日は楽しかったです! また誘ってください」

「うん。次はお昼にでも、ゆっくりとお茶したいね」

「いいですね! 是非お願いします! それじゃあ、開いてる日をLIMEしますね!」


 それじゃあ失礼します! と、環季ちゃんは晴れやかな表情で新藤と一緒に帰っていった。


 やれやれ、と私は一息ついてスマホの画面に目を落とす。


 さっき別れたばかりだと言うのに、スマホには環季ちゃんからのメッセージが送られてきていた。『今日は楽しかったです(*‘ω‘ *)』と、別れ際と同じ言葉が並んでいる。まったく、毒気が抜かれる子である。


 ルーレットについてはあまり芳しい反応ではなかったけれど――正直な所、彼女と話をしていると、もうルーレットにこだわる気持ちはなくなってきているのだった。


 もちろん、彼女のあの神業的なルーレットに、もう一度挑戦してみたいという気持ちはあるけれど――それだけではない等身大の環季ちゃんに触れて、満足している自分がいるのだった。


 ギャンブルそのものを否定するような、超人的なルーレット。

 そのディーラーもまた、等身大の普通の子であると、それが分かって、私はホッとしたのかもしれない。


 まあ、今邑さんと話すのは単純に楽しいし、次のお茶の約束も早めに果たせたら良いなと思う。

 その旨を返信しようとした所で、スマホが振動し始めた。


「――と、着信だ」


 まったく、誰だこんな時間に――げ、胡桃ちゃんだ。


「うっわー。出たくねぇ」


 着信画面に表示された『胡桃ちゃん』の文字を見ながら、思わずそうぼやいていた。別に迷惑なわけではないけど、この時間に連絡してくる時点でろくな事ではない。


 とはいえ、現在進行系でバイブレーションをしているスマホを放置するわけにも行かない。私は渋々、通話ボタンを押してスマホを耳に当てた。


「こんばんはー、みやびお姉ちゃん。元気?」

「げんきげんきー。いえーい。胡桃ちゃんはこんな時間にどうしたん? 中学生はもう寝る時間だぞ☆ 夜ふかしは元気を奪っちゃうんだからね」

「まあそりゃあ元気だよね。だって、なんだから」

「…………」


 おい、なぜそれを知っている。

 今すぐ通話を切りたい衝動に駆られつつ、切ってしまったら謎が謎のままになるので懸命にその衝動をこらえる。


 私が通話を続けているのを確認して、胡桃ちゃんは得意げにネタバラシを始めた。


「みやびさんのスマホのGPS見てたら、歌舞伎町にいるみたいだったから近くの監視カメラをハッキングしてみたんだ。そしたら、ホストクラブから二人で出てくるところが見えてね。あのお店、みやびさんがカジノの情報収集に使ってる店だよね? 一人ならともかく、誰かと一緒に行くのって珍しいなーって思って、思わず電話しちゃった」


 電話しちゃった、じゃねぇよ。


 私のスマホのGPSを勝手に使うのも違法なら、街中の監視カメラをハッキングして覗き見するのも犯罪である。私のプライベートはどこに行った。


 耶雲やくも胡桃くるみちゃん。

 凄腕のポーカープレイヤーにして、バーチャルアイドルにして、違法なハッカー。この異常な経歴の女子中学生がいるのだから、世の中どんな化け物がいるかわからない。


「あのね、胡桃ちゃん……前から何度も言っているけど、私にもプライベートってものがあってね……できればそういう、私生活を覗き見するのは辞めてほしいなぁって」

「何言ってるの? アイドルにプライベートなんてあるわけないじゃないですか」

「あなたは私のファンじゃないでしょ」

「あははー、むしろファンじゃないからこそ、有名人のプライベートのあら捜しとかしちゃうんですよ。頭おかしいよね、オタクって」


 頭おかしい子がなんか言ってますね。

 悪い子ではないんだけど、やっていることは悪質なストーカーと同じなので、どこかで一線を越えられないかヒヤヒヤしている今日このごろである。


「それよりみやびさん、二つ忠告」

「ん? 忠告って何よ」

「一つは、わざわざ監視カメラをハッキングしてまでみやびさんを探した理由なんだけど。今日、歌舞伎町で暴力事件が起きてるから、早めに帰った方が良いよ」

「暴力沙汰って、喧嘩のこと? そんなの歌舞伎町じゃ珍しくないでしょ。そりゃあ気をつけた方がいいのは確かだけど――」

「違うって。起きたのは殺し」


 穏やかじゃない。

 言われてみれば、確かに街がざわついている様子ではあった。すでに新宿駅近くまで歩いて来ているけれど、いつもよりパトカーの数が多い。

 こういう時は、関係のない人も気が立ってしまうから、無用なトラブルが起きやすい。


「場所は天下一通りのビル屋上で、時間的には二時間前くらい。被害者とか犯人の話はまだ流れてきてないけど、カメラを見る感じだと半グレの抗争っぽいから、とばっちりがあるかもしれないよ。だから、早めに帰った方が良いって忠告しておこうかなって」

「……それはありがたいけど」


 ちょうど駅のホームにはついたので、早めに帰ってしまおう。

 忠告は二つということだったので、私の方から尋ねる。


「それで、もう一つは?」

「さっき、みやびさんたちが一番街のアーチの所で待ち合わせしてた男、さっき言った殺しで揉めてた半グレのメンバーみたいだから、気を付けて」

「……それ、本当?」


 話の流れからすると、おそらく環季ちゃんの彼氏のことを言っているのだろう。

 確かにガラの悪い男ではあったけれど、なんで半グレのメンバーとか分かったんだ。


「殺しが合ったビルから出てきた中に、あの男の姿があったんだよ。そのあと、警察が来た時も近くで様子をうかがってたし、多分間違いないと思う。もうちょい調べてみることもできるけど、どうします?」

「いや、それは……」


 胡桃ちゃんなら調べられるかもしれないけれど、さすがにそういう危ない橋を渡らせるのは気が引ける。


 私が言いよどんでいると、「分かったよ」と、胡桃ちゃんは返答を待たずに言った。


「深堀りはしないでおくね。危ないことはしないから、安心してよ、みやびお姉ちゃん」

「そうだね。関係ないことに首を突っ込むと、痛い目見るからやめた方が良いよ」


 裏社会と上手に付き合うコツは、荒事には関わらないことだ。

 君子危うきに近寄らず――ただでさえ危険と隣り合わせなのだから、余計なことはしないのが身のためである。


 胡桃ちゃんと電話を切った私は、駅のホームで帰りの電車を待ちながら、スマホの画面に目を落とす。表示されているのは、ついさっき別れたばかりの環季ちゃんからのメッセージだ。


 環季ちゃんの彼氏――半グレのメンバー。今日起きた殺しと関係があるかもしれない男。そんなやつに連れられて、幸せそう顔で帰っていった彼女。


 友だちになった子が、ガラの悪い人と付き合っている時、どうするべきなんだろう。


「……友だち、だけど……まだ口出しするほどではない……よね」


 もどかしい気持ちを抱えながら、私はメッセージを入力した。


 次の予定。

 ひとまずは、それを伝えることで、今日の連絡は終わりにした。



※ ※ ※



「天下一通りの雑居ビルで殺されたのは、赤津組のチンピラで、端羽はしば尚樹なおきと言いました」


 確認をするように、櫻庭さんは言った。


「端羽は、その雑居ビルに入っていた闇金に用がありました。その日は数人の仲間を連れて、カチコミをかけていたのです」


 原因は数ヶ月前まで遡る。

 カジノ『シルエット』。そこはもともと、赤津組がケツ持ちをして、半グレたちに経営を任せていた店だった。


 そのオーナーをしていたのが、新藤蛍汰――つまり、環季ちゃんの彼氏である。


「『シルエット』は、赤津組の資金を元に運営されていましたが、実際の経営はほとんど新藤蛍汰に一任していたため、その実態を赤津組はほとんど把握していなかったようです。今の御時世、カジノ運営などリスクの方が大きいことを考えると、ヤクザが表に出てこないのはおかしなことではありません。最も、新藤はその隙を突いてきたわけですが」


 組からすればたくさんあるシノギの一つであり、組員ではなく半グレに店を任せていたことからしても、上納金さえ遅れずに収めていれば文句はない、というスタンスだったのだろう。だからこそ――カジノが乗っ取られていることに、赤津組は気づかなかった。


「端羽は度々、客として『シルエット』を訪れていました。目的はケツ持ちの店の見回りだったのでしょうが、実態としては接待を受けに言っていたようなものです。彼は度々『シルエット』に通っては、ギャンブルに興じていました。店からすれば、ケツ持ちの相手ですからそれなりに便宜を図ります。結果的に、端羽は毎度のように勝って帰っていました」


 闇カジノで店側がイカサマをすることは珍しいことではない。それは客を負かせるためであり、そして、特定の人物を勝たせるためでもある。


 その端羽というチンピラは、接待として勝たされていたということだろう。それは本人も承知の上だったからこそ、気が大きくなってどんどん掛け金が大きくなっていった。


 そして――


「ある日、端羽はルーレットで大負けをしました」


 勝てるはずのギャンブルで、なぜか負けが続く。


 他の客の手前、勝ったり負けたりを繰り返すのはおかしなことではない。そのように調整されているのだろうと勘違いして、端羽は何度も勝負を繰り返した。しかし、そのたびにボールは賭けた出目とは違うポケットに落ちていく。


 そしてついに、負けは膨大な金額となり、借金として端羽の身に降り掛かった。


「――その時にディーラーをしていたのが、環季ちゃんというわけですか」

「その通りです。彼女ははっきりと、端羽尚樹を潰すよう、新藤蛍汰に命令されていた」


 それは、ケツ持ちである赤津組に反旗を翻す行為だった。


 だからこそ、『シルエット』は潰れた。そのスムーズな流れを見るに、おそらくカジノを潰すところまで含めて計画されていたのだろう。新藤は責任を追求される前に雲隠れして、捕まえることができなくなった。


「最も、ここまでなら店を任されていた端羽の管理問題で、組内でのシノギの失敗として考えるだけで済む問題でした。カジノの利益を回収し、残った不良債権を我々上實一家に売却するといった事後処理ができる程度には、赤津組にも余裕がありました。しかし、端羽からすれば、ケジメを付けるためにも新藤を探さないわけには行かなかった」


 だから端羽は、新藤と関わりのある闇金事務所を襲撃したのだ。

 そして――殺されてしまった。


「ここがターニングポイントでした。それまでは、ただの組内部のトラブルでしかなかった。しかし、新藤の所属する半グレのバックに、別の組織がいることがこの殺しで判明したために、ことは抗争に発展する事となったのです」


 中華マフィア『无影ウーイン』。


 无影と手を組んだからこそ、新藤蛍汰は赤津組と手を切ることを決めた。

 そして、ヤクザとマフィアの抗争は泥沼に入っていく――



※ ※ ※



 環季ちゃんとは、週に一回くらいのペースで遊んだ。


 友だちになったばかりということもあって、次はいつ会うかというのを自然と取り決めするようになっていた。

 特になにか用事があるわけではなく、用事を作って会う口実にする。最初は互いに、ファンに会いに行くみたいな気持ちがあったと思うけれど、三回目くらいには自然と友だちとしての距離感がつかめてきたと思う。


 会うたびにとりとめもない会話をして、互いの価値観を共有していく感覚。


 地下ライブに初めて行った時の思い出とか、友だちとトー横で騒いだこととか、カジノであった面白い話とか、専門学校に通うための資金がようやく溜まったこととか、夢はフィギュアの造形師になることだとか、そういう話を聞いていた。


 くるくると変わる環季ちゃんの表情に癒やされながら、私は彼女との関係を楽しんでいた。


「みやびちゃんは、どうしてギャンブルが好きなんですか?」

「どうしてっていうと、まあ、スリルがあるから?」

「スリルですか……今邑は、スリルは嫌いです」

「そう? じゃあ、ジェットコースターとかは苦手なタイプだったりするのかな」

「ジェットコースターは安全じゃないですか。物理的に危険がないように整備されているものは、怖がる必要がないと思います。でも、ギャンブルは違います。どんなに最善を尽くしたって、負ける時はある。確率っていうのは、そういう理不尽じゃないですか」


 その言い分は、全てにおいて正しいとうなずける。

 確率というものは、とことんまで理不尽なものだ。


 仮に整備されていたジェットコースターで事故が起こったとしても、それはただのめぐり合わせであり、はじめから設定された確率ではない。ギャンブルの理不尽さとは、はじめから壊れる可能性を確率的に設定されていることにある。


 私はその理不尽さこそスリルの元だと思うし、環季ちゃんはその理不尽さを嫌いだと言う。


「先が見えないっていうのは、怖いです」


 環季ちゃんは目を伏せながら言った。


「自分の手が届かないところに結果があるってのは、怖いじゃないですか。ジェットコースターの例えで言えば、古くなった部品を交換させてもらえなかったり、定期的に整備をさせてもらえないようなものですよ。そんな状態で結果を期待するなんで、狂気だと思います」


 それは翻って言えば、環季ちゃんにとってのルーレットでもあるのだろう。

 最善を尽くせば望んだ結果を出せる程に、環季ちゃんはルーレットの技術を磨いた。


 結果を確率なんて不安定なものに任せたくないから、自分で結果を出せるように努力する。その考え方自体はおかしなことではない。


 最も、その結果として、環季ちゃんは神業じみた技術を身に着けているわけだけれど。


「環季ちゃんは先が見えないのが怖いって言うけれど、私は少し違うかな」


 確かに先が見えないのは怖い。


 ギャンブルの怖さというのは、目隠しをした状態で足場を積み上げていくのに似ている。自分で積み上げた足場が本当に安定しているのかわからない。けれども、一歩を踏み出さなければ、それが正しかったのかもわからない。


 そのスリル。

 分からないものが、確定する瞬間のカタルシス。


「先が見えないからこそ――見えた瞬間が、私は気持ちいいんだと思う」


 そう言って、なるほどと、自分で納得する思いだった。

 だから私は、環季ちゃんに執着をしたのだ。


 ギャンブラーは皆、先の見えない暗闇の中で、藁にもすがる思いで確信を探している。その確信が奈落への切符だったとしても、それにすがってしまうのがギャンブラーなのだ


 だからこそ、確信を体現している環季ちゃんのルーレットに惹かれてしまうのは、当たり前のことなのだ。


「でも、はじめから確定しているギャンブルなんて、スリルがないんじゃないですか?」

「そりゃあ、結果が見えていたら意味がないのは確かだよ。あくまで、勝負の最中に結果が見えることが重要なんだから。でも――不確定なものを、誰かが確定させてくれるってのは、やっぱり希望だなって思う」


 それは、スリルとは関係ない話として。

 誰かに保証されているということは、安心できる。


 環季ちゃんは私の言葉を聞いて、深くうなずいた。


「今邑も同じ気持ちです。見えないのは怖い。誰かに大丈夫って言われたい。誰だって、失敗したくて失敗しているわけじゃないけれど――何も知らずに失敗するくらいなら、分かった上で失敗したいって思うのは、おかしなことじゃないから」


 ――思えば、それが環季ちゃんの行動原理だった。


 不確定な事象が嫌だから、確定させようとする。

 不安定な状況が嫌だから、誰かに頼ろうとする。


 仮にそれが間違いだとしても――分かった上で間違いを犯してしまう。


ってのは、そもそも、『分かっているのに止められない』ものだしね)


 依存心は自信のなさの裏返しであり、それが間違いであると分かっていても、自分を肯定してくれるものから離れられない。

 行き着く先が破滅だとしても、その一瞬を保証してくれるのなら、すがりたくなるのが人情というものだ。


 ああ、本当に――報われない。


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