第23話

 ピンキーとアローガは、荒野のなかで対峙していた。

 時折タンブルウィードのように、風にあおられた木片がカラコロと足元を転がっていく。



「えへへ……。アローガちゃんとは『鬼中学』の体育の授業でよく、組手をやったよね」



 ピンキーは思い出すように言いながら、当時と変わらぬファイティングポーズを取った 

 拳を固めてリズムを取る、ボクシングスタイルである。


 彼女の肩越しには、セコンドのようなヘルロウが見守っていた。


 対するアローガは、浮気を開き直った夫を前にしたかのように、うつむいたまま佇んでいた。


 その肩越しには、彼女のエモノであった石棒を担いで、なおも逃げ去るミヅルとストロー、そしてダーツエヴァーの姿が。

 かなり遠くまで逃げていて、豆粒のように小さくなっていた。


 そんな状況を知ってか知らずか、アローガはゆっくりと顔を上げる。

 背後には目もくれず、ただじっと、対面にいるピンキーを見据えていた。


 いつもうっすらとした笑みを浮かべる京美人顔は、能面のようになっている。



「うちも、随分小馬鹿にされたもんどすなぁ。いくら武器がないといっても、あんさんみたいな格下の鬼に、負けるいわれはあらしまへんのに」



「わぁ、それはどうかな? 鬼中の時は互角だったじゃない。それに私だって、今までひとりで練習して……はっ!?」



 と目を見開いたときには、もう遅かった。



 ……ズドオンッ!



 一瞬にして懐に飛び込んだアローガの拳が、ピンキーのヘソにめり込んでいた。



「がはあっ!?」



 肺から息を絞り出すような悲鳴とともに、身体をくの字に曲げて吹っ飛ぶピンキー。

 数メートル先の地面を、ゴロゴロと転がる。



「鬼の階級を、小馬鹿にしたらあきまへん。権獄けんごく級の鬼を、見くびってもらっては困りおすなぁ」



 足音も立てず、倒れた身体にしずしずと近づいていくアローガ。

 ピンキーは身体を起こすこともできず、這いつくばったまま激しくむせている。



「かつての学友とはいえ、おいたを見逃すわけにはまいりまへん。少し、キツいお仕置きを受けてもらいますえ。そのキレイキレイなお顔が、二度と見られなくなるくらいの」



「わぁああっ!?」



 ぞっとした様子で見上げるピンキー。

 しかし顔をあげた彼女が目にしたのは、鬼嫁の形相ではなかった。


 小さな、背中……!



「わあっ!? へ、ヘルロウ君っ!?」



 なんとヘルロウが、ピンキーとアローガの戦いの最中に、割って入ったのだ……!



「に、逃げて、ヘルロウ君! 鬼の私が一撃でこんなになっちゃったのに、亡者のヘルロウ君が同じ攻撃を受けたら、滅生しちゃうよ!?」



 通常、地上で人間が死んだ場合は魂となり、それが天国や地獄に行く。

 地獄の場合はそこで亡者となって、責苦を受けなくてはならない。


 そして地獄で死んだとしてもやはり魂だけが残り、鬼の手によって再び亡者として蘇り、責苦の続きを受けさせれられる。


 『滅生』というのは、その魂ごと消えてなくなってしまうことである。


 地獄に落とされてもなお、手の付けられない極悪人などに下される『永久消滅』にあたり、消されてしまった魂は二度と元には戻らない。


 しかし基本的には禁じられている行為なので、鬼たちが亡者を滅生させるには、それ相応の理由が必要とされる。



「あんさんが、ピンキーはんやミヅルはん、それにダーツエヴァーはんをそそのかしはったんやろ? 地獄の鬼をそそのかすやなんて……滅生させる理由としては、じゅうぶんどすなぁ」



 そう言えばヘルロウは腰を抜かして逃げ出すだろうと、アローガは思っていた。

 しかし、少年は一歩も動かない。


 小さな身体を大きく見せることもなく、斜に構えている。



「あんさんは、滅生させられるのが怖くないんどすか? しかしいくら強がってみたところで、もうあんさんが消えてしまうのは、もはや変えられない運命どす」



「まぁ、そうあわてんなって。俺をこの世から消すと、お前さんの気になっていることがわからずじまいになるぜ」



「うちが、気になっていること? うちが気になっていることで、亡者のあんさんに答えられることなど、なにひとつないどすえ」



「いや、あるだろ。そこでひっくり返っている亡者を脱走する気にさせたのは、この俺なんだからな」



 ヘルロウは、少し離れたところで転がっている亡者を親指で示す。

 アローガは、腑に落ちたように唸った。



「ははぁ、確かに。等活地獄で脱走者が出たのは、数千兆年ぶり……。ずっとええ子らやった亡者たちが、なぜそんな気になったのか、気にはなっていたんどす」



「だったら俺を消す前に、その方法を聞いておいたほうがいいんじゃないか? そしたら今後、同じ手を使ってくるヤツがいたとしても、防ぐことができるからな」



「なら、白状するどす。その内容によっては、滅生も堪忍してあげるどす」



「いいや、そんなオマケはいらない」



「なんどす?」「なんですって!?」



 これには、女子高生鬼コンビも揃って仰天。



「わあっ、ヘルロウ君っ!? アローガちゃんは、白状したら滅生は勘弁してくれるって言ってるんだよ!? そりゃ、地獄には連れて行かれちゃうかもしれないけど、消えちゃうよりずっとマシでしょう!?」



 背後からすがりつくようなピンキーの声。

 しかし少年は振り向きもせず、事もなげに答える。



「大丈夫だ、ピンキー。コイツは、俺を滅生させることができない。何があっても、絶対にな……!」



 その一言はただならぬ自信と、不敵さに満ちていた。

 それが、『地獄いちのはんなり美人』と名高い彼女を、ついにキレさせてしまう。



 ……ゆらぁ。



 幽幻のようなオーラが背後からたちのぼり、はぐれた黒髪がゆっくりと持ち上がる。

 いままでは能面だった表情が、ついに般若と化す……!


 それは、鬼であるピンキーですら、総毛立たせてしまうほどの迫力があった。



「わあああっ!?!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」



 身体を丸めて転がり、すっかり縮こまってしまったピンキー。

 しかし少年はなおも、微動だにせず……!


 それがアローガの心を、さらに逆なでした。


 童話に出てくる鬼婆のように、顔を歪める。

 森に迷い込んだ子供を、ひとり残らず煮て食ってしまいそうな勢いで、食ってかかる。



「亡者にこんなに小馬鹿にされたのは、初めてのことどす……! さぁ、白状するどす! たとえそれがどんな内容であったとしても、終わった瞬間に、滅殺してやるどす!」



 ヘルロウは、煮えたぎる鍋の縁に追い詰められた子供同然であった。

 しかし、余裕たっぷりで肩をすくめると、



「いや、話してやる必要も、もうなくなったみたいだ」



「なんどすえ!? 今更になって、生命が惜しくなっても遅いどすっ! ええい、もう茶番はたくさんどすえ! 今すぐ滅生させてやるどすっ!!」



「いや、違うんだ。本当は長話をして、時間稼ぎをしようと思ってたんだよ。でもお前さんがキレて、まわりが見えなくなってくれたおかげで、こっそりとじゃなく大胆に近づくことができたからな」



 少年が親指で示す先を、目で追うアローガ。


 すると、すぐ隣にちんまりとした幼女が立っていた。

 すでに、もみじのような手を、引き寄せるように動かしながら……!



「しまっ……!?」



 と気付いたときには、もう遅かった。



 ……しゅるんっ!



 アローガの身体から、逃げ出すように水着が離れていく。

 しかも上だけでなく、下まで。


 鬼の一糸まとわぬ姿というものを、ヘルロウは初めて見た。



「い、いやあんっ!? ご無体どすえっ!?」



 さっきまでの憤激はどこへやら。

 破裂寸前の風船のようだったアローガは、今や穴の空いた風船のよう。


 両手で裸体を覆って、しぼむように、ぺたんとその場に座り込んでしまった。

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