6.ハートのお城には女王の影



(ああ、楽しいな)


 霧雨ナツはしみじみと思う。


 画面の向こうでは、会ったこともなければ顔も知らない女性が、ナツのアクションに一喜一憂している。アバターとしての演技も入っているはずだけど、過剰なまでのリアクションを見ていると、ナツの方も自然と気持ちが高揚してくる。


 誘いに乗って良かった。

 今更のように、そう思えた。


 やみみと名乗るプレイヤーからメールが来た時、最初は断ろうと思っていた。


 事情があって、ナツは顔出しをして誰かと対面をすることが出来ない。そのため、活動の場は自然とオンラインのみにしぼられた。それでも今までは問題がなかった。ポーカーのプレイ配信は一人で喋れば十分だし、誰かとのコラボ配信でも、ポーカー以外ならオンライン上のやり取りだけで完結できる。


 唯一、ポーカーのコラボ配信だけが今までやれなかった。


 その理由はいくつかある。まず、界隈でのポーカー人口が少ないため、相手が居ないという問題だ。ゲーム性の近い麻雀は何度か誘いがあったのだが、これは純粋にプレイ人口が多いため、配信環境も整っているのが理由だろう。


 次に、ポーカーは対面での心理戦が主となるゲームなので、オンラインだと魅力が半減するというのがある。

 もちろん、確率論を中心としたロジカルなプレイも十分面白くて見応えがあると霧雨ナツは思うのだが、如何せんその面白さを伝えるには、リアルタイム配信というのは難易度が高い。実際に海外で行われているポーカー大会の配信では、配られた手札を画面上で視聴者に公開した上で、プレイヤー同士が駆け引きする様子を見せて楽しませている。そういった編集は、配信者自身がプレイヤーである以上難しい。


 最後に、ポーカーは心理戦なので、ちょっとした会話がヒントになったりするため、自然と無言になりがちという問題がある。ガチでやろうとすればするほど口数が減っていくため、生動画ならともかく、アバターを使った声の配信だと、無言の時間という放送事故が発生する。


 以上の理由もあって、よっぽどではないと誰かとコラボ配信なんて出来ないだろうと諦めていた。しかし、それをやみみが覆してくれた。


 やみみ本人は、配信は素人だと言っていたが、人前で話をすることに慣れているのはすぐに分かった。最初に打ち合わせした時にオンラインカジノのリングゲームに二人で潜ったのだが、彼女は会話を続けながらぶれないプレイを続けていた。動画サイトでちょっとファンが居る程度の自分なんかより、よっぽど人前に立つことに慣れている人間だ。


 何より、彼女の言葉に口説かれた。


「勝負がしたいんです」


 コンピュータ越しの手札だけの相手ではない。たまたまリングゲームで一緒のテーブルになった世界中にいる見知らぬ誰かではない。


 あくまで画面の向こうにいる霧雨ナツのリアルを見据えて、やみみは言った。


「霧雨ナツさんと、勝負がしてみたいって思ったんです」


 そこまで言われて、断る理由はなかった。


 そもそも、動画配信を始めたのも、ポーカーを楽しみたいのが理由だった。日本では残念ながらポーカー人口が多いとは言えず、実際にプレイするにはカジノ喫茶などのお店に行く必要がある。訳合って現実でも覆面を貫いているバーチャルアイドルとしては、オンラインの場で仲間を作るしか無かった。


 その初めての相手なのだから、楽しくないはずがない。


(まあ、それはそれとして――勝負は別だよね)


 やみみのプレイスタイルは、ルースアグレッシブ。プリフロップでのゲーム参加率は三割から四割ほどで、そこから積極的に攻めてくる。無論、生配信を意識してゲーム参加率を上げているだろうし、ヘッズアップはルースにならざるを得ないから、別に間違っては居ない。


 ただ、ひとつ気になるのは――たまに、ギャンブルとしか言いようのない張り方をしてくることだ。


(ローカードでもストレート待ちとかフラッシュ待ちの張り方をしてくるから、油断ならないよね。しかも、スーテッドとかコネクターじゃ無くても、ボード上で狙えそうな時には賭けに出てくるから怖い)


 しかも、失敗した時はリバーで素直にフォールドしてくるのでたちが悪い。一見すると引き際を弁えていないようにも見えるのだが、逆に言えば最後まで突っ張ってくる時はハンドが完成していると思うしかなくなるからだ。


 例えば、ターンまで進んでボードが以下の状態。


 ♠A、♠6、♡8、♢9


 この状態で、リバーに♢5が落ちてきた。直前までは、4と10のどちらかを持っていればストレートが狙えた。そこに、ちょうど真ん中の数字である5が落ちてきたので、ガットショットと呼ばれる状態になっていた。


 ここでやみみは、スタックの半分以上をレイズしてきた。


 ナツのハンドは♡A♡8のツーペアだったが、さすがにやみみ側にストレートが入っている可能性が濃厚すぎたので降りた。

 この『後一枚』の状態が整うまで突っ張って、その一枚が落ちてこなかったらあっさり降りる、というのをやみみは当たり前のようにやってくるため、仮にブラフだったとしても危険過ぎて勝負ができない。


(フラッシュとかストレートが来ることを過信するような素人には見えないから、やっぱりある程度はブラフなんだろうけど、それにしても挑戦しすぎだよね)


 上級者が見たら一発でミス扱いするようなアクションを取ってくるので調子が狂うが、それでもやみみがそれなりの実力者なのは間違いない。


 まあ、それでも――


(ボクの方が強い、けれどね)


 スタックは現在、なつが6200点、やみみが3800点。

 もう少しでダブルスコア。配信時間も三十分経ったので、そろそろ勝負をつけるために動き始めても良い。


 そんなところに、絶好のハンドが来た。


 ♡A、♡K。

 ビッグスリック


 当然のようにコールして、フロップが開かれる。


 ♡J、♣2、♡5。


 ボードだけで、ハートのフラッシュがリーチだった。

 ターンとリバーで一枚でもハートが来れば良い。


 ハートの残り枚数は9枚。表になってないカードは、相手の二枚と山札を含めて四十七枚。単純に引ける確率は、ターンが19%、リバーが17%。およそ36%の確率でフラッシュが完成する。


(押すしか無い場面。だけど――やみみさんの方はどうだろう)


 やみみはと言うと、「わー、ハートがいっぱい。楽しみですね♪」などと甘えたような声を出しながら、チェックを選択した。なつの反応を見ている。少なくとも、現時点で降りるつもりはないが、ゲームには参加するつもりらしい。


 様子見で1000点をレイズしたら、やみみはコールしてきた。


 続く四枚目ターン

 そこで、♡Qが落ちてきた。

 なつのハンドで♡のフラッシュが完成した。


(よし、最高手ナッツ。ボードを見る限り、フラッシュ以上のハンドはない。もしやみみさんが同じハートのフラッシュだったとしても、こちらはAハイのフラッシュだから絶対に負けない。あとは、どうすればやみみさんを勝負に誘えるか)


 理想を言えば、やみみにオールインさせて勝つことである。仮にやみみ側に何かしら勝負に出られるハンドができていれば、誘いに乗ってくれるだろう。しかし、このフラッシュの可能性が見えるボードで、果たして誘いに乗ってくれるか。


「時間も後半戦になってきましたし、そろそろ勝負手が欲しいよねぇ」

『そうですね! やみみは今負けてるので、勝てる手が来てほしいですぅ』


 とか言いながら、やみみはまたしてもチェック。スロープレイにしても、何を目指しているのか分からない。


 強く押すと、きっと降りるだろうか。だとすると、決着を早めるためにも、ここは敢えて様子見するというのも手かもしれない。


(でも、今のやみみさんのスタックは、2300点だから、どっちにしろ今降りるか次に降りるかの違いでしか無いのか。なら――)


 ナツはレイズの選択をする。


「レイズ、1000点」

『コール』


 間髪入れず――だった。


 少しは迷うと思ったのに、まるで最初から決めていたかのようにやみみはコールしてきた。これで彼女のスタックは1300点。もうあと少ししかない。


 ポットは5000点。中々の大勝負になった。

 勝負は五枚目にもつれ込んだ。


 リバーで落ちてきたのは、♠Q。


(……ん? スペードのクイーン……?)


 ボード

 ♡J、♣2、♡5、♡Q、♠Q。


 ボード上でクイーンのワンペアが完成しているが、それ以外に問題点があるわけではない。ナツのハンドがハートのフラッシュなのは確定しているので、この勝負、負けることは――


――ちょっと待って。だったら、このボードのナッツは!)


 ナツが気づくのとほぼ同時に、やみみが食い気味に言った。


!』


 ――

 当の本人は、自信満々と言った様子で力強く宣言した。


『さあ、勝負ですよ、ナツさん!』


 やられた、と思った。

 ついさっきまでは間違いなく勝っていた。Aハイのフラッシュ。同じフラッシュが相手でも絶対に勝てるハンドだったので油断していた。このボードで、フラッシュよりも強いハンドが完成する可能性があったことを失念していたのだ。


 フルハウス。


 ツーペアとスリーカードを組み合わせた、フラッシュよりもランクがひとつ上のハンド。仮にやみみの手札がポケットペアで、それがボードのどれかと絡み、なおかつボード上でワンペアが完成すれば、それでフルハウスになる。


(いや、そんな都合のいいことがあるわけ――)


 それがあるのが、ポーカーという競技だ。


 そもそも、四枚目と五枚目で立て続けにQが落ちてきたのがご都合主義すぎる。けど、確率的に起こりうることは起こるのだ。それに、やみみだって最初に勝機がなければ1000点のレイズにコールなんてしてこないだろう。フロップの段階でスリーカードが出来たからこそ、こちらの様子を見ながら攻めるタイミングを見計らっていた。これが正解だろう。


 なら――ナツのやるべきことは一つだ。


「いやごめんね。フォールドだわ。勝てないもん」


 あっさりと降りた。


 こちらの方がチップは多いとは言え、オールインして負けを増やす必要もない。勝ちの確信より負けの可能性の方が高いのなら、素直に降りるのもポーカーにおいて大事なスキルだ。


 配信としてはあんまり面白くない展開なので、コメント欄は不満でうまる。さて、どうやってフォローしたものかと考えながら、口を開こうとした。


 その時だった。


『やった! ナツさん、降りてくれてありがとう!』

「え?」

『だって、私のハンドこれですよ』


 そう言いながら、やみみはリセットボタンを押す前に、カードの公開ボタンを押した。


 開かれたのは――♡2,♡3。


 フルハウスではなく、フラッシュ。それも、3ハイの弱いものだ。

 思わず――ナツは叫んでいた。


「え、どうして……フルハウスは!?」


 それに対して、やみみは愉快そうに声を弾ませた。


『やっぱりそう思ってくれたんですね。やみみの作戦勝ち♪』


 なつが唖然としていると、コメント欄は『え、どういうこと?』『フラッシュならやみみちゃんが勝ちでいいんじゃないの?』と言った疑問符が飛び交っている。それらのコメントに対して、やみみがニッコリ笑いながら言った。


『それがですねー。たぶん、ナツさんのハンドはAハイフラッシュですよね?』

「……はは、バレたら仕方ないね」


 画面上の編集を消して、自分の手札が視聴者に見えるようにする。♡A♡Kのビッグスリック。このボードで最高手ナッツのハンドだった。


 バツの悪いナツに代わって、やみみが確認をするように言う。


『ナツさんは、やみみの手をフルハウスだと思ったんですよね?』

「見事にしてやられたけどね」


 まだ視聴者の中には理解できていない人がいるようだったので、ナツは先程のゲーム中に考えたことを説明する。

 その上で、やみみは自身のアクションを解説した。


『四枚目のフラッシュドローで『やった!』とは思ったんですけど、でも、ナツさんにもスーテッドが入ってたら負けるなって思ったんです。なにせ、こっちは3ハイフラッシュですから、どのフラッシュにも負けちゃいます。だから、別の勝ち筋が見えないか、ボードをずっと見てて、フルハウスのブラフを思いついたんです』


 ブラフはただ闇雲に掛ければいいというものではない。対戦相手を納得させるような明確なシナリオが必要だ。


 そういった意味で、やみみの最後のオールインはうまかった。


 四枚目と五枚目でQが二枚落ちてきたのは全くの偶然だが――それを利用しきったのは純粋にやみみの実力である。スロープレイで最後までボードを開き、勝ち筋と呼べる幻想を浮かび上がらせた。


 本当に――油断ならない。

 これだから、ポーカーは面白いのだ。


 二人が心理戦の様子を言語化したことで、コメント欄は大いに盛り上がる。『やみみちゃんすげー』『でも、ナッちゃんも考えすぎじゃない?』『考えすぎないとポーカーは勝てないよ』『識者はどう思う?』『バッドビート狙いのスロープレイは推奨しない』『いや、これはハンドが完成してないんだしバッドビートじゃないでしょ』『ごちゃごちゃ言っても、結局勝ったのはやみみちゃんでしょ?』『いや、カードではナッちゃんが勝ってたでしょ』『それを覆したから面白いんでしょうが』


(あー、あー。盛り上がっちゃってまあ)


 しかし、動画としては良い撮れ高となった。


 漫画みたいに心の声が見えれば別だろうが、現実の心理戦なんてものは地味なものだ。理解するには高度な知識が必要だし、素人に理解できる程度の心理戦は往々にしてしょぼい。素人にも理解できる範囲で盛り上がる良い塩梅を、やみみは実演してくれた。


『さ、これでまたチップは互角になりましたよ、ナツさん!』


 当のやみみは、意気込んで次のゲームを急かしてくる。

 ああ――本当に、楽しいな。


「負けないよ、やみみちゃん」

『こっちこそ!』


 配信時間は残り二十分。

 二人はその時間を、存分に楽しんだ。



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