第36話

 ふたりの新人亡者は、霧のように砂埃舞う世界で、とんでもないものを見ていた。



 ――い……いきなり、エンマ大王っ!?



 そう、彼らの前にある石畳の道はそこでT字路になっていて、左右に分かれている。

 その突き当たりに、たしかに鎮座していたのだ。


 小さな、エンマ大王がっ……!


 犬耳のような髪をぴょこぴょこさせ、足の届かない木の椅子の上で、足をぱたぱた。

 祭り帰りのような浴衣姿のその少女は、エンマどころか鬼にすら見えなかった。


 しかし、頭の上から子鹿のような角が生えていたので、辛うじて鬼ということだけはわかった。

 しかし、なぜ新人亡者たちはその幼子のことを、地獄の覇者であるエンマ大王だと思ったのか……?


 それは、書いていたからだ……!


 野菜の無人販売所か、それとも宝くじ売り場のような簡素なカウンター。

 中には例の少女が座っているのだが、その上の看板に、ハッキリとあったのだ。



 『じごくのさた』



 と……!


 地獄の沙汰とえいば、エンマ大王の裁きに他ならない。

 しかしイメージしていたものとは、大きく違っていた。


 何十人もの亡者たちが、無数の鬼たちによって整列させられる。

 その長い行列の向こうには、ビルのように巨大な机に座る、真っ赤な巨人が。


 『王』という文字の入った冠を頂くその巨人は、すべてを見通すギョロリとした目つきと、一片の容赦もない厳しい口調で亡者たちを尋問し、沙汰を言い渡す。


 それこそが、地獄……!

 それこそが、エンマ大王……!


 しかし目の前にいるソレは、そのイメージをガラスのように打ち砕く。

 エンマらしき人物も、座っている机も椅子も、何もかも……。


 想像を絶するほどに、こぢんまりとしていた……!


 辛うじて片鱗を感じさせるのは、少女が手にしている『しゃく』という木の棒。

 しかしそれすらも、退屈な授業を受ける小学生のように少女の鼻にさされていたので、台無し。


 いちおう両隣に鬼がいたので、それだけでも……と思ったのだが、



「あっ、やっほ~! こっちこっち!」



「楽しい楽しい地獄へ、ようこそどすえ」



 『女子高生コスプレガーズルバー 鬼っ娘』という看板がしっくりくるような美少女ふたりが笑顔で手招きしていたので、それすらも台無しであった。


 新人亡者たちは、感情というものを遺体の中に置いてきたつもりであった。

 幽霊のようにフラフラと、ここまで歩いてきたのだが……。


 まさか死後に、生前と同じ……。

 いや、生前以上の驚きを与えられるとは、思ってもみなかった……!


 ふたりは初めて上京を果たしたおのぼりさんのように、その場で立ち尽くしていたが、



「だーっ! なにを突っ立っているのだ! はやくこっちに来るのだ!」



 ペンペンと笏を打ち鳴らされ、我に返る。

 そして彼らは同時に気付いた。



 ――まさかここが、エンマ大王の、裁きの間……!?

 イメージと、全然違う……!?


 あっ……!?

 もしかしてこれは、エンマ大王が与えた、試練……!?


 でもそう考えると、今までのことも、すべて説明がつく!


 最初にあった、三途の川の渡しが無人だったのも……。

 渡し賃を払わずに渡ろうとする者を、どこかで監視していたに違いない!


 親切に石畳が敷かれていたのも、順路を無視してエンマ大王のもとに着くのを少しでも遅らせようとする者を、あぶり出すため……!


 そしてエンマ大王がこんなに可愛い子供の姿になっているのも、油断させるため。

 相手が子供だとわかると、生前の罪を誤魔化そうとする者がいるだろう。


 もしウソをついた場合、恐ろしい正体を表して、舌を引っこ抜いてくる……!


 そうだ、そうに違いない!

 エンマ大王は、イメージとは違う地獄を演出して、訪れる者たちを試しているんだ……!


 妙にショボかったり、妙にフレンドリーだったりするのも、そのためだったんだ……!



 心の中でそう結論づけた亡者たちは、神妙な面持ちになる。

 相手は自分の孫みたいな幼女であったが、ぴしりと居住まいを正した。


 しかしエンマ大王は、相変わらずフランクな態度を崩さない。



「それじゃあ、それぞれ名前を言ったあと、自分の罪を告白するのだ!」



 弁士のように、ぺぺんと机を叩く。

 促された新人亡者たちは、緊張した面持ちで名乗りつつも、さらに確信していた。



 ――やっぱり、試されている……!

 まず、地獄に訪れた者の名前は、すべて閻魔帳に書き留められるというが、それがない……!


 そして罪については、本来は『浄玻璃鏡じょうはりきょう』という鏡があって、それを使えば生前の罪がすべて映し出されるというが、それもない……!


 わざと何も知らない風を装って、ウソの供述をするかどうかを、見極めているんだ……!



 彼らは気持ちを引き締め、ここに来るまでに考えていた以上の答えをエンマ大王に差し出した。

 もちろん自分が覚えている範囲ではあるが、何もかも包み隠さず。


 なにせ相手は、うつけを装う策士……。

 他にどんな罠を張り巡らせているのか、想像もつかなかったからだ……!


 ちいさなエンマは亡者たちの罪の告白を聞き終えたあと、背中を向けた。

 すると傍らにいた鬼たちも集まってきて、なにやらコショコショとやりはじめる。


 しばらくして向き直ると、



「えーっと、そっちの亡者は、おちゃわんを持つ手のほうにある道に向かって歩いていくのだ! もうひとりは、おはしを持つ手のほうにある道をゆくのだ! ……えばーっ! これにて一件落着なのだ!」



 ……ぺぺんっ!



 まるで大岡裁きを下したように、笏を打ち鳴らすエンマ大王。


 てっきりここで、怒り狂ったランプの精のように正体を表し、落雷のような怒鳴り声とともに裁きを下されると思っていたのだが……。


 言い渡されたのは、「天国行き」でも「地獄行き」でもなく……。

 右か、左……!?


 しかも、おはしとおちゃわんを持つ手での、方向指示……!?


 しかし亡者たちは油断しない。

 これも何かの試練だと思い、しめやかに歩き出す。


 ふたりは、別れの際にお互いの顔を、チラと見た。

 そして思う。



 ――コイツとはもう、二度と会うこともないだろうな……。



 それほどまでに彼らにとって、この道は『大いなる分かれ道』であった。


 なにせ、エンマ大王から指示されたのだから。

 それこそ、『天国と地獄の分かれ道』といっても過言ではない。


 しかしそれは、大いなる間違いであった。

 そして、そのことに気付くのに……さほど時間はかからなかった。

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