4.カジノ遊びは計画的に
「僕も勝負をしないとね」
八嶋はバンカーにチップを置く。
二十万。
――マキシマムベット。
これには私も唖然としてしまった。八嶋は誇らしげな表情で私の方を見てくる。
「次は君の先攻だったけど、ごめんね、ここは勝手に賭けさせてもらうよ。君は賭けなくていいからさ。ただ、せっかくだから験を担がせてもらうよ」
彼の様子を見るに、対抗心と言うよりは純粋な見栄のようだ。女の私が大きな勝負をしたのだから、男を見せるチャンスとでも思ったのだろうか。嫉妬を向けられるよりは気が楽だが、しかしまさかこんなに早く乗ってくるとは思わなかった。
そして――カードが配られる。
バンカー8
プレイヤー2
バンカーの勝ち。
「よっし!」
力強く、八嶋がガッツポーズをする。勝ってしまった。二十万の勝負。今の彼にとっては、私と勝負していた過程で得た二十万だから、負けてもそれほど痛くない賭けだったとは思うけれど、それに彼は勝って余計に資産を増やした。
これは――どうなる?
確かに私は、八嶋の賭け金を釣り上げれば、カジノ側が喜ぶだろうという算段を立てた。そして、ここまで立て続けに勝ってきた八嶋は、仮に大きなレートで負けたとしても、ゲームを続けるだろう。むしろ負けを取り戻そうと熱くなるはずだ。
だからカジノ側としては、八嶋を負けさせようとするはず――だと思ったのだけれど、しかし、ここで彼は勝った。
利益を追求するカジノ側にとってのベストは、私と八嶋の両方からお金を巻き上げることである。そういう意味で、勝ちの経験を先に味合わせるのは理にかなっている。今彼は、見事にギャンブルの罠にハマったのだ。
問題は、ここからだ。
私と八嶋は個人的な勝負をしている。そして、これから先は、おそらく互いに賭け金を下げられないだろう。必然的に、マキシマムベットに近い金額を賭けることになる。低くても十万が限度だ。そうなると、今度はどちらを勝たせるかという問題になる。
いや――違うか。
どちらでも良いのだ。
私と八嶋が同じ金額を賭けていくのなら、その金額の移動は二人の間で行われるのと同じことだ。
厳密な話をすると、バンカーが勝てばコミッション分だけ儲けが出るので、操作するとしたらバンカーに偏らせるかもしれないけれど、それも何度も行うとは思えない。
つまりここからは、私と八嶋、どちらかが音を上げるまで、カジノ側はイカサマをせずにヒラでゲームを進行しても問題ないということになる。
この考えが合っているかは分からないけど、ある程度の確信はある。そもそもイカサマをすると言っても、カードシューから抜く時のすり替えには限度があるので、リスクを考えるとそう多用できるものではない。だから、ヒラでやれるうちはヒラでやるはずだ。
あとは私と八嶋のどちらかが諦めるまでの勝負になるが――さて、どこで切り上げたものか。
「じゃあ、賭けますね」
勝負の意識をカジノ側から八嶋の方へと向け直す。先程の彼の賭けに怖気づいたふりをして、少しだけ賭け金を落として、十万をプレイヤー側に。
それに対して――八嶋はまたしてもマキシマムの二十万を突っ込んできた。
マジかこいつ。
いや、先に同じことをやったのは私の方なので、文句を言う筋合いは無いのだけれど、それにしても思い切りが良すぎやしないか。
「ふふ、ツイているうちは波に乗らないとね」
キメ顔でうそぶいているけど、今あなたが感じている流れは作られていますよ、なんて言えるはずもない。むむう。こうなると、私の予測は少し狂いを生じる。八嶋を勝たせてより肥えさせるか、それとも敢えて負かせて更に熱くさせるか。正直な話、すでに八嶋は場の空気に乗っている状態なので、これ以上彼を勝たせる理由はカジノ側にはないはずだった。
そろそろ八嶋を負かせて、より熱くさせようとしてくるのではないか?
ここから先はヒラでディーリングすると思っていたけれど、ここは多分、八嶋が負けるように仕組んでくるのではないだろうか。
そう思って、私は勝負の行方を見守った。
カードが配られる。
勝負は最初の二枚で付いた。
バンカー9 ナチュラル
プレイヤー1
「バンカーの勝ちです」
八嶋が勝った。
私は目を丸くして勝負の結果を見る。
なにか――私の推測に、見落としがあっただろうか? それとも、そもそもの予測自体が間違いだったのだろうか? ここで八嶋を勝たせるメリットが果たしてカジノ側にあるのかを考える。いや、もしかしたらこの回は、イカサマなど無く、純粋に勝ったのかもしれない。どちらなのか確信が持てない。くそ、わからない――
「あっはっは、いやあ。こんなにツイてるのは初めてだよ」
八嶋P、ごきげんである。
仮に――カジノ側がイカサマをしておらず、純粋に運否天賦の勝負だった場合、今の八嶋は完全に波に乗っているので、大きく賭けていくのは理にかなっている。ここで萎縮するようならそもそもギャンブルには向いていない。
行ける時は大きく打って、それで負けたら潔く身を引く。それこそがギャンブルの鉄則だ。
だからこそ――八嶋は当たり前のように、次もマキシマムベットを突っ込んでくる。
罫線はバンカーが二連勝中。ツラを追うなら確かにここはバンカーだ。そして、その流れは得てして正しい。なら、ここはきっと八嶋が勝つのではないか?
八嶋が先攻で二十万を張ったので、私も同額をプレイヤーに賭ける。
結果は――私が勝った。
「あー! くそ、さすがにそうは続かないか! いやあ、でもこれぞギャンブルだよね」
八嶋は負けてもご機嫌だったが、私は目の前に積まれたチップを見ながらじっと黙っていた。
「……………」
勘が鈍っている。
チップをコツコツと指で叩きながら、私は冷静に現状を確認する。
現在、私と八嶋は非常にいい勝負をしている。それは客観的に見た事実だ。私はそれを、カジノ側に作られたものだと言う予測を元に立ち回っていた。
その予測自体は大きく違っていないはずだ。
けれども、なにか違和感がある。
当たり前の話として、確率を完全に予測できないのと同じで、他人の思惑を完全に把握できるわけがないので、私が積み立てた理屈は全て机上の空論だ。それが当たるかどうかも含めて、私にとってはギャンブルだ。
だから――予測がうまく出来ないということは、勘が鈍っているに他ならない。
その上で、次にどう動くべきか。
「では、次は私の先攻で――」
次に賭ける方は、バンカーとプレイヤーのどちらでも良かった。
ただ、急に鈍った勘の理由を確かめたくて、大きく二十万を賭ける。
と、その時だった。
「――――ッ」
ああ、負ける。
そう思った。
私が賭けたのはバンカーだった。必然的に、八嶋はプレイヤー側になる。「さて、じゃあ勝負と行こうか、みやびちゃん」と、彼は楽しそうにうそぶいている。八嶋にとって、今は一番気持ちが乗って熱いタイミングだろう。しかし、相反するように私の気持ちは急激に勝負から離れていった。負ける、と確信した。この勘はきっと正しい。このままでは、私は最終的にハズレくじを引く。これまでの人生における博打経験が、はっきりと危険信号を告げている。
ゲームが開始する。
バンカー9 ナチュラル。
プレイヤー6
「バンカーの勝ちです」
私の手元に、コミッションを抜いた分のチップが送られてくる。ゲームは勝った。けれど、その勝ちも私にとってはどうでも良かった。
強烈な違和感が肩を掴んで離さない。カジノ側の思惑、八嶋のツキ、そんなものはもはや考慮に入れる必要がない。それよりももっと大きな確信に突き動かされて、私は席を立った。
「ん? どうしたんだい、みやびちゃん。せっかく勝ったのに、浮かない顔して」
「はは。ちょっと、勝ちすぎちゃって緊張してきました」
愛想笑いを浮かべながら、私はちらりと周囲を見渡す。
思い立ったら行動は早い。
チップは――置いていくしか無い。勝っている今の状態で精算して帰ろうとしても、八嶋やカジノ側が承知しないだろう。できるだけ波風立てずにしたい。
「少しお手洗いに行ってきますね」
私は八嶋に愛想笑いを贈り、緊張をほぐすふりをしてトイレに向かった。
バカラテーブルが置いてあるリビングから出て、受付の奥のトイレに入る。個室の中で小さく一息ついてから、乱暴にウィッグを外した。ヘアネットでまとめていた黒髪をほどき、一瞬で黒髪ショートヘアの普段の自分に戻る。髪を手櫛で軽く整えながら、カバンの中から太ぶちの伊達メガネを取り出す。メガネに黒髪のモブ女の完成だ。後はコートを着れば、だいぶ印象は変わるはずだ。
準備を整えると、私はバカラテーブルのある部屋には戻らず、そのまま受付に寄った。あれ? 受付の担当の人が代わっている。ということは、やっぱり――いつもだったらタイムテーブル制なのかとしか思わないけれど、この短い時間での交代に、ますます私は確信を深めた。
「ごめんなさい、急用が入ったので今日は御暇します。チップの精算は結構です。」
「は、はぁ?」
「あと、これは心付けで取っといてください」
軍資金とは別に、財布の中に入れていた一万円を強引に押し付ける。怪訝そうにしている若い黒服の兄ちゃんにそれ以上構わず、私は闇カジノの部屋から出た。
廊下――エレベーターは直感的に避ける。となると非常階段か。あくまで平静を装い、駆け足になること無く階段を降りていく。無事にエントランスについた。帰宅する住人や、用事を済ませて出ていく来客がちらほら居るので、それに紛れるようにして玄関口を出る。その時に、スーツを着た厳つい男性数人とすれ違ったが、視線を合わせること無く済ませる。
そして、私はバカラマンションからほうほうの体で生還した。
※ ※ ※
翌日のことである。
散々な目に合ってふて寝していた私は、チャイムの音で目を覚ました。あーあー、ピンポンピンポンうるせぇー。エントランスの管理人は何しているんだ。こんなの一発で通報もんだろうと、低血圧で重たい頭を起こしながら、インターホンのカメラを見る。
エントランスをすっ飛ばして、部屋の扉の前にスーツ姿の男性が立っていた。銀縁眼鏡にオールバックの、目付きが鋭い男だ。誰だこいつを素通ししたヤツは。
「あー。どちら様? どうやって入ったんです?」
「管理人さんに事情を説明したら通してくださいましたよ。304号室の一色さんが、酔いつぶれているので介抱しに来ましたと」
管理できてねぇじゃないか管理人のジジイ。
まあ、よく酔いつぶれるのも事実なら、部屋に厳つい男性が出入りすることがあるのも事実なので、何の弁解も出来ない。
私は面倒くさい気持ちを残らずため息という形で吐き出しながら、ジャージ姿のまま入り口まで行って扉を開ける。さすがに、チェーンロックは付けたままだ。それくらいの防犯意識はある。
「はい。で、御用は?」
「貸付の返済について、本日はお願いだけさせていただこうかと思いまして」
「あー、はいはい。昨日の二十万ね」
ちょっと待っててくださいね、と。チェーンロックを付けた扉を開けたまま、私は奥の部屋へと向かう。1LDKの間取りの、寝室に使っている部屋。その押入れを開け、中のダンボールに無造作に入れられているお札を二十枚ほど回収する。んー、むき出しはさすがにまずいか。周りを見渡すと、ちょうど電気料金の請求書が届いていたので、開封して封筒だけを再利用する。
お手軽一分返済手続き。
トイチも次の日に返せば利子はチャラだ。
私が現金を持っていくと、銀縁の男は驚いた顔をした。
「……まさか、現金でお返しになるとは。本日はお願いだけのつもりだったのですが」
「文句でもあります? 返済日まで待った方が良いでしょうか」
「いえ。クライアントは、元金が回収できればいいと申しておりましたので、文句はないでしょう」
まあそもそもの話、借金をしたと言っても、私は現金を持ち帰っちゃいないので、取り立てられる筋合いがないのだけれども――ただ、闇カジノの闇金はその筋の方がバックに居る可能性が高いので、あまりことを荒立てるのは得策ではない。出せるお金は素直に出しておいた方が安全だ。
カジノ側としても、損せずに二十万手に入ったのだから、納得するだろう。
「では、こちらは借用書です。確認ください」
渡されたのは、確かに昨日あの闇カジノでしたためた借用書だった。よし、すぐにお焚きあげしよう。あの場に居た証拠は一つでも残したらダメだ。
「ん。今、クライアントっていいましたけど、ということは、あなたは胴元じゃないんですよね。もしかして、どこかの組の方ですか?」
「ええ。
代貸――博徒系組織のナンバー2だ。一般的なヤクザで言うと若頭に当たる。
今どき博徒系の組織図を継承しているヤクザなんてほとんど居ないと聞いていたけど、小さな組ならまだ続いているのだろうか。
「一家のナンバー2が『切り取り』なんてやるんですね」
「債権回収も立派なシノギですから。まあ、最近は肩身が狭いですがね。それはあなたも同じでしょう? 一色勘九朗の姪っ子さん」
「ははは、なんのことやら」
やべー、伯父さんのこと知ってる人だ。これは後で伯父さんに小言を言われるな。
愛想笑いを返しながらご帰宅願った。最後に、彼は言った。
「あまり現金をすぐに出すのは不用心ですよ。特に女性の一人暮らしならなおさらです」
余計なお世話だ。
それにしても、上實一家――知らない名前だ。博徒系ならどこかで賭場を開いていそうなものだけど。まあ、そのうち関わるかもしれないし、その時はせいぜい媚びを売るとしよう。なんとなく、彼は敵にするより味方にした方が良い相手だと勘が告げていた。
「さて――寝なおそっかなぁ」
頭をかきながら寝室に戻る。
ふとテーブルを見ると、スマホが震えていた。おうおう、朝から元気なこって。一体全体誰だろうと表示を見てみると、英知くんの名前があった。私達のマネージャーだ。その瞬間、「あ、やべ」とつぶやいていた。そういえば昨日、夏恋ちゃんに伝言を残して以来、こちらから連絡するのを忘れていた。
面倒くさいなと思いながら電話を取ると、甲高い声が耳をついた。
「みやびちゃぁああああああああああん! なんで電話に出ないんですか! 昨日からずっと連絡しようとしてたんですよ!」
「……あぁ。ごめん。寝てた」
「寝てた!? 言うに事欠いて寝てた!? 人に仕事終わったら連絡しろって言っていて、ひどくない!? 僕がどれくらい心配したと思って――」
「はいはい、ごめんね。えっと――もしかして、家の前に居る?」
「うん」
「じゃ、開けるね」
マンションのオートロックを解除して、英知くんを招き入れる。
数分後、三階にある私の部屋の扉が開けられた。
やってきたのはスーツスカートにストッキングが艶めかしい、バッチリメイクを決めたブラウンヘアの美女(女装男子)だった。
「みやびちゃああああああああん! 無事!? 無事だよね?」
「あー、はいはい。無事だからそんな泣きそうな顔しないの。メイク崩れるじゃん」
「だって、昨日もカジノ行ったんでしょ? 僕に確認の連絡はさせるくせに、返事がないなんて酷いですよ。今回はどこのカジノか教えてくれなかったし、てっきりまた帰れなくなってるんじゃないかって心配したんですからね!」
「ごめんって。いや、はい。悪かったです。英知くんに助けてもらう必要がなかったから連絡し忘れました。ごめんなさい」
イマイチ怒っているように見えない英知くんだが、これはガチギレだったので素直に謝っておく。ごめんなさい。
彼は私達のマネージャーで、
英知くんには、いつも私がカジノに行くときは連絡を入れるようにしている。
それもこれも、以前私が下手をこいてカジノに監禁されかけたことがあったからなんだけど、その時に、事前に行き先を英知くんに告げていたのが幸をなした事があったのだ。それ以来、社長からも『カジノ遊びもいいけど、行く時と帰る時に英知に一報入れろ』というご命令が下ったのだった。
あ、ちなみに、私のカジノ遊びを周囲で知っているのは、社長と英知くんの二人である。
理解のある職場です。
「それで、昨日はどこに行ってたの? ちゃんと僕もチェックしておくから、隠さないで教えて下さい」
「あー、それだけどね。もう行かないっていうか、多分行けないっていうか」
「へ?」
キョトンとしている英知くんに苦笑いを返しながら、私はテレビの電源を付けた。
――確信があった。
それは直感という不確かなものだったが、同時に現実となることで確実なものとなる。博打においてツキの太い人間というのは、確信を持てるやつだ。そういう意味で、昨日の私は最後の最後で太いツキを引いたと言える。
テレビでは、一つのニュースが流れていた。
『――昨日深夜、赤坂のマンション内で、客を相手にバカラ賭博をさせて手数料を徴収したとして、警察は違法カジノの店長と従業員八名を、賭博開帳図利の疑いで逮捕しました。また、同時に居合わせた客七名についても、賭博容疑で現行犯逮捕し、店内より賭博に使うトランプや台、そして売上金の五千万を押収しました。
調べに対して、全員が容疑を認めているそうです』
時間帯を見ると、私が退店して三十分も経たないくらいで警察に摘発されている。本当に間一髪だったようだ。
思えば、鯨波があっさりと去ったのも、摘発を予期していたからなのだろう。私よりも遥かに早く予見出来たのは、彼女がそれだけ波に乗っていたからか、あるいは単純に悪運が良かったのかは定かではない。ともかく、私は遅ればせながらもなんとか生還していた。まったく、これだから闇カジノというのは、来店するだけでギャンブルなのだ。
ま、だからやめられないんだけどね。
さて、次はどこに行こうかな。
EP1『バカラ賭博で遊びましょう』 END
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