EP4.正確無比なカジノの女王
1.ホストクラブのマサキくん
AI時代の到来と言われて久しいけれども、かつてはロボットが全ての仕事を代わってくれて、人間は仕事をせずに生きていくことが出来るなんて夢みたいな話が語られていたらしい。
おそらくそんな言説を語った連中は寝言を言っていたのだろう。
実態としては、技術の発達とともに簡単な仕事は機械に奪われた。
人間は生きていくためにはお金を稼がなきゃいけないのだけど、ロボットに仕事を奪われた結果、能力のない人間は野垂れ死ぬしか無い、なんとも夢のない未来が来たわけだ。
そういう意味で言えば、アイドル業というのはまだしもロボットに奪われづらい業種であるといえるかもしれない。生身の人間に価値を見出す商売なのだから、その価値が暴落するまではほそぼそと続けていくことが出来るだろう。
最も、ロボットではないにしても、近年は霧雨ナツのようなバーチャルアイドルというものも現れてきているし、果たして生身のアイドルの価値がいつまで続くのか、悩ましいところだ。
つまるところ、今の時代に必要なのは『人間である利点』だ。
生身のアイドルの魅力を一言で言い表すならば、それは人間としての華だろう。憧憬、恋慕、親愛、尊敬、歓喜、嫉妬、愛憎、羨望――どんな感情を抱くにしても、その対象がまばゆいほどに輝いているからこそ、感情を激しく刺激する。
対して、ロボットの利点といえばその正確さだ。替えがきくという利点も大きいけれど、何よりも、入力した情報に対して正確な値を出力出来るというのは、生身の人間には難しいことだ。同条件下でエラーが無いという事実がどれほどの価値を持つかは、一度でも勝負事に興じたことのある人間ならば分かってくれることだろう。
ここで、一人の女性を紹介したい。
彼女は感情にまみれた人だった。誰かが居ないと寂しくて仕方なくて、誰かとつながっていることに大きな喜びを感じる。例えそれが一方通行でも、人と関わることが彼女にとっての生きがいで、とても人間らしい人間だった。
しかし同時に、彼女はとても正確だった。
その一挙手一投足が、まるで機械であるかのように正確だった。一歩の歩幅、手を振る時の速度、指先のちからの入れ方、小首をかしげる角度、声量と声色――訓練の賜物かはたまた天性のものか、彼女のフィジカルはあらゆる出力を意図して正確に行うことが出来た。
ロボットのように精密な人間を、果たして不気味に思うだろうか?
ロボットのように的確な人間を、面白みがないと言えるだろうか?
いいや、そうは思わない。
私達アイドルは、理想のパフォーマンスを再現するために日々努力している。大味な演出も味があるけれども、何より再現性を得ることの難しさは痛感している。度を越した正確さというものは、あまりに華やかで見惚れてしまうものだった。
正確無比。
それは精度が高ければ高いほど、人を釘付けにする。
ロボットじみた人間はつまらないかもしれないが、ロボットのように精密な動きができる人間は、それだけで一つの芸術だ。
だって――人間であるのなら、破滅と隣り合わせの感情を理解できるのだから。
これはそんな、どこまでも自分のできることを追求した女性の物語。
茶化したように見えながら、誰より真摯だったカジノの女王の物語。
博奕の深淵を覗きつつ、カジノの女王は常に薄氷を歩み続ける。
※ ※ ※
新宿は歌舞伎町。
日本最大の歓楽街にして、深夜も輝き続けるネオンが眩しい眠らない街。娯楽施設や風俗店が雑多に並び、セールスや客引きがたえず声をかけるような、合法非合法が入り混じった吹き溜まり。その空気感は、まるで異世界とも言えるような独特な雰囲気である。
さて、そんな歌舞伎町の中に、『クルセイド』というホストクラブがある。
私の行きつけの店だ。
「みやび先輩、お久しぶりっす! めちゃくちゃグッドタイミングっすよ!」
本指名のマサキくんを指名すると、すぐにテンションの高いチャラ男がやってきた。
「いやね、オレが売掛してた客が飛んじゃって、ちょっと今月の売上がヤバいんっすよねぇ。こんな時に限って太客はとんとご無沙汰で、実は超困ってたんス。でも先輩が来てくれたんなら百人力っす。ささ、今日は何飲みます? シャンパン? シャンパンいっちゃいます? そういやオレ、最近ドンペリ飲んでないなぁ。あ、でも店長が言ってたんすけど、なんとロマネ・コンティが入ったんです。これはもう頼むしか無いっしょ! こういう日は、ぱぁっと高いワインでも飲んで気分良く酔いません? ほらほら、先輩だってお仕事で疲れてるでしょ? ここは自分へのご褒美でぱぁっと!」
「生ビール。あとサラミ」
人はここまで冷めた心でも酒を注文出来るらしい。
私の氷点下の声色に、マサキは顔をこわばらせながらおずおずと言った。
「あ、あのー。サラミにはワインとかの方が……」
「あん?」
「合うんじゃないかなー、なんて、あ、あはは」
さすがに私がキレてるらしいことに気づいた彼は、顔に笑みを貼り付けたまま恐る恐ると椅子に座った。おいこら、ホストが客と距離を取って座るんじゃねぇ。真横でどさくさに紛れて肩を組むくらいのチャラさはどうした。今やったらぶっ飛ばすけどな。
おまたせしました、というボーイの声とともに、私の目の前に生ビールのジョッキが置かれる。私はそれを一気に飲み干すと、叩きつけるくらいの勢いでガラステーブルに置いた。
「マサキくんさぁ」
「は、はい!」
「なんで私が怒ってるか分かるかな?」
めんどくさい彼女みたいなことを言ってしまった。
苛立つ私を前に恐縮するマサキを見て、少しだけ冷静になる。まあ、元をたどればこのチャラホストが悪いとはいえ、私のこれは八つ当たり同然の行為なので、急にキレられても何のことかわからないだろう。相手は高校時代の後輩なのだから、先輩として少しは優しい態度をとって上げるべきなのかもしれない。
そんな風に、私が一生懸命気持ちを抑えていると、沈黙に耐えきれなくなったマサキが先に話題を提供してきた。
「そ、そうだ! 話は変わるんですけど、みやび先輩、少し前に紹介したカジノが摘発されちゃったでしょ? アレ災難でしたねー」
「話変わってねぇよ」
その件でキレてるんだよ私は。
一ヶ月半前、私はこの後輩チャラホストに紹介されたマンションバカラで、危うく警察に摘発されるところだったのだ。
間一髪の所で逃げ出したから良いものを、下手をすれば前科がついてアイドル人生も終了していたかもしれない。
「紹介された当日にガサ入れとか、とんでもない案件を回してくれたもんだよね。きみ、私が前科持ちになったら、どう責任取ってくれんのさ」
「責任も何も、そもそもカジノ遊びしなければいいだけの話じゃ……」
「しかもこの件のせいで、社長から一ヶ月間カジノ禁止令が出たんだからね! この私が一ヶ月も闇カジノにいかなかったんだよ!? 信じられる?」
「いや、普通の人はそもそも闇カジノなんて行かないんスけどね?」
言うじゃないかこのチャラホストめ。
まあ、文句こそ言っているが、八つ当たりであることは私もしっかりと分かっている。そもそも闇カジノのガサ入れなんて、よっぽど周到な準備がされてから行われるものなので、あの日に摘発があったのはたまたまとしか言いようがない。もし店側が摘発の情報を掴んでいれば、少しは営業を縮小していただろうし、本当に運が悪かっただけなのだ。紹介者でしか無いマサキを責めるのはお門違いだとは分かっている。
それはそれとして、このチャラ男のノーテンキな面は素直にムカつくので、溜飲を下げるためにも不機嫌は続行中だった。
「で? あんた、私にこんだけの苦労させたんだから、ちょっとは面白い話とか無いの?」
「面白い話っすか? そういえば、こないだうんこみたいな雲を見つけたんすよ。写真に撮ったんで見ます?」
「そういう面白い話じゃねぇよ」
しかも面白い話のレベルが小学生レベルなんだよふざけんな。
マサキくん――もちろん源氏名で、本名は
高校の頃はただの先輩後輩で、それほど知った仲ではなかったのだけれど、私が高校を卒業してアイドルを始めた頃、マサキが高校を中退して悪い連中と付き合うようになった時期に、私達は再会した。
その時の話は、今後の閑話に乞うご期待として――まあこの男、借金漬けの挙げ句に無理やりホストで働かされているようなゴミクズ野郎だけど、コミュニケーション能力だけはピカイチで、とにかく色んな所に顔が利く。この憎めない顔を見ると不思議と縁を切れないようで、それを利用して、裏業界のブローカーみたいな立ち位置に居るのだった。
彼に限らず、元々ホストクラブやキャバクラのキャストは、闇カジノなどの裏業界とのパイプ役を担っていることが多い。お店に来た客をいい気分にさせて、ちょっと裏の一丁目までご案内、という感じだ。アフターなんかで同伴を提案されると、男はキャバ嬢に良い格好を見せようと張り切るし、女はホストから大人の誘いをされたように感じて興奮するらしい。
まあ私は自分で行くから、別にそういうお膳立てはいらないのだけれど――闇カジノは摘発対策でしょっちゅう店舗の場所を変えるし、経営者が変わるとボッタクリのイカサマが横行したりするので、細かい情報は逐一仕入れたいものだ。そういう意味で、いろんなお店を知っているマサキは非常に勝手のいい案内所ってわけだ。
逆に言えば、業界情報を持たないこのチャラ男に存在価値は無い。
「君の存在価値なんてカジノ情報くらいなんだから、とっとと新ネタ吐きなさいな」
「そんなこと言われてもっすね……。こないだの赤坂の摘発でどこも動きが大人しいんで、都内は少しバタバタしてるっすから、新規店となるとあと一ヶ月くらいかかるかと」
「そりゃ残念」
ま、半ば予想していたことではあるので、いじめるのもこれくらいにしておこう。
しかし――日本で合法カジノが本格的に計画され始めたためか、アングラ賭博を規制する動きが活発化していて、数年前に比べると摘発事例が格段に増えているんだよね。上手い経営者は最初から警察と癒着していたりするもんだけど、最近はそれも難しくなっているみたいだし。暴対法が厳しくなってヤクザがバックにつかないカジノも増えたし、こういうのも時代なのかもしれないね……。
と、そこでふと思い出したことを聞いてみる。
「そだ、マサキくんさ。『
先日のマンションバカラ摘発の折、私の債権回収に来た櫻庭と言うヤクザは、上實一家の
ダメ元での質問だったけれど、意外にもマサキは詳しく知っていた。
「上實一家っすか? 知ってますよ。昔ながらの博徒組織ってやつで、一時期はかなりデカイ賭場開いてたらしいっす。今は構成員十数名の小さな組なんスけど、一応指定入ってるっす」
「その規模で?」
指定とは、指定暴力団の意味だ。
一定の条件を満たす組織を暴力団として指定して法律的に縛るのが、暴力団対策法、つまりは暴対法だ。これで指定された組織は、活動に多くの制限をかけられる。
えっと、指定の条件は確か、『暴力行為を利用して資金を稼いでいること』、『組織内に前科者が一定数居ること』。そして、『階層的な組織を構成していること』だっけか。でも、よっぽど大きな活動をしていないと、指定されるほど目立ちはしないはずだ。
「どっか大きな組織の下部団体だったりするの?」
「元は別の系列の傘下だったらしいっすけど、四十年くらい前にそこの組がなくなって独立したっつー話っすね。だから考え方によっては初代っす。ただ、
「そりゃまた、漫画みたいな話ね……」
そういえばと思い出す。二十年前の話にはなるけど、うちの伯父が七星研吾や仙道会と敵対した時に、勝負の仕切りをしたのが確か上實一家だった。
小さな組とは言え、初代として今まで続いているのだから、それなりに歴史のある組であると言えるだろう。
「それと、上實親分は面倒見の良い人で、前科者を積極的に拾い上げてるらしいんスよ。カタギに戻るもよし、組の人間として生きるもよし、という感じで。おかげで、今いる構成員はほぼ全員が前科者っす」
「……君、妙に詳しいね?」
「まあ、オレの積み重なった借金を一本化してくれた上に、仕事先としてここのホストクラブ紹介してくれたの、上實親分っすからね。まさかあの闇金のおっちゃんが、こんなすごいヤクザだとは思わなかったっすけど」
あははー、などと笑っているが、この男、まさか闇金で借金を一本化したのか。普通ならそんなもん自殺行為だぞ。
ただ、話を聞く限りそう悪い待遇では無いみたいだし、本人が良いのならいっか……。
しかし、上實一家ねぇ。
私は寡聞にして知らなかったけど、あの櫻庭という代貸は私の伯父を知っていたみたいだし、もしかしたら界隈ではそれなりに有名なのかもしれない。
「ちなみに、昔は大きな賭場を開いていたって言ってたけど、今はどうなの?」
「さあ、どうっすかね。えっと、手配博奕って言うんでしたっけ? 関係者を集めて大々的にやるってのが基本なんで、今はあんまり人を集めづらいらしいんスよね。昔は定期的に開帳してたらしいんスけど、それも時代だって言ってたっす」
「まあ、暴対法厳しいしね」
集会の気配でも見せたら最後、すぐにマル暴が動き出すことだろう。賭博の現行犯でトップ全員お縄とかシャレにならないし。
「世知辛い世の中になったもんだわ。私はただギャンブルがしたいだけだってのに」
「そもそもギャンブルは法律で禁止されてるんスけどね」
「多重債務ホストがなんか言ってる」
「借金もホストも、法律で禁止はされてないっすからね」
そりゃそうだ。
さて、と。
話しているうちに、生ビールのジョッキとサラミの皿は空になった。めぼしい情報も無いことだし、この辺で退店しようかな。別にこのチャラホストと話すことなんて無いし。
そんな風に考えていると。マサキが大げさに声を上げた。
「あ、そうだ! ありますよ、面白い話!」
「何? 今度は男性器みたいな雲でも見つけた?」
「……先輩、たまにどぎつい下ネタ飛ばしてきますね」
ドン引かれた。
この男に引かれるの、ちょっとショックだね……。
まあ、今のは全面的に私が悪かったので、目をそらしながら小さく咳払いをする。はいはい、それで、一体どんな面白い話なんでしょうかね?
催促すると、マサキは胸を張って言った。
「モノのズバリ、絶対に出目を当てるルーレットディーラーっす」
「……へ?」
出目を外すのではなく、当てる?
疑問符を飛ばしている私を見て、彼はニヤニヤと笑いながら続けた。
「例えば百回中百回、ルーレットで狙った出目を出せるようなディーラーが居たら――みやび先輩、そういうの好きじゃないっすか?」
「君さぁ、そういうことは、もう少し早く言いなさいよね」
私は注文のために手を上げた。
そして、ドンペリのボトルを注文しながら、晴れやかな笑顔で言った。
「大好きに決まってるじゃん、後輩」
でかした、と口にしながら、私とマサキはドンペリで乾杯した。
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