第24話

 水着を奪われてしまった途端、鬼嫁のようだったアローガは、人間の少女のようになってしまった。


 能面のようだった表情は崩れ、借金のカタに手荒く連れ去られてしまった女子高生のように不安に満ちている。

 今にも泣き出しそうな、弱々しい上目遣いでヘルロウを見上げていた。


 珠のような汗を全身に浮かべ、ふぅ、ふぅと呼吸も荒い。

 こうなってしまうと、なにもかもが薄幸の美少女にしか見えなくなる。


 ほっそりした鎖骨に視線を落とすと、あんな太い石棒をブンまわしていたのがウソみたいな細い腕が、肢体を覆い隠していた。


 華奢であるものの引き締まった腕の間から、こぼれ落ちんばかりに柔肉がはみ出ている。

 それはスライムのような弾力を持って、彼女の息づかいにあわせてふるふると震えていた。


 さらに視線を落としていくと、控えめに穿たれたヘソがあって、さらにその下には……。

 『切れ上がった』と形容するに相応しい、三角地帯が……。


 とそこで、ヘルロウの心の実況は中断させられた。



 ……ギュッ!



 ほっぺたをこれでもかと、つねりあげられて。



「いででででで! なにすんだよっ、ピンキーっ!?」



「ジロジロ見てちゃダメでしょ! ヘルロウ君って、本当にエッチなんだから!」



 ぷんすか怒るピンキーは、ヘルロウをほっぽってアローガの元にしゃがみこむ。



「ごめんね、アローガちゃん。ちょっとやりすぎちゃったね」



「ううっ、殿方にハダカを見られてしまうやなんて、うち初めてどす。それがこんなに恥ずかしいものどすなんて……。いけず、いけずどすえ……」



 とうとうさめざめと泣き出してしまうアローガ。

 ピンキーが振り返って、キッとヘルロウを睨みつけた。



「ほらぁ、ヘルロウ君がジロジロとハダカを見たから、アローガちゃん恥ずかしがって泣いちゃったじゃない!」



「お、俺のせい!?」



「そうだよ! だってミヅルは遠くにいるから、ハダカを見た男の子ってヘルロウ君しかいないじゃない! さぁ、早く謝って!」



 言われてみれば確かにその通りなのと、この戦い方を指導したのはヘルロウ自身である。


 さすがにヘルロウも少し後ろめたいものを感じ、ダーツエヴァーが奪った水着を受け取ると、後ろ頭を掻きながらアローガに差し出した。



「悪かったな、アローガ。お前をこんな風にしてやっつけようって提案したのは俺なんだ。そうでもなきゃ、今の戦力で地獄の獄吏に勝つ方法なんてなかったからな。あとハダカをジロジロ見たのは嫌らしい気持ちからじゃない。他の鬼の身体がどうなってるのか、興味があったんだ」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 水着を返してもらったアローガは、もう暴れることもなくなっていた。


 ヘルロウは獄吏を戦闘不能にしたあとは、芋の蔓で作ったロープで縛り上げるつもりだったのだが……。

 すっかり大人しくなっていたのと、また泣かれると困るのでやめておいた。


 とりあえず、『等活地獄』を管理している鬼のひとりはヘルロウ軍団の手に落ちた。

 しかし、喜んでばかりもいられない。



「おいアローガ、脱走者を追いかけて瞬間移動したお前が、しばらく戻らなかったら、次はゴルバのヤツが様子を見にくるんだろう?」



 ヘルロウが問うと、アローガは素直にこくりと頷いた。



「うちとゴルバはんの決まりでは、そういうことになっているどす。でも、今まで一度もそういうことはなかったどすから、もしかしたらゴルバはんは、うちがいなくなったことに気付いてないかもしれないどす」



「そうか、もしそうだったとしたら、もうひとり脱走させる必要があるかもしれないな」



 しかしそれは、杞憂であった。

 突如として天から、流星のような衝撃が落てきて、



 ……ドォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!



 あたり一面を、爆風で吹き飛ばした。



「うわっ!?」「キャアッ!?」「ほうっ!?」「だーっ!?」



 ヘルロウと鬼たちはみな吹っ飛ばされ、ちりぢりになってしまう。



「いててて……いったい、何が落っこちてきたんだ……? もし隕石だったら、貴重な素材に……」



 こんな時でもクラフトのことが頭から離れない少年は、砂埃にまみれた身体を上げた。

 すると、そこには……。


 金剛力士像のように、クレーターの中心に仁王立ちになっている、鬼の姿が……!


 身体は鬼のなかでもひときわ大きく、ボサボサの髪を後ろで乱雑にひとまとめにしている、荒武者のようなオス鬼であった。



「おぬしのような大胆不敵な首魁が、この地獄におろうとは……! しかも鬼や悪魔などはなく、ただの亡者とは……! 灯台もと暗しとは、このことでござる!」



 ……ズシンッ!



 一歩前にで踏み出すだけで、地響きが起こった。



「下級の鬼どもをけしかけたところで、アローガ殿を倒すことなど不可能! しかしまさか、あのような陥穽かんせいを持ってしてあたるとは、このゴルバ、まさしく慮外でござった!」



 ……ズシンッ!



「しかしこのゴルバには、そのような小手先の技は通用せぬでござるっ!」



 ゴルバは担いでいた石棒は使わず、空いていた片手を、背中の虫を追い払うように動かした。



 ……ブオンッ!



 すると、背後からこっそり近寄ってきていたダーツエヴァーが木の葉のように吹っ飛んでいく。



「だぁーっ!? なんでわかったのだーっ!?」



「もはやその手口が知れてしまった以上、この石棒を奪うことなど、何人たりともかなわぬこと! 欲しければ、拙者の腕ごと持っていく気概でかかってくるがいい! そのかわり、こっちは首をもらうぞ!」



「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」



 言うが早いが、背後からピンキーが跳び蹴りで襲いかかってくる。

 しかしゴルバはノールックで身体をずらし、その蹴り脚を脇に抱え込むと、



「おてんば娘には、このくらいがちょうどでいいでござるっ!」



 ピンキーの足首を掴んだまま、その場でグルグルと大回転。

 片手ジャイアントスイングで振り回されてしまったピンキーは、グルグルと目を回す。



「わああっ!? うそうそうそっ!? うっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーっ!?!?」



 手を離された途端、ピンキーは撃ち出された矢のように遠くに飛ばされていたが、猫のように器用に空中回転して、事なきを得ていた。


 ゴルバは取り巻きを散らしたあと、パンパンと手をはたきながら、ヘルロウに向き直った。



「下級の鬼どもはどうやら、おぬしが原動力となって、拙者に歯向かっているようでござるな! いったいどうやって、亡者が鬼を手懐けたかは知らぬが……。おぬしをこの世から消し去ってしまえばいいだけのこと!」



 ……がばあっ!



 ゴルバは裁きを下すように、石棒を大上段に構えた。


 鬼たちには素手であったのに、亡者であるヘルロウには、石棒を使う……。

 これは『滅生』への、明確なる意思の表れであった。


 振りかざされた石棒は、ヘルロウの身体の倍くらいある。

 そんなので思い切り叩かれてしまっては、蚊のようにぺちゃんこに……。


 魂ごとぐしゃぐしゃになってしまうのは、明白であった……!



「くっ……!」



 さすがのヘルロウも、この時ばかりは危機を感じていた。


 いままではどんな窮地に立たされても、不敵さを崩さなかった少年が……!

 ついに、歯を食いしばったのだ……!



 ……ドゴォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーンッ!!



 地獄の中でもなかなかないような、世紀末的打撃音が、地獄の外で起こった。


 ピンキーやダーツエヴァーは、もうおしまいだと両手で顔を覆っていた。

 ミヅルはこんな時でも、メガネの位置を気にしてた。


 ストローはカカシのように棒立ちであった。


 ヘルロウは己の最後の瞬間まで、目を見開いていた。

 しかしそれは、いつまで経ってもやってこなかった。


 不意にゴルバが、ぐらりと揺れる。

 そのままのポーズで、書き割りの看板のように前に向かって倒れ込んでくる。



 ……ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーンッ!!



 再びもうもうとあがる砂埃、その、向こうには……。

 ふたたび鬼嫁の顔を取り戻した、アローガが……!


 血のついた石棒を手に、ぜいぜいと肩をいからせていた……!



「うちの大切な人●●●●に、おいたをするやなんて……! いくらゴルバはんでも、許さんどすえっ!!」

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