2.ルーレットはカジノの女王


 ルーレット。


 回転する円盤の上にボールを投げて、どの出目に落ちるかを予想するカジノゲーム。ウィールと呼ばれるすり鉢状の回転盤には、0から36までの数字が書かれ、赤と黒の色が交互に割り振られており、必ずどこかの出目にボールが落ちるように出来ている。


 カジノの中では定番中の定番で、詳しくない人でもルーレットに使う回転盤ウィールくらいはイメージできるだろう。

 その単純なゲーム性と賭け方のバリエーションの多さから、多くのカジノユーザーに愛されており、別名『カジノの女王』などとも呼ばれている。


 このルーレットだけれど、ディーラーが出目を操れるのではないかという問題は昔から何度も議論がかわされてきた。

 仮に、狙った出目に確実にボールを落とせるディーラーが居るのならば、ルーレットは運否天賦の勝負ではなく、ディーラーとゲストの心理戦という要素が生まれる。そのため、カジノでは昔から、ルーレットはディーラーとの勝負だとされている――のだけれど、現実問題として、現代のルーレットでは狙い通りの出目に落とすのはだと言われている。


 理由はいくつかあるけれど、最も大きな理由として、カジノ側がそれを許さないからだ。


 これは海外の公営カジノの話になるけど、運営元がはっきりしているカジノは、万に一つもイカサマの可能性を残すわけには行かない。それは、信用問題に関わるためだ。特にカジノのイカサマで一番多いのはディーラーが行うものなので、その可能性を潰すのは当然だ。


 例えば、出目の溝を浅くしてボールが一発で落ちないようにする。

 例えば、スロープに障害物を設置してボールが跳ねるようにする。

 例えば、ボールを投げ入れる時にウィールの方を見ないで投げる。

 例えば、ウィールの回転を手動で回して等速で動くのを阻止する。


 などなど、とにかくディーラーが出目を狙えないように、いくつもの制約が存在する。


 そもそも、そういったイカサマ対策がなかったとしても、回転するウィールで狙った出目を出すのは至難の業だ。せいぜいが周辺を狙うくらいで、確実に狙った数字を出せる神業を持つディーラーはそう居ないはずだ。


 まあ、ルーレットのゲーム性を考えると、ボールを落とせる大体の位置を狙えるだけでも十分ではある。ディーラーとしては客の予想を外しさえすれば良いのだから、客が賭けた数字の真反対を狙えば良いのだ。その場合でも、客はディーラーがボールを投げ入れた後もしばらくは賭けることが出来るため、特段ゲスト側が不利であるわけではない。


 以上、ルーレットにおける出目操作が難しい理由を話したわけだけど――それでもなお、ディーラーが出目を操作できるという都市伝説は無くならない。それくらい、夢のある命題であるとも言えるだろう。


 さてさて。

 そんな都市伝説にホイホイ釣られる人間の一人である私は、凄腕のディーラーが居るという噂のカジノへと、早速足を運んでいた。


 池袋の繁華街の中にある雑居ビル。

 ゲーセンやカラオケなどのアミューズメント施設が入っており、昼夜賑わいを絶やさないが、その六階に問題のカジノはあった。


 カジノ『シルエット』

 ワンフロアを広々と使ったこのカジノは、日本において賭博が違法であることを忘れさせるような大胆さがある。人気のバカラ台は少なくとも三台あり、他にもブラックジャックや、クラップス、ポーカーなど、定番どころは一通り揃っている。


 もちろん、その中にはルーレット台もあった。

 まるでメインステージのように、中央の壁際に一台、クラシカルな回転盤が設置されたテーブルがある。今はディーラーが不在のためかそのテーブルは空で、代わりにフロア南側に二台のルーレットテーブルが立っていた。


 それなりに賑わっているらしいそのテーブルを見つけた瞬間、連れが脳天気な声を上げた。


「ほらほら、ルーレットっすよ! 早く行ってみましょうよ、みやび先輩!」

「……あんた、仮にもアフターなんだから少しはエスコートしてくれない?」

「え? してますけど」


 キョトンとした顔をするマサキだが、これでエスコートしているつもりだったらお前は今すぐホストを辞めろと言いたい。


 ホストクラブ『クルセイド』でドンペリを開けてひとしきり騒いだ後、二十二時に差し掛かる頃に、マサキはアフターと称して仕事を早上がりしていた。

 表向きは私をカジノに案内するってことだったけれど、どうもこの男、今日は指名がつかないから早く上がりたかっただけらしい。本当に調子のいい男だ。


「ねね、先輩先輩」

「ん、何?」

「せっかくカジノに来たんですし」

「ですし?」

「ちょこっとお小遣いが欲しいなー、なんて」

「自分の金で遊べや」

「あったら遊んでますよ!」


 叫ぶマサキくん。この野郎、入り口で現金をチップに交換していないと思ったら、やっぱり無一文オケラで来やがったか。というか、最初から私にたかるつもりだったな。


 私がゴミムシを見るような目を向けると、マサキは追いすがるように言ってくる。


「良いじゃないっすか! カジノ紹介したし、アフターまでしてるんスよ? 早上がりした二時間の給料分、遊ばせてくれてもバチは当たらないと思うなぁ!」

「……はいはい、分かったよ」


 まあ、立場上は、私は客でマサキはホストである。ホストのアフターというのは、営業活動でもあるけど実質はサービス残業なのだ。それに付き合わせているのだから、客側が遊興費を持つのはおかしな話ではない。


 幸い、今日はそれなりに遊ぶつもりでATMからお金を下ろしてきているので、軍資金は五十万円くらいある。加えて、初来店の店なので、10%程度のサービスチップをもらえたから、十万円くらいならマサキくんに回しても大して損はしない。


 店員さんにチップトレイをもう一つもらい、チップの一部をマサキに渡す。その間、私は店の様子をざっと観察する。


(それにしても――アングラカジノとは思えないくらい賑わっている。この場所、前来た時は別の店だったけど、あの時はここまで大胆に営業してなかったはずだけど)


 客入りはざっと四十人程度。それも、セレブとかではなく一般人の火遊びという感じで、どこか浮ついた空気だ。そのためか、あまり賭け事に慣れている感じではなく、テーブルのあちこちで博奕にのめり込んでいる狂気的な熱気が吹き上がっている。


 店内のレイアウトは高級志向で、赤い絨毯に落ち着いた色の照明器具。壁際には雰囲気を醸し出すような調度品が等間隔に並べられているし、奥のバーカウンターでは専門のバーテンが休憩中の客に酒を振る舞っている。


(カジノと聞いて想像するような分かりやすい高級感と華やかさ。こういう非日常感を演出しているのは、メインの客層を一般人にしているからって感じかな。でも、ここまで派手に開店したりして大丈夫なのかな?)


 闇カジノは警察の摘発対策でしょっちゅう店の場所を変えるため、基本的に最低限の内装がされていれば十分だったりする。高級志向を追求しても、結局は数ヶ月でだめになるからだ。実際、私が数年前にこの立地のカジノに来た時は、もうちょっとひっそり営業していた。


 今、これだけ派手に営業しているのは、警察に対して強い影響力を持つ存在がバックに居るってことなんだろうけど……このご時世、暴対法で弱体化した暴力団にそんな力があるとは思えないけど、どこがケツモチをやっているのだろう?


(ま、そんなの気にしても仕方ないか。とりあえず遊ぼう)


 件の凄腕ディーラーの存在を探るためにも、まずは普通のルーレット台に挑戦だ。


「さっそくルーレットっすね。どうやって賭けるんスか?」

「もしかしてマサキくん、ルーレット初めて?」

「そッス」

「それじゃあまず、チップをルーレット用に替えてもらうところからね」


 私はルーレット台の空いている席に座りながら、ディーラーに向けてチップを差し出した。


 通常、カジノでは現金をチップに換えて賭けを行うけれど、ルーレットに関しては更に専用のチップに交換する必要がある。これは、複数の客が同じテーブルにチップを置くため、誰が賭けたチップかはっきりさせるためだ。


 ルーレット台の定員は大抵6~8人で、満員の場合は席があくまで待つ必要がある。幸い、二人分の席が空いていたので、私はマサキくんと並んで席についた。

 レートは、ミニマムベットが千円。マキシマムベットが二十万円。中々のレートだ。


「……マサキくん、すぐにパンクしないでよね」

「大丈夫ですって! ちなみに、これで勝った分って、貰ってもいいっすか?」

「その十万はあげるから、好きにしちゃっていいよ」

「よっしゃ!」


 自分のお金になると分かったからか、マサキくんは俄然やる気を見せ始めた。さてさて、この勢いがどれだけ続くことやら。


 ここで、ルーレットについて簡単に説明をしておこう。

 今から遊ぶルーレットは、アメリカンルーレットと呼ばれるタイプで、出目が38に分けられたタイプのものだ。出目に割り振られる数字は、1~36、そして0と00。


 かつては0が一つだけのヨーロピアンルーレットが主流だったのだけれど、現在ではアメリカンスタイルが定番となっている。0の数が違うだけで何が変わるかと言うと、出目が一つ増えた分、カジノ側が有利になるのだ。


 理由は控除率である。


 ルーレットで一点賭けをした場合、当たった時の配当は36倍で返される。簡単に言えば、一円を賭けて当たれば三十六円になって戻されることになる。

 それに対して、アメリカンルーレットの出目は38個存在するので、一点賭けで当たる確率は38分の1。仮に全ての出目に一円ずつ賭けたとして、三十八円が必要になるので、36倍になって返ってきたとしても、必ず二円ずつ負けることになる。この二円分が控除率、つまりカジノの純利益となる。


 カジノゲームというのは、確率的に必ずカジノ側が儲けるように出来ている。その最も分かりやすい事例が、このルーレットの二円分の有利だ。局地的には大勝ち出来たとしても、長い目で試行回数を重ねると、この二円の差がどんどん積み重なっていく。だから、カジノで客が確実に勝つ方法は、


(ま、だからこそ、ギャンブルはあくまでも遊びと割り切るべきなんだよね)


 ルーレットチップをコツコツと叩きながら、私はマサキに対して賭け方を教える。


「一番簡単な賭け方は、赤か黒のどちらかに賭ける方法。ルーレットの出目は、0と00以外は、全ての出目に赤か黒が交互に割り振られているから、どっちに落ちるのかを賭けるの。配当は二倍だから、単純に賭け金が倍に増える」

「へぇ。じゃあ、確率的にも2分の1なんすかね?」

「そう簡単じゃないって。さっきも言った通り、0と00は緑色で赤黒賭けの範囲外だから、赤か黒が割り振られているのは18個だけ。確率的には38分の18で、約47%」

「先輩、暗算早いっすね!」


 小学生みたいな褒められ方をされた。


 まあこの男の場合、煽りでもなんでも無い素直なものだろうから、気にするだけ無駄だろう。私はため息を付きながら、続きを話す。


「次に、数字に賭けていく方法ね。一つの数字に賭ける場合は、台のレイアウトに書いてある数字の上にチップを置けばいい。置いた数字にボールが落ちたら配当は36倍。もし、一つのチップで複数の出目に賭けたい場合は、賭けたい出目に被るように、枠線の上にチップを置くの。配当は、二点賭けなら18倍、三点なら12倍、四点なら9倍って風に、賭けた数に応じて下がっていくけどね」

「チップは一枚しか賭けちゃダメなんスか?」

「そんなこと無いよ。チップ一枚でも、複数の数字に賭けることが出来るってだけ。離れすぎている出目は無理だけど、その場合はもう一枚チップを使えばいい」


 ルーレットテーブルの配置表では、極端な話、1と36は同時に賭けられないので、それぞれに一枚ずつチップを置くことで賭けることが出来る。もちろん、ボールが落ちるポケットはひとつなので、どちらかは無駄になるけれども、一点賭けで外れるよりはマシだ。


「他の賭け方としては、ローナンバーの1~18、ハイナンバーの19~36のどちらかに賭けるハイロー賭けが2倍。偶数か奇数に賭けるイーブンオアオッドが2倍。数字を大中小か縦一列に分けて、12個の数字に賭けるのが3倍。大まかにはこんなところかな」

「はいはい! 質問っす。どの出目に賭ければ当たるっすか?」

「それが分かれば苦労しない」


 だからこそのギャンブルだ。


 まあ、初心者におすすめなのはやはり赤黒賭けだ。シンプルイズベスト。何より、数字の配置を知らなくても、ボールが落ちるまで目を離さずに見ていられる。


 実践ということで、マサキは赤に千円チップを置いた。出目は黒の11。ハズレ。その次も赤に賭ける。出目は赤の36。当たり、千円を取り返す。次は……。


 次第に熱中していくマサキを尻目に、私はハイロー賭けで様子を見ながら、そっとディーラーの様子をうかがった。

 中年の男性ディーラーだった。気取ったように髪型をオールバックにして、シャツの前を開けている。腕に巻かれているのはロレックスだろうか。典型的なちょいワルおやじと言った感じで、コロンの匂いが少し不快だった。


 十ゲームほど遊んでみて、早くも期待はずれであると確信した。


(噂のディーラー、多分このオッサンじゃないな)


 仕草こそ気取っているが、あまり上手いディーラーではない。


 ディーリングの上手さには色んな種類があるが、大まかに三つ、演出の巧さと場面さばき、そして出目のちらし方がある。


 演出というのは、客をどれだけ盛り上げられるかという話で、ルーレットに限らずカジノゲームではディーラーに必要な技能の一つだ。話術を駆使したり、勝負を盛り上げるためのパフォーマンスなどがある。それに関しては、このオッサンディーラーはそれなりに心得があるようで、出目が決定する度に大仰に数字を読み上げて、勝った客と負けた客、両方をフォローする上手さがあった。


「さて、さっきは赤が出ましたね。これで三連続。幸運なお客様は、チップを積み重ねているようです。しかし、バカラでバンカーが続かないように、赤黒も何度も続くものではありません。さあ、次は黒に女王の微笑みがあるでしょうか!」


 大仰な口上に、語りかけるような話口。人によってはうざったく感じるものだけれど、こういう親しみやすさは、鉄火場に置いて客の気持ちを盛り上げる一要素でもある。そうした意味で、このディーラーは客を乗せるのがうまい。


 しかし、肝心の場面さばきと出目のちらし方が雑だった。


 ディーラーにとってルーレットの場面さばきは難易度の高い技能の一つで、一瞬のうちに配当の計算とチップの勝ち負けを選り分ける必要がある。


 ルーレットの場面さばきができれば、どのゲームのディーラーも務められると言われているくらい、プロフェッショナルの仕事である。このオッサンディーラーは、チップを回収するのがあまり上手ではなかった。まあ、長い口上や話術は、チップを選り分けるための時間稼ぎのようなものだろうし、そういう意味ではうまいとも言える。


 それより致命的なのが、出目のちらし方だ。

 簡単に言えばこのディーラー、出目が分かりやすい。


 ルーレットディーラーが出目を狙えるかという命題について、基本的には無理だと言ったにもかかわらず、真っ向から矛盾するようなことを言うけれど、出目が分かりやすいディーラーというのは存在する。


(狙っている感じはないし、単純に下手なんだろうけど――試してみようかな)


 ルーレットは、ディーラーがボールを投げ入れてからも数秒間はチップを賭けられるので、私はディーラーの様子をじっと観察する。


 そして、ボールが投げ入れられた瞬間、九枚の千円チップを手にとった。

 賭ける出目は――3、5、7、15、17、20、22、32、34。


 一見すると法則性のない賭け方に、マサキがびっくりしたように声を上げる。


「ふぁ! 先輩、何スかその賭け方!?」

「まあ、見てなさいって」


 結果は数十秒後に出る。


 落ちたポケットの出目は黒の20。

 36倍配当。


 千円が三万六千円になって返ってきた。他の出目は外れているため、八千円分のチップは回収される。つまり純利益としては、二万八千円である。


 その後も、私は同じようにバラバラの数字を賭けて、内三回出目を当てた。徐々に手元にチップが増えてくる。最終的に、十万円近くチップを増やすことが出来た。


 そうするうちに、ディーラーの交代の時間がやってきたらしい。オッサンディーラーが若い男性のディーラーと代わった。私は数ゲーム適当に賭けた後、浮いたチップを交換してルーレット台の席を立った。


「すごい、すごいっすよ先輩!」


 ひとまず休憩でバーカウンターに座った私は、早速マサキからの質問攻めを受けた。


「なんであんなに出目を当てられるんスか! やっぱり必勝法があるんでしょ、ねえ!? 教えてくれないなんてずるいっスよ!」

「必勝法なんて無いってば。現に、何回かは普通に負けてたでしょうが」

「でも、あんなバラバラの数字を賭けて、何度も当てること自体がすごいっスよ」

「バラバラだって考えること自体が間違いなんだけどね。マサキくん、私が賭けた出目を見ても何も気づかなかった?」

「え、法則性があるんスか?」

「法則性って言うほど立派なものじゃないよ。あれは単純に、ルーレット上で隣り合った数字の出目ってだけの話だから」


 ルーレットの配置は固定だけれど、その数字配列自体は、対角線上に連続する数字が置かれるというルール以外は不規則な配置になっている。そのため、一見バラバラの数字に見えても、実際は隣り合った出目であるという事が起きる。


「ルーレットはボールが落ちる位置を当てるゲームだから、大まかに何時の方向に落ちる、ってのが読めれば、当てるのはそう難しいことじゃないんだよ。落ちる可能性のある範囲にある数字を九個から十個、全部抑えてしまえば、どれか一個は当たるんだから」

「そんな、落ちる方向なんてしっかり分かるもんなんスか?」

「うまいディーラーだと、落ちる位置を適当に散らすから難しいけどね。でも、今のディーラーはあんまり上手じゃなくて、ほとんどのボールが12時から3時の間か、9時から0時の間、つまり上の方に偏っていた。あとは、ウィールの回転を見て、大まかに落ちそうな場所を予測したって感じ」


 いわゆるシフトベット法と呼ばれる賭け方で、ルーレットを四つのエリアに分けて四分の一の勝負をする攻略法だ。ボールの投げ方が甘いディーラーだと、かなりの確率でこのシフトベット法が刺さることになる。


「落ちる位置が偏るのって、下手なんスか? それって、出目を狙えるって言ってるように思うんっスけど」

「客に落ちる位置を読まれるくらい同じ結果が連続するってのは、下手以外の何ものでもないよ。だって、ルーレットは客が出目を当てるゲームなんだから。多分あのディーラーは、同じくらいの勢いでしかボールを投げられないんだと思う。まあそれでも、ピンに当たったりポケットに落ちる前に跳ねたりするから、絶対に当てられるものじゃないけどね」


 うまいディーラーになると、ボールのスピードに緩急をつけたり、ウィールを回す時のタイミングをずらして客が予想しづらいようにディーリングをする。


 ルーレットのディーラーに求められるのは出目を出来る限りランダムにすることであり、客を勝たせることではないのだ。


「もしこれが、絶対に出目を当てるディーラーの正体だったら、さすがにがっかりだけどね」

「さすがにそんなことは無いと思うっスけどねぇ。あ、この酒も無料なんスよね? だったらバーテンさん、もう一杯お願いっす!」


 カジノの飲食は基本的に無料なので、これ幸いとマサキは高い酒を頼んでいる。ほろ酔い状態でさぞかし気分がいいことだろう。


 私はと言うと、あまり酔いすぎると判断に支障が出るので、カジノに来てからはソフトドリンクだけだ。ようやくホストクラブで飲んだドンペリの酔いが冷めてきた所なので、ここから本格的に遊ぼうかと気合を入れる。


「マサキくん、私があげたチップ、どれくらい残ってる?」

「ちょっと目減りしたんで、七万くらいっすかね」

「それくらいあれば他のゲームも遊べるだろうから、好きに遊んできたら? 私はもう少しルーレット台で遊んでみるから」

「あざっす。じゃあ、ちょっくらブラブラしてきますわ」


 マサキはグラスを片手にフラフラとバカラ台の方に吸い寄せられていく。うーん、ホストとは思えないくらいガッツリ酔ってやがるね。あれはいいカモだろうなぁ。


 さて、と。

 さっきのオッサンディーラーはさすがに違うとして、では一体、誰が噂のディーラーなのか、少し情報収集をしようと思う。こういうのは常連客に聞くのが一番だけれど、誰か慣れてそうな人は居ないだろうか。


 フラフラとルーレット台の方へと足を向けると――そこでえらく大勝ちしている女が居た。


「げ」


 思わず声が漏れた。

 その大勝ち女は、テーブルに大量に積んだ二十万円チップを惜しげもなく賭けていき、席にふんぞり返ってボールの行く末を眺めていた。


 ボールは次第に勢いを失い、途中のピンに当たって大きく跳ねた後、不規則に跳ねながら一つのポケットにすっぽりと落ちた。


「17番、黒です」


 女の予想は的中で、ハズレチップを回収された後、勝ちの配当がされる。山積みになったチップの山に新たなチップを加えながら、女は今気づいたように振り返った。


「よぉ。なんだ、一色ちゃんじゃん。また会ったね」


 大勝ち女、あらため、鯨波雫。

 通称をクジラと呼ばれる、豪快なギャンブラーは、今日も今日とて、チップを山積みにして威風堂々と賭けのテーブルに座っていた。



 ※ ※ ※



「ん、どしたん。やんねーの?」


 立ったままの私に、鯨波は空いている席を勧めてくる。


「このテーブルはしっかり温まってんだけどな。外馬に乗るなら今のうちだぜ?」

「魅力的な提案ですけど、遠慮しますよ。身の丈に合わない温度で火傷したくないので」

「ふぅん。懸命ってことかね」


 拍子抜けしたように唇を尖らせた鯨波は、そのまま無造作に一万円チップを九枚手に取る。そして、一つを29の出目に置くと、その周囲を囲うように8個のチップを並べていった。


 フラワーベット法という賭け方――で、ストレートアップとスプリットベット、コーナーベットの三つの賭け方を組み合わせたものだ。

 一つの出目を中心に、上下左右と角の全てを押さえて、正方形が出来るようにチップを並べていく。まるで花びらが開くようにチップを置くことから、フラワーベット法と呼ばれている。


 この賭け方の面白いところは、もし中心の出目が出た時、最大配当である144倍の利益が得られるのだ。


 一点賭けのストレートアップ(配当36倍)が一つ。

 二点賭けのスプリットベット(配当18倍)が四つ。

 四点賭けのコーナーベット(配当9倍)が四つ。

 36+18×4+9×4=144倍。


 もちろん、九枚のチップを全て一点賭けした方が配当は高い(その場合は324倍)けれど、このフラワーベット法の面白い所は、38の出目の内、9個の出目を押さえているので、単純計算で約23%、おおよそ四分の一で勝てる所だ。


 最も、角の数字が当たった場合はコーナーベットの9倍しか配当が無いので、プラマイゼロとなる。九枚のチップを賭けて9倍では、利益は出ない。その代わり、それ以外の数字が当たった時は、大きな利益を出すことが出来る。


 私が先程行ったシフトベット法もエリアを四つに分けて賭けるやり方だったが、四分の一という数字はギャンブルにおいて賭けるに値する数字だ。


 さて、その結果は如何に――


「ちっ。角か。プラマイゼロだな」


 鯨波は小さく舌打ちをする。


 出目は赤27番。コーナーベットの配当は9倍だ。損はしないが得はしない出目――最も、四分の三で外れる賭け方なので、損をしないだけでも十分当たりである。


 ここで最大配当の黒29を当ててきたらすごかったが、さすがの鯨波もそこまで都合のいい星回りでは無いらしい。仮に当てたら一千四百四十万円――夢のある話ではあるけど、現実的ではない数字である。


「さっきのディーラーの時は当たったんだけどなー。真ん中」

「…………」


 現実的じゃない女が目の前に居た。


 通りで、山みたいなチップが積み重なっているわけだ――それと同時に、大勝ちしている相手を勝たせないだけの技術を、カジノ側が持っていることも察する。


 さっきのディーラー、と鯨波は言っていたが、つまり彼女が大勝ちしてから、カジノ側はすぐにディーラーを交代させたらしい。無理もない。144倍なんていう大穴を引かせてしまったからには、二度目は無いということだろう。


 それから先、数ゲームほど鯨波のゲームを観察していたが、出目がかすることはあっても、当たることは無くなった。

 鯨波は相変わらずフラワーベット法を繰り返していくが、チップを九枚ずつ奪われていくだけの時間が何ゲームか続いていく。


「ふぅん――」


 興味深そうに、鯨波は目の前のディーラーを見つめる。

 メガネを掛けた童顔の女性ディーラーだった。服装こそディーラー服だが、長い黒髪をお下げにしているのが余計に童顔を際立たせている。胸元に付けられている名札には、『IMAMURA』――イマムラさんと言うらしい。彼女は鯨波にこやかな笑顔を向けながら、淡々とゲームを進行していく。そのゲーム進行に不自然な点はない。


「アンタかい? この店のエースってのは」

「何のことでしょうか、お客様」

「いや、ちょっとした噂話だよ。気にしないでくれ」


 そう言って、鯨波は賭け方を大きく変えた。


 赤に二十万円チップを五枚。

 百万円分のチップを、赤の出目に賭けた。


「さあ、ボールを投げてくれよ、ディーラーちゃん」

「……みなさま、準備はよろしいでしょうか?」


 鯨波の挑発も意に介さず、童顔のディーラーはテーブルに居る他のプレイヤーを順繰りと見渡す。そして、ウィールを回してから、ボールを投げ入れた。


 ボールがトラックを走る。

 投げ入れてから五秒後、ディーラーは宣言する。


「ノーモアベット」


 賭けの時間が終了し、あとはボールが出目に落ちるのを待つだけとなった。


 百万円という大金を賭けている鯨波は、気負った様子もなく頬杖をついて悠然と結果を見守る。ディーラーの方も、薄い微笑みを崩さずに静かにウィールを見つめる。


 そして――ボールは22番に落ちた。


「22番、黒です」


 鯨波の赤は外れた。

 チップが回収されて、再び賭けが開始する。


「んじゃま、もう一度『赤』だ」


 またしても、鯨波は赤に百万を賭けた。

 私を含めた周囲が驚く中、鯨波とディーラーの二人だけは自然体でゲームを進める。


 そして――次のゲームも、出目は『黒』だった。



 意地でも張るかのように、鯨波はしつこく赤に賭ける。


 その甲斐あってか、そのゲームではボールが平行ピンに当たって大きく跳ね、不規則な動きをした挙げ句に『赤』に落ちた。


 2倍配当。

 鯨波は一回分の負けを取り戻した。


「なら、もう一度『赤』――今度は、二百だ」


 二十万円チップを十枚、先程の勝ち分も合わせてすべて赤に置いた。


 負けたら同額を賭け、勝ったら倍額を賭ける――いわゆるパーレー法という賭け方だ。短時間で大金を稼げる代わりに、負けた時は一瞬で利益がなくなる戦略でもある。

 なんとも鯨波らしい賭け方だけれど、それに対しても、ディーラーは無反応を貫いている。


 ディーラーは淡々と回転が弱まったウィールを回して、ボールを勢いよく投げ入れる。


 結果は――『黒』。


「…………」


 鯨波は目を細めてその結果を見ていた。


 ディーラーが当たりの出目に張られたチップの上にマーカーを置き、他の外れたチップを回収する。その後で、当たりの配当を行っていく。


 その慣れた手付きに、なるほど、これはベテランだとしみじみ思う。さっきも言ったけれど、ルーレットディーラーの場面さばきはカジノゲームの中でも難しい方に分類される。ここまでスムーズに行えるのは、それなりの経験を感じさせる。


 若そうだけどな……と改めて見ていると、ディーラーはニコリと笑い返してきた。中々愛嬌のある子だ。ディーラーという仕事は、客に舐められないために大げさに表現するか、機械的に徹する人が多いけれど、彼女はあくまで自然体に振る舞っているように見える。


 そんなディーラーの姿を鯨波は静かに見つめた後、「ふ」と小さく笑った。


「降参。カラーアップだ。チップの交換を頼むよ」

「お疲れさまでした。チップの量が多いので、少しお時間をいただきますね」


 鯨波のギブアップだった。


 ルーレットのチップは、前にも言ったけど専用のチップなので、ゲームをやめる時にカジノチップと交換する必要がある。今、鯨波は三百万近く負けたけれども、まだまだテーブルには大量のチップがある。大半は一万円チップのようだけど、一度144倍配当を受け取ったと言っていたし、一体総額でいくらになるんだ……。


 精算してもらったチップをトレイに乗せてテーブルを離れた鯨波は、後ろで見ていた私に声をかけて奥のバーカウンターへと誘った。


「一色ちゃん、ちょっと話そうぜ」


 まあ、断る理由はなかった。


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