第33話
ルシエロ領は、衰退の一途を辿っていた。
橋をかけても数度の氾濫ですぐに流されてしまい、都心部だけでなく、地方の経済活動もままならなくなっていたからだ。
ルシエロは川の多い土地だけあって、水難を防ぐために人々は川よりも高い所に住居を構えていた。
しかし、地区の間に流れる川の橋が役立たずとなれば、交流は途絶え……。
陸の孤島が続出してしまう……!
「橋は、陸と陸とを繋ぐものじゃが、それ以上に、人と人とを繋ぐものなんじゃ。人と人との繋がりは、目に見えぬものじゃ。じゃが、橋であれば目に見える。だからこそ手を抜かず、しっかりとしたものを創らないとダメなのじゃ。脆い橋というものは、それだけで人との繋がりを断ってしまうからのぅ」
ブリッヂメイカーの言葉が、ついに現実のものとなってしまったのだ……!
ヘルロウからの教えを守っていたブリッヂメイカーや老人たちは、手を抜かずに石橋を創った。
そのため川が氾濫したところで彼らの経済活動に特に支障はなく、順調に発展を遂げる。
そんな折、集落にいるとある若者が、こんなことを言い出した。
「領主さま! 石橋を架けるのは、氾濫する川だけでいいんじゃないですか? 小さな川や静かな川は、木の橋を架けたほうがいいと思います! なぜならばこのルシエロには、針葉樹がそこらじゅうにあります! しかも柔らかい木なので加工も簡単です! 石橋よりもずっと簡単に創れると思うのですが!」
しかしブリッヂメイカーは、穏やかに笑いながら、首を左右に振った。
「このルシエロでは、石の橋でなくてはダメなんじゃよ。とはいっても言葉だけでは納得せんじゃろうから、試しにキミの手で、石橋の横にひとつ架けてみるといい。そうしたら、すぐにわかる」
「わかりました! もし架けてみて問題がなければ、木の橋も採用してくれますか?」
「ああ、もちろんじゃとも」
その若者は張り切って、とある小さな川に架かる石橋の横に、木の橋を併設した。
そして……。
ブリッヂメイカーの言葉の意味を、身を持って体感することとなる。
彼らが架けた木の橋は、あっという間に腐りはて……。
渡ろうとすると床板を踏み抜いてしまいそうなほどの、ボロ橋になってしまったのだ……!
「ええっ!? なんでこんなに、すぐにダメになっちゃうんだ!?」
驚く若者に向かって、ブリッヂレイカーは言う。
「このルシエロ領に生えておる針葉樹は、ヤワモミといって、特に腐りやすい品種なんじゃよ」
「ええっ、この針葉樹は、領内でも家屋の木材としても使われているものです! でも家のほうは、こんなに速く腐りはしません!」
「木には、腐りやすくなる条件というのがふたつあるんじゃ。ひとつは『空気』、そしてもうひとつは『水』。そのふたつが揃うと、木は腐りはじめる……。川のそばは、そのふたつが揃っとるじゃろう? じゃからヤワモミなんかは、それこそあっという間に腐ってしまうんじゃ。ヘルロウ様はそのことを知っておったから、必ず石橋を架けるようにと、ワシらにおっしゃったんじゃ」
ちなみにではあるが、川のそばにある木材よりも、川のなかに沈んでいる木材のほうが腐りにくい。
それはなぜかというと、木が腐る条件である、『空気』が乏しいからである。
「なるほど……! 防腐処理を施したとしても、川のそばだと洗い流されてしまうことがあるから……だから石橋じゃないとダメなんですね!」
「そうじゃな。石橋と木材の防腐処理は、このルシエロという領地が生まれた時から、ずっと守られてきたものなんじゃ」
「あれ? ということは、木材の防腐処理も……?」
「ああ、ヘルロウ様が教えてくださったことじゃよ。……おっと、このことは皆には内緒にするんじゃぞ。特にワシの息子にはな。木材の防腐処理がヘルロウ様から授かったことがわかったら、あやつは領内のすべての家を壊すなどと言いかねんからのう」
「やっぱり防腐処理がなかったら、家もすぐ腐っちゃうんですか?」
「ああ。水に晒されておらんから、橋よりはだいぶ長持ちをするが……。腐った木材が怖いのは、倒壊だけではないんじゃよ」
「えっ? 家が腐って倒れちゃう以上に、嫌なことがあるんですか?」
「
「ええっ!? それは嫌ですね! わかりました、ぜったいに他言しません!」
「ああ、それだけは頼むぞ。しかし気になるのは、息子が住んでいる街に架かっている、ダメルシアン様の橋じゃ。ワシはせめて防腐処理を施すべきだと言ったんじゃが、天使様の架けた橋に手を加えるなどもってのほかと突っぱねられてしまったんじゃ」
「でも、ダメルシアン様が架けた橋って、ユグドラシルの木ですよね? ユグドラシルの木は腐らないんじゃ……?」
「……それが本物じゃったらな」
そのブリッヂメイカーの悪い予感は、見事に的中してしまう。
天国にのみ生えているというユグドラシルは、たとえ大地から抜かれても、腐るどころか枯れることもない。
それどころか永年にわたり、みずみずしい葉や豊かな実をつけ続ける神樹とされている。
そしてそれこそが、本件を強行したブリッヂレイカーの、最後のよりどころであった。
腐りさえしなければ、永遠に橋として使える……!
その衰えぬ姿こそが民衆を勇気づけ、ルシエロにも永久の繁栄をもたらすであろうと……!
しかしそれは、砂上の楼閣であった。
葉は茶色に変色し、樹皮はひび割れはじめる。
それだけならまだよかったのだが、カビのようものまで生えはじめ、上を歩くとぐにぐにとした感触になっていく。
表面を軽くこするだけでボロボロと剥がれ落ち、嫌な臭いがするようになる。
それは絶望の卵が、この領地に産み落とされたような、嫌な光景であった。
民衆たちはみな顔をしかめ、ブリッヂレイカーは蒼白になった。
これで彼もようやく、正気に戻るかと思ったのだが……。
「ぐっ……!? ううっ! ゆ、ユグドラシルが、腐るだなんて……!? あ、ありえない! ありえないことだっ! そ……そうか、わかったぞ! これもすべて、我らの信心不足……! ダメルシアン様を讃える祭りが、疎かになっていたからだ! こ……これからは祭りの回数を増やすぞっ!」
この決定には、これまで彼を支持していた民衆たちも、さすがにあきれ顔。
そして、いよいよ見かねたとある人物が、ついにみなの前で、打ち明けたのだ。
「お、俺は……。ダメルシアン様が橋をお架けになられたとき、そのお手伝いをさせていただいた者だ。あの木は、ユグドラシルなんかんじゃない! そのへんの山奥で引っこ抜いてきた、ただの大木だ! その作業に関わった者は全員、ダメルシアン様から口止めをされたんだ! このことを他言したら、呪われるって……! でも俺はもう、我慢できなくなっちまった! ダメルシアン様は、とんでもない大嘘つきだ!」
彼は、彼自身が運び込んだという偽ユグドラシルをバックに、告白をしていた。
そんな彼の想いに、呼応するかのように……。
絶望の卵が、いままさに孵化するかのように……。
……ピシリ!
と大きなヒビがが、走ったのだ……!
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