3.ヒットチャレンジルーレット
やはりと言うべきか、鯨波の目的も『絶対に出目を当てるディーラー』の噂だった。
「十中八九、あの女ディーラーで間違いねーとは思うんだけどな」
鯨波は真っ黒なカクテルを口に含みながらぼやいた。注文の時にブラック・レインと言っていたのは聞こえたけれど、あいにく私はあまりカクテルには詳しくない。
私はと言うと、トマトジュースで口をごまかしながら相槌を打つ。
「鯨波さんはどこでその噂を聞いたんですか?」
「別のカジノで、ギャンブラー仲間からの又聞きだよ。なんでもこのカジノの売りとして、ルーレットディーラーが話題になってるんだとさ」
「話題……ですか」
「そういう一色ちゃんは、どこで聞いたん?」
「私はカジノを紹介してくれるホストからですね。今話題のカジノを聞いたら、面白いディーラーがいるってここを紹介された感じです」
奇しくも、それぞれ似たような形で紹介されてきているようだった。
となると――噂になるだけの理由がありそうなものだった。
「鯨波さんが大勝ちした後に、あの女性ディーラーに替わったんですよね。これ以上勝たせないためにうまいディーラーを置く、ってのは、別に珍しくはないと思うんですけど」
「だよなぁ。そのくらいで噂になるのは解せないわな」
それに、これでは出目を外すだけだ。
噂の元は、『絶対に出目を当てる』なのだ。つまり、出目を当てるような何かがあるはずなんだけれども――
「ちなみに、鯨波さんはどうしてあの女の子が噂のディーラーだと思うんです?」
「このカジノで、あいつが一番上手かったからだよ」
確信のこもった様子で、鯨波は端的に言う。
「場面さばきはもちろんだが、何よりもスピンの動作が常に一定だった。動きにムラがない。それでいて、ボールの速度の緩急がついてたし、ありゃあ、歳の割にかなり熟練だと思うぜ」
スピンというのは、ルーレットにボールを投げ入れることを指すカジノ用語だ。
その動作が一定だというのは当たり前のように思われるだろうが、その『一定』がどれだけ難しいかは、技術が物を言う競技に身を費やしたことがある人ならわかるだろう。常に変化する状況を前に、常に平静で同じプレイを続けられるのは、それだけで一つの技能だ。
しかし、そこまで言うか――鯨波の見る目がどれだけあるのかは分からないが、確かに他に候補も居ないので、俄然興味が湧いてきた。
まあ、問題は、その女ディーラーは、鯨波が席を離れた瞬間に引っ込んで、今はどこのテーブルにも居ないことなんだけれど。
そのまま私達は、あーだこーだと意見を交換しつつ、自然と雑談を続けてしまう。
前回の『紅一点』での麻雀勝負から二週間ほど経つが、そもそも鯨波とまともに話をするのはこれが初めてのようなものなので、話のネタは尽きなかった。
「一色ちゃんはなんのゲームが一番好きなんだ?」「麻雀ですかね」「奇遇だな、あたしもだよ。こないだは楽しかったな」「その件についてはお恥ずかしいところを」「今度は平で打とうぜ。それか別のゲームでも良いな。麻雀好きなら、一色ちゃんはポーカーはやる?」「良いですよね、ポーカー。実力が出ますし」「運否天賦もいいけど、やっぱ醍醐味は駆け引きだよなぁ」「駆け引き言えば、
仲良しか。
盛り上がるってほどじゃないけれど、なんとなく話題は尽きず、淡々と思いついたことを投げ合うキャッチボールのような会話を続ける。
「鯨波さんは、ギャンブルで勝つのが好きって前に言いましたよね」
いい機会だからと、私は聞いてみたかったことを口にした。
「ああ。そういう一色ちゃんは、スリルが楽しいんだっけ」
「そうですね。私の場合、勝ち負けはもちろん重要ですけど、どちらかといえば楽しむためにギャンブルをしている所があるんで、鯨波さんみたいな勝ちにこだわるとは違うと言いますか。――そもそも、ギャンブルで『勝ち』に執着するのは、悪手じゃないですか?」
基本的に、ギャンブルというのは運否天賦が関わるものだから、常勝とは行かない。
どんなに人事を尽くしても天命次第で負けてしまう。望んだ結果が手に入らないこともあるからこそギャンブルである。
それに、勝ちに拘ると正常な判断ができなくなり、確率的に間違った行動を取ってしまうのが人間というものだ。ポーカーで言うところのティルト状態。確率的なかたよりで負け続けた時など、負けを取り返そうと大きく賭けて、結果的に負けてしまうなんてよくあることだ。
「確率的に99%勝てるとしても、1%を引く可能性があるのがギャンブルじゃないですか。それなのに、勝ちたいからギャンブルをするってのはどうなんですかね?」
「何いってんだ。それこそ、スリルがあるだろ?」
私の問に、鯨波は自明のことのように答えた。
「1%でも負ける可能性があるからこそ、勝った時に嬉しいんじゃねぇか。逆に、99%負けるとしても、残りの1%に賭けて出来る限りのことをするのが、ギャンブルの醍醐味だろ? そういう所は、アンタと共感しあえるって思ってるんだけどな、一色ちゃん」
言われてみて、なるほどと納得する。
私が求めるものと鯨波が求めるもの。それは、ギャンブルの過程であるか、それとも過程を含めた結果であるかというだけの話だったのだ。
私にとってギャンブルの魅力は、先の見えない暗闇の中で、急に視界が開けるような快感である。それは、不安で潰れそうだからこそ、開けた瞬間のカタルシスは大きい。それが勝利の快感であるというのなら、鯨波の言う『勝つのが好き』というのは、共感出来るものだった。
ギャンブルというのは結果がわからないからこそギャンブルだ。
その分からなさは、ギャンブラーにとって恐怖であると同時に希望でもある。その希望にすがろうとして破滅してきた人間を何人も知っているからこそ、私達は少しでもその希望を確かなものにするためにあがいてしまうのだろう。
「あたしが一色ちゃんに興味を持ったのは、そういうところで共感できるんじゃねーかって思ったからだよ。ま、それは想像以上だったみてぇだがな」
ニヤニヤと期待するような目を向けながら、鯨波はグラスのお酒をぐいっと飲む。
そんな、互いの価値観を語り合うような、この歳になると中々経験できないような時間を過ごした。ギャンブルが趣味という、本来なら大きな声で言えない価値観を持っているからこそ、通じあえるようなものがある気がしたのだった。
そうしていると、いつの間にかフロア全体が妙な騒がしさで満たされ始めた。
「ん? なんだ。人が集まってるな」
広いフロアにいた客たちが中央に集まって、人だかりができていた。
それはまるでステージのようだった。ご丁寧に大型ディスプレイまで設置されて、中心の様子が見えるようになっている。
ディスプレイ越しに見えるその光景は――ルーレット台?
「行ってみようぜ、一色ちゃん」
さすが、判断が早い。鯨波はブラック・レインを飲み干すと、身を翻して人だかりの方へと歩き出す。私もその後からついていった。
ステージの中心にあるのは、オーソドックスなルーレット台だ。
ルーレットのウィールとチップを置くテーブル。それを挟んで、客とディーラーが向かい合っていた。
客の方は――なんだか見たことがあるな。赤ジャージにスポーツ刈りの若い男だ。前にマンションバカラで大負けしている所を見たけれど、確か、テニスプレイヤーの浦目だったっけ。
彼は熱がこもった声で「さあ、外せ、外せ!」と勢い込んで叫んでいる。
それに対して、向かい合っているディーラーは、大きく広げた両手をテーブルについて、正面から浦目と向かい合っていた。
「いいえ、当たりますよ」
あの、イマムラという名の眼鏡におさげのディーラーだ。
今は眼鏡を外し、結んでいた黒髪も下ろしてまるで別人のようだった。ディーラー服もチェックベストとフリルスカートに着替え、頭にミニハットを乗せている。まるでアイドルのような出で立ちで、彼女はステージに立っていた。
「だって――
自信満々に、胸を張ってディーラーは言う。
すでにボールは投げられている。
ウィールのトラックを走るボールの音がこちらにまで聞こえてくる。やがて、ボールは勢いを落として一つのポケットに落ちた。
その結果に、ディーラーは勝ち誇ったように満開の笑顔を浮かべた。
「ほら、当てたでしょ?」
13番、黒。
それはどうやら、浦目が賭けた番号だったらしい。
しかし、どういうことだろう。当たった番号に賭けた浦目がうなだれて、逆に当てられたディーラーの方が勝ち誇っている。
通常のルーレットでは考えられない光景だった。
「くそ、もう一度だ!」
「まだやりますか? いいですけど――お一人、五回までですよ。お客様。ま、何度やっても結果は同じですけどね!」
どことなくからかう調子でおさげのディーラーは言う。丁寧語こそ使っているが、態度は先ほどとはまるで別物だ。そこには鯨波が座っていたテーブルに居た時の雰囲気とは違う、明るく華やかな女性の姿があった。
そして、次の賭け。
まず浦目は、チップを追加した。このテーブルだけの特殊チップだろうか。
「50って描いてあるな」
「なんつー視力してるんですか」
「ディスプレイに映ってるし、デザインが二十万円チップと同じだ。見分けは容易い。それより――浦目のテーブルを見てみな。同じ色のチップが数枚しか無い。つまり」
「……まさか、ミニマム五十万円なんですか、この勝負!?」
火傷じゃ済まない高レートだ。
その高額のチップを、浦目は四枚持っているようだ。この時点で二百万円。その中から三枚をレイアウト(賭けるチップを置く場所)に置いていく。賭けた出目は――0、14、22。ルーレットの配置的にも、バラバラの出目だ。
「お客様、三点賭けで大丈夫です?」
「ああ。勝負だ!」
「おっけ。じゃあ――行きますよ」
浦目が賭ける出目を決めるのを見て、ディーラーは右手でウィールを一度止める。そして、まるで位置を調整するかのようにしたあと、ゆっくりと反時計回りに回し始めた。
続けてボールを手に取って、ウィールの回転とは逆周りにボールを弾いた。
スピンされたボールがウィールのトラックを勢いよく走っていく。ボールは十周ほど回った後、勢いを落として数字の割り振られた溝へと落ちていった。
余計に跳ねたりすること無く、すっぽりと、出目へと落ちる。
その数字は――0。
「大当たり! ごめんなさいね、お客様。お店の勝ちです!」
「くそ、なんで当てられるんだ!」
出目を当てた浦目は恨み言を言い、逆に当てられたはずのディーラーは嬉しそうにその事実を誇る。それどころか、『お店の勝ち』と言ったか?
浦目が賭けていた三枚の五十万チップは、一枚が没収され、二枚が返却された。それも不可解だ。通常、外れたチップはすべてカジノ側が回収するものだが、このゲームに置いては、当たった出目に賭けられたチップだけが回収された。
「なんなの、このルーレット」
一つだけ言えるのは、私が知っているルーレットとは違う、特殊ルールで行われているということだけだ。
私が困惑しながら見ていると、隣に居た鯨波が「なるほどなぁ」と納得したように呟いた。
「鯨波さん、なにかわかったんですか?」
「ん? ああ、まあな」
ギラついた目でステージを見ていた鯨波は、どこか愉快そうにしながら口を開こうとした。
その前に、ステージの方でディーラーと浦目が話すのが聞こえた。
「どうします? あと二回勝負できますけど」
「ぐ、うぅ……」
「今邑は、止めといた方がいいと思いますけどねー」
不敵に笑うディーラーに触発されたように、浦目はうなりながら残り三枚のチップを、全て一点に賭けた。
「二回もいらん! オレも男だ、一点で勝負だ!」
「―――」
浦目の選択に、ディーラーは一瞬だけ目を丸くする。
一呼吸分間をおいた後、彼女は表情に笑顔の仮面を貼り付けながら言った。
「なんとオールインです! さあ、みなさん、再び勝負となりました! お客様が賭けたのは16番。さて、今邑は見事、この番号を当てることが出来るでしょうか! それでは、イッツショータイム!」
観客を盛り上げるようにそう言った後、彼女は再び、ウィールを回してボールを投げ入れる。リリースされたボールが16番の出目に落ちるのは、それから数十秒後のことだった。
歓声が沸き起こり、浦目は悔しそうに机に突っ伏してうめき声を上げる。ディーラーはそれをいたましそうに見下ろすが、すぐに笑顔を貼り付け直して、観客に向けて言う。
「さあ、今邑の出目当てゲーム、『ヒットチャレンジルーレット』。今日はあと二組までお受けしますよ! ミニマム五十万、天井はなし! 次に挑戦する方はいませんか?」
ヒットチャレンジルーレット。
出目当てゲーム。
なるほど。これはルーレット台を利用しているだけで、その本質は全く別のゲームだ。その上、掛け金は青天井と来ている。セオリーも何もわからない状態で、そんな高レートに手を出すなんて、大火傷してもおかしくない自傷行為としか言えないが――
「あたしがやる」
そう言って手を上げたのは、鯨波だった。
そうだろうと思っていたので、私は特に驚きはしない。
せっかくなので、鯨波の挑戦を見せてもらおうと思い、彼女と一緒にテーブルの近くまで移動した。
「わぁ、すごい美人さんです! 珍しい女性の挑戦者ですが、今邑、緊張してきました」
「そりゃ良かった。緊張したら、出目を外すことだってあるかも知れないからな」
不遜な態度で言いながら、鯨波はテーブルに手をつく。
そして、目の前のディーラーに尋ねる。
「ディーラーちゃん、確認させて欲しいんだけど。このゲーム、あたしが賭けた出目を、アンタが外したら勝ちってルールで合ってる?」
「はい、その通りです」
ディーラーはうなずいた後、賭け方について説明をした。
「お客様は、三つまで出目を賭けられます。三つ選んでもいいし、一つだけでも構いません。私はその指定された出目を狙うので、ボールを落とせるかどうか勝負をします。選んだ出目の数と、ボールが落ちた結果に応じて配当は変わってきます」
ディーラーが出目を外した場合――つまり、客が勝った場合、配当が支払われる。
出目三つ……1.5倍配当
出目二つ……2倍配当
出目一つ……3倍配当
逆に、ディーラーが出目を当てた場合――客が負けた場合は、賭け金は没収される。
出目三つ……三分の一没収
出目二つ……半分没収
出目一つ……全額没収
それを聞いて、鯨波はうなずく。
「つまり、当てられた出目の分は没収で、外した出目に関しては返されるわけだ」
「その通りです。なので、一点に何枚も賭けるより三点に分けた方が保険にはなりますが、その分、お客様が勝った場合の配当は少なくなります」
「了解。じゃあ、チップを交換してくれ」
そう言って、鯨波は大量のチップを交換した。チップ交換だけで、観客からどよめきが起こる。無理もない。だって、彼女が交換したチップは五千万円以上ありそうだったからだ。144倍を当てたというのは伊達じゃないということだろう。
百枚以上の五十万チップを前に、鯨波は冷静な目でルーレット台全体を睥睨する。
そんな鯨波に、ディーラーはルール説明を続ける。
「賭けるチャンスは、挑戦者一人につき五回までです。五回の中でしたら、いくら賭けていただいても大丈夫です」
「――いくら賭けてもいいっていうのは、天井なしってことだよな? 仮にレイアウトに置けないくらいの量を置く時は、両替した方がいいか?」
「どちらでも構いません。もし置けないくらいのチップを一点に賭けたい場合、賭けたい場所に一枚置いた後、賭ける分を宣言して手前に出してもらえれば大丈夫ですよ。なんだったら、専用チップじゃなくても、現金や普通のチップを加えてもらってもいいです」
「へぇ。でもそれじゃ、配当を計算するのが大変じゃないか?」
「大丈夫ですよ。だって――」
そこで、ディーラーは不敵に口角を上げて見せた。
「いくら賭けようと、今邑が出目を外すことはありませんから」
ほぅ――と。
鯨波は目を細めて、口角を愉快そうに歪めた。
「大層な自身だな、ディーラーちゃん。なら――」
言って。
彼女は五十万チップを一枚、『00』の出目に賭けた。
ディーラーが目を細め、鯨波は挑戦的に目を見開いて見返す。
にらみ合うように見つめ合った二人だったが、視線が交錯したのはわずか数秒――次の瞬間、鯨波は百枚以上のチップを全て押し出した。
「オールインだ、ディーラーちゃん。さあ、勝負しようぜ」
不敵に笑う鯨波。
観客から歓声が沸く。急激に場の熱気が上昇し、ビリビリとしびれるような空気が肌を逆撫でていく。カジノホール全体が一瞬にして鉄火場に変わるその興奮は、火遊びを楽しんでいた客たちの心を鷲掴みにした。
そんな中――ディーラーは薄く口元を笑わせた。
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