EP2.バーチャルアイドルはポーカーフェイス
1.カジノ禁止令
笑顔はアイドルの売り物だ。
本人がプライベートでどんな感情を抱こうと、仕事となれば笑顔を振りまく。スマイルはゼロ円ではなく現金だ。ファンを喜ばせるためにはまず自分が笑う。辛くても、腹立たしくても、悲しくても、苦しくても、悔しくても、泣きたくても、叫びたくても、嫌々でも――笑うべき時には笑顔を浮かべる。私達はそれで給料をもらっている。
求められるなら何だってやる。
笑うし、泣くし、喜ぶし、怒るし、嬉しがるし、悲しむし、楽しむし、悔しがるし、慶ぶし、苦しむし――腹の底を見せるのは、計算した上でやるべきで、感情を出すことすらも打算的にする。それこそが偶像としての仕事だ。
言わばアイドルというのは、ポーカーフェイスが最も重要な職業だ。
別に交渉事をするわけでもないのに仮面を被らなければならないというのは不思議な話だが、ファンが求めるものは偶像としての私達であり、等身大の生肉などではない。生身を晒す上でも加工するのが一種のマナーで、綺麗にラッピングされた精肉をナマモノとして売っているのがアイドル業だ。
腹の中を探られたら求めるものを見せる。
常に求められる幻想を見せ続ける。
それはまるで――ポーカーのブラフのように。
さて、今回はポーカーのお話。
常にブラフを張っている、仮想空間のアイドルのお話だ。
華やかに舞台で踊りながら、実像を掴ませずひらりと躱す。あとに残るのはブラフによって隠された凶悪な意図だけ。
美しい一輪の花は、ぱくりと一口人食い花。
食われないためには、こちらもブラフを張るしか無い。
これは、キツネとタヌキよりも泥臭い、偶像たちの化かし合いである。
※ ※ ※
森須プロダクションは小さい芸能事務所だ。
元は役者の派遣業が主な業務形態で、私達ライアーコインがヒットするまでは規模の大きい仕事はあまりなかった弱小事務所である。渋谷のビル街にひっそりある事務所は、むしろ味わい深さすら感じる。
その森須プロを一人で立ち上げたのが、他でもない
さてさて。
今日も今日とて労働に勤しんできた私は、帰社してすぐに、件のボスである社長から呼び出しを受けた。
「一ノ瀬。お前、しばらくカジノ遊び禁止な」
開口一番だった。
ここ一週間、ミニライブの準備やあいさつ回りで休み無しだったんで、今日はパァッと歌舞伎町にでも遊びに行くか! などと思っていた矢先のことである。私の悪癖であるカジノ通いを知っている森須社長直々に、禁止令が交付されてしまった。
「どうしてですか、社長! カジノは私の心の栄養なんですよ! いえ、それどころか水も同然です。ご飯を食べなくても七日は生きられますけど、水は三日で死ぬんですよ。それを奪うなんて、私に餓死しろって言うんですか? なんて薄情な!」
「…………」
あ、何を言ってるんだこいつは、という顔をされた。
まあ、自分で言ってて、何言ってるんだろうとは思うよ。
「一ノ瀬、お前……本当に分からないのか?」
「とりあえず流れが悪いのは分かります」
「そうか、それは良い。ならついでに、なぜ流れが悪いのかまで考えを巡らせてくれれば、私としては重畳なのだがな」
え? なにかやらかしたかな、私。
本気でわからずに首を傾げていると、森須社長は深く深くため息を付いた。
「……一週間前、赤坂のマンションで、違法カジノが摘発されたな」
「ああ、あれですね。怖いですよねー」
「お前、あの日あの店に居ただろ」
バレてら。
「や、やだなー。何の証拠があってそんなこと言うんですか? 私が捕まるようなヘマを犯すわけがないじゃないですかー」
「アイミュプロの八嶋プロデューサーが捕まった時にゲロったらしいぞ」
「あのクソオヤジ!」
なんてことしやがるんだ。逃げ遅れたのは自分の責任なんだから、人を巻き込まずに一人で沈んで欲しい。そもそも、賭博は現行犯じゃないと逮捕出来ないんだから、直前に去った私なんて本来なら無関係のはずなのに、余計なことしやがって!
「まあそれで、警察が念の為、アリバイの確認を取ってきたんだ。とりあえず『一ノ瀬はその日、レッスン室を二十三時まで使ってました』って言ったら、あっさり引いてくれたよ。本腰入れてる様子は無かったから、あくまで確認だったんだろうな」
「社長! 愛してます!」
「やかましいわ」
私が本心から感謝を口にすると、雑に扱われた。
ひどい、ぐすん。
「顧客名簿が回収されたって話もあるみたいだが、まあ『一ノ瀬みやび』の名前が無い限りは大丈夫だろうよ。ただ、本名の方はマークされてる可能性があるだろうな」
「あー、だから、カジノ禁止……」
「現行犯は、まずいって話だ」
社長は神妙に言う。
さすがにこればかりは納得せざるを得ない。一ノ瀬みやびと
今までは捕まったとしても、所詮は軽犯罪なのでそこまで深く掘り下げられなかっただろう。しかし、ここで一ノ瀬みやびという名前がつながってくると大事になりかねない。少なくとも、『一ノ瀬みやびの賭博疑惑』がたち消えるまでは、おとなしくしておいた方がいいと言うのは納得できる話だった。
「名簿で名前が割れている以上、捕まったら常習性を指摘されるかもしれんしな。賭博は現行犯で罰則自体は軽微だが、常習性があると一気に罪が重くなるらしいじゃないか」
「社長、随分詳しいんですね」
「誰のせいだと思ってる」
ジロリと睨みつけられる。どうやら、身内に博打狂いが居るものだから、対策のために調べたようだった。
いやあ、ご迷惑をおかけしますね。
「ひとまずは一ヶ月だ。違法な場には行くな。小学生でも守れる約束だ。どうしても行きたかったら、パチンコだの競馬だの、公営賭博で遊ぶんだな」
「ちなみに、合法で言えば、海外のカジノに行くのはありですか?」
「今のお前にそんな休みがあるとでも?」
ねーです。
もうすぐ冬のアイドルフェスというイベントがあるおかげで、私達のスケジュールは充実しているのだ。お仕事があるのは大変ありがたいのだけれど、まるで回し車で馬車馬のごとく走るハムスターの気分になるのはなぜだろうか?
そんなわけで、私の趣味は危機を迎えていた。
※ ※ ※
社長から釘を刺された後、帰り支度をして居た所を、英知くんに呼び止められた。
「みやびちゃん、今帰り? なら少し待っていてください」
言われるまま待っていると、同じく帰り支度を整えた英知くんが戻ってきた。
今日の彼は薄桃色のカーディガンにミント色のロングスカートだ。髪の毛もアップにしてて、メイクもバッチリしている。なんで男なのにこれが似合うのかが分からない。どうしてこの人、この事務所のマネージャーやってるんだろうね。
「言われるまま待ってたけど、英知くんどうしたの?」
「どうしたもこうしたもないです。みやびちゃんが変なところに行かないように、今日は僕がお目付け役です。社長から言われたんですからね」
生真面目そうな様子で英知くんは胸を張る。平たいはずの胸板が服の飾りでごまかされて膨らみがあるように見える。これが男性なのだから本当に世の中間違ってる。
いや、それよりも。
お目付け役ですか。
「信用ないんだね、私」
「逆に聞きますけど、信用されるようなことしたことあります?」
困ったことに思い浮かばなかった。
そんなわけで、帰り道は英知くんとのデートとなった。
「そんなに心配しなくても、さすがにこの状況で危険は犯そうとしないよ」
「でも、遊びに行こうとはしてたでしょ?」
「…………」
「ほら無言!」
「いや、ほら、賭場だって色々あるし、ちゃんと合法的なものもあるから」
違法な賭場には行くなというのが森須社長からの命令である。
賭場に違法も何もあるもんかと思われるかもしれないが、この日本には不思議なことに、公に運営されている賭博が存在する。それがいわゆる公営競技で、競馬、競輪、競艇、オートレースの四種類だ。
これらは賭博を前提として自治体などの公的機関が開催しているスポーツ競技で、特別法という法律に守られた賭博である。なので、成人限定ではあるが、誰でも博打を打つことが出来る。
「競馬場って言ったら、府中の方です? まあ、遊びに行くの自体は止めないので、行くのなら付き合うつもりですけど」
「いや、残念だけど、営業時間がね」
今の時間は十八時。公営競技は大抵夕方までで、ナイターレースなどがあっても二十一時にはほとんど終わっている。仕事終わりに一回くらいなら賭けられるかもしれないけど、正直それは面白くない。
というわけで、却下。
ちなみに余談だが、最も身近なギャンブルであるパチンコやスロットは、実はこの公営ギャンブルに含まれない。この辺は突っ込んで話し始めるとグレーな部分に触れてしまうのだけれど、まあ言ってしまえば、パチ屋は景品を交換する所までしか風営法で認められておらず、景品の中には特殊景品という名の文鎮があって、たまたま近くにそれを買ってくれる質屋が開店していて――うん、これ以上は説明したくないので、詳しく知りたい人は三店方式でググろう。
とは言え、グレーだとしてもパチンコも違法ではないので、森須社長の約束を破ることにはならない。
ただ、正直な所、今はあまり気分ではなかった。
そもそも、還元率が不透明だしね、パチスロって。いくらギャンブルは稼ぐものじゃないって言っても、それなりに勝ち筋が無いとやってて面白くない。
そんなわけで、見事に手持ち無沙汰なのだった。
「仕方ないや。素直に家に帰るよ」
「本当に?」
「マジで信用ないのな、私」
「で、実際の所はどうなんです?」
「本当に家に帰るよ。ただ、カジノでは遊ぶけどね」
「ほらやっぱり!」
「いや、違うって。ほら、社長との約束は、違法な賭場には行かないって話だったでしょ」
カジノはカジノでも、合法なものがあるのだ。
「海外のカジノなら、合法だからね」
海外は海外でも、その場所はオンラインだ。
オンラインカジノ。
インターネット上で仮想的に開帳されるカジノである。海外にサーバーがあるたため、海外の法律が適用される関係で、日本に居てもカジノゲームを楽しむことが出来る。
「まあ、厳密にはグレーゾーンなんだけど」
オンラインカジノの違法性については、逮捕事例はいくつかあるものの、裁判事例は存在しない。
すべて不起訴処分となっているためだ。
そのため、現段階においては合法とは言えないまでも、法に触れては居ないと言うことは出来る。
「また屁理屈みたいなことを……」
私の説明に、英知くんは呆れたように顔をしかめている。でも、仕方ないではないか。現実として違法となる事例が存在しないのだ。
それに、最近ではオンラインカジノをプレイする様子を動画サイトにあげて広告収入を得る配信者も居るくらいだ。そこまで大っぴらに活動していて捕まらないのだから、私のような個人が捕まる道理はない。
そんなわけで、今日はオンラインカジノで遊ぼうと思う。
「で、英知くんはいつまで着いてくるの?」
「え? みやびちゃんの家にお邪魔するつもりですけど」
「どうして決定事項みたいな言い方をされなきゃいけないんだろう……」
「だって、社長に報告する必要があるんですよ。賭場には行くわけですから、そこが違法じゃないかは、ちゃんと僕も見ておく必要があります」
さいですか。
まあ私に拒否権はない。前科が多すぎるので、信用しろと言っても難しいのは分かっている。
そんなわけで、英知くんをお持ち帰りすることになった。
如何に女装美人とは言え、仮にも英知くんは男性だ。うら若き乙女としては、異性を一人暮らしの部屋に上げるのはそれなりに抵抗がある――なんてことはない。むしろ英知くんが家に来ることなんて今更だ。なんだったら、モーニングコール代わりに迎えに来させることもある。その説は本当に申し訳ないと思っている。
私は良いけど、英知くんって性欲ないのかな……?
さすがにこうも、プライベートスペースに当たり前のように居られると、女として座り心地が悪いのだけれど。
「えっと……英知くんはなにか飲む? 紅茶くらいならティーパックがあったと思うけど」
「だったら僕が準備しますよ。台所お借りしますね」
「あ、はい」
数分後、私の目の前にミルクティーが置かれた。
……彼氏か!
いけない。自分の家なのに、なぜか英知くんの方が台所を知り尽くしている。そりゃまあ、帰る時間がいつも遅いからろくな自炊も出来てないけど、なんで部外者の方が手慣れた様子でキッチンを使えるんだよ。
「なんでも何も、みやびちゃんの寝起きが悪い時に軽食用意してたからですけど」
「これはこれは、その説はどうも」
自業自得でした。
むー、このままでは私の威厳が……。ここは、得意分野でいい所を見せよう。
ノートパソコンをリビングに持ってきて、英知くんと二人で画面を覗き込む。
私は登録しているサイトを呼び出しながら説明する。
「オンラインカジノは本場のカジノと同じように、色んなゲームを遊べるんだけど、そのプレイ形式が大きく分けて二つあるんだよね。それが、ライブゲームとビデオゲーム」
ライブゲームっていうのは、現実の人間がカメラの向こうでディーラーをしていて、そのゲームの様子に賭けるもの。
ビデオゲームというのは、全てコンピュータがゲームの進行を処理してくれるもの。
私は手始めに、ライブゲームの例えとして、ミニバカラの画面を立ち上げた。
外国の若い美人ディーラーが、カードをめくっている様子がライブで映る。その下の画面には、ゲーム結果の罫線が表示されていて、バンカーとプレイヤーの勝率が記されている。
「これ、本当にリアルタイムでカードをめくっているんですか?」
ライブ映像を見て英知くんが驚いた顔をしている。まあ、驚くよなぁ、と思いながら、私は愉快な気分になりながら付け加える。
「そうそう。二十四時間、交代制でやっているから、いつでもゲームが出来るの」
「二十四時間!? そんなの、お客さんがむしろ居ないんじゃ」
「そうでも無いよ。アクセスは世界中からあるからね。だから時差とかを考えると、常に人がいると言っても過言じゃないから」
そもそも、本場であるラスベガスのカジノだって二十四時間だ。カジノ業界自体が眠ることを知らないのだから、常に人がいる可能性があるオンラインが営業時間を設ける理由がない。
バカラ、ブラックジャック、カジノポーカー、ルーレットが主なゲームだけれど、これらはコンピュータでカードを表示されるよりも、現実のディーラーがディーリングしてくれた方が、臨場感が段違いなのだ。
それに、複数台のカメラとセンサーで結果を表示する関係で、イカサマを行う余地が存在しない。そもそも控除率を考えるとイカサマをする必要性もないため、安心して遊べるというのが魅力だ。
「……あの、みやびちゃん」
「なあに?」
「こんなサービスがあるのに、なんで危険のある闇カジノに行く必要があるんですか?」
「…………」
なんでだろうね?
いや、まあ。ほら、現実とは言っても、やっぱりカメラの向こうとリアルのゲームは違うし、それに他のお客さんが居ることで生まれる熱さとかもあるから……。
「えっと、それでね。もう一つのビデオゲームっていうのがね」
言い訳から逃げつつ、私はもう一つの方を紹介する。
こっちは分かりやすい。スロットを代表とする、コンピュータゲームとして遊ぶカジノゲームだ。現実のディーラーが居なくて、全て電子上で進行するものはだいたいこのタイプだ。
ライブカジノと違って、時間の制限とかが殆どないから、自分のペースで進められるのが魅力だ。その反面、臨場感はあまり無いし、確率が偏るとどうしても不正があるんじゃないかと疑ってしまうのが残念な点だ。
「一応、ライブとビデオでどちらにも同じゲームがあるけれど、私はだいたいライブの方が遊んでいる気持ちになれるかな」
「なら、今日はライブゲームをやるんですか?」
「それでも良いんだけど、今日は英知くんに勝ってる所見せたいし、こっちにしようかな」
言いながら、私は一つのゲームを選択する。
それは――オンラインポーカー。
カジノで唯一、実力が反映されるゲームだった。
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