第22話
ヘルロウの宣言してからわずか数日で、壁の上に亡者が現れた。
野球場のフェンスを乗り越えて現れた闖入者のようなその存在に、鬼たちは驚きを隠せなかった。
「へ、ヘルロウ君の言うとおり、ほ……ホントに脱走しちゃった!?」
「ほう……。『等活地獄』の脱獄者は、ここ数千兆年ほどなかったと聞きます。それがなぜ、ピンポイントで……?」
「ヘルロウっ! 今度はいったい、どんな魔法を使ったのだ!?」
「魔法じゃない! それにタネ明かしは後だっ! 練習していたとおり、アイツを助けるぞ! 網を持ってくるんだ!」
ヘルロウに指示され、鬼たちは慌ただしく動き始める。
道具入れがわりの家屋から、『網』を持ち出した。
【蔓の網】 道具レベル:2
サツマイモの蔓を使って編んだ網。
耐久性はなく、数回使うとだめになる。
その四隅を、ヘルロウ、ピンキー、ミヅル、ストローで持って広げ、亡者の真下へと移動する。
そして上を見上げ、口々に叫んだ。
「よぉし、ここに向かって飛び降りろ!」
「私たちは敵じゃないわ! あなたを助けてあげる!」
「鬼の小生が言っても説得力がありませんが、小生はあなたの味方です。一応」
殺し合いの毎日で、餓鬼のように痩せ細った亡者は、待ち構えていた者たちにギョロリと眼を剥いていた。
彼の選択肢としてはふたつ。
地獄に戻るか、それとも飛び降りるか。
いや、地獄には戻りたくない。
もう数え切れないほどあそこで殺され、死ぬほど苦しい思いをしたかわからないからだ。
そして下で鬼たちが待ち構えている以上、どんな降り方をしたところで捕まるのは目に見えている。
しかし、塀の上に掴まったままというわけにもいかない。
このままではいずれ獄卒に見つかって、引きずり降ろされてしまうだろう。
となれば、道はひとつしかない。
いちかばちか、あの奇妙な鬼たちを信じて……。
……
枯葉のようにひからびた身体が、ひらひらと宙を舞う。
そして、蜘蛛の巣に引っかかるかのように、ふわりと着地した。
それは髪も歯も着衣もボロボロの成人男性。
食事を与えられず殺し合いばかりさせられていたので骨と皮ばかり。
「よし、いくぞっ!」
ヘルロウの号令一下、網をタンカがわりにして彼を運搬開始。
近くの小屋に運ぶと、そこにはダーツエヴァーが待ち構えていて、
「きっと、お腹が空いてるのだ! この芋粥を食べるといいのだ!」
さっそく、餌付けを開始する。
【芋粥】 食料レベル:2
ふかした芋をお湯で溶いただけの料理。
そのまま食べるよりも消化にいい。
木の器に盛られている。
【木の器】 道具レベル:2
木を削って創った器。
【木のスプーン】 道具レベル:2
木を削って創ったスプーン。
幼女鬼から差し出されたそれを、亡者は野良猫のよう警戒と困惑を露わにしながらも受け取った。
何億年ぶりかに嗅ぐ血以外の匂いに、つい自然と手が伸びてしまったのだ。
「熱いから気をつけてね」と自分よりずっと若い鬼に言われ、湯気に向かっフーフーと息を吹きかける。
もうスプーンの持ち方など忘れてしまったので、そのまま器に顔を近づけ、ひと口すすったその瞬間、
「ぐええええええっ!? うめえっ、うめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーっ!?!?」
網の上で七転八倒した後、アワを吹いてそのまま引きつけを起こしてしまった。
まるで毒を飲まされたようなリアクションであるが、無理もない。
なにせ数億年ぶりの食事だったのだ。
度を越した快楽が苦痛に変わってしまったような発作を起こしてしまうのも致し方なかろう。
いずれにしても亡者の確保は成功した、となるとあとは、
……ドバガァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
突如としてハリケーンが発生したかのように、家が丸ごと吹っ飛んでしまった。
髪が逆巻くほどの突風に、ビクリと縮こまる鬼たち。
「まさかこのような所に、どなた様が集落のようなものをお作りになってはっただなんて……エンマ様に、ご報告させていただかなくてはなりまへんなぁ」
ヘルロウの背後から、清流のような涼やかな声がした。
振り返ると、そこには……。
まず目を引いたのは、光沢のある長く美しい黒髪。
ふたつに結われ、豊満な胸の両脇から垂れ下がっている。
高級な紬のような、薄い藍色の滑肌を持ち、顔はおっとりした京美人風。
雅やかな口調は、とても鬼とは思えぬ上品さであった。
和服が似合いそうな出で立ちであったが、身に付けているものはかつてのピンキーと同じ、虎縞ビキニ。
そして手には、身体ほどもある巨大な石棒が。
おそらくアレのたった一振りだけで、家を吹き飛ばしたのだろう。
鬼たちの事前情報どおり、すさまじい破壊力である。
彼女は泣きボクロのある垂れ目を細めていたが、そこにいた者たちを認めると、目を丸くした。
「おやあ? ピンキーはんにミヅルはんに、それにダーツエヴァーはんまで……? これは、いったいどういうことなんどす?」
鬼たちは気まずそうにしながらも、それぞれ応じる。
「や……やっほー、アローガちゃん、久しぶり」と、小さく手を振るピンキー。
「ほう……相変わらず、マイペースそうですね」と、メガネを直すミヅル。
「わぁ、アローガ、会えてうれしいのだ!」と、諸手を挙げて近寄っていくダーツエヴァー。
しかしその足取りがぎこちなかったので、アローガの目つきが変わる。
先ほどとはうってかわっての厳しい視線に、ダーツエヴァーは射貫かれたように動けなくなってしまった。
「……まさか、あんさんらがそこにいる亡者を脱走させはったんどすか?」
ずっと貞淑だった妻が、夫の浮気についにキレてしまったかのような一言が放たれる。
その迫力に、鬼たちはつい目を反らしてしまった。
それは言外で認めているも同然であったが、トドメを刺したのは、やはりあの少年。
「そうだ、俺たちが
高い視線と低い視線が、火花が散るほどにぶつかった。
「はて、あんさんは見るからに亡者どすのに、何故こんなところにいるんどすか?」
「俺はヘルロウだ。つい最近、こっちに越してきたんだが、せっかくだから暮らし向きをもっとよくしてやろうと思ってな。ここにいる鬼たちと協力して、地獄を……。まずはお前さんのいる『等活地獄』を獲ることにしたんだ」
「地獄を、獲る……?」
アローガの視線と声音が、さらなる極寒を帯びる。
「ははぁ、わかりましたえ。等活地獄では久しゅうなかった脱走者を出せば、うちら獄吏は降格処分になってまう……。ピンキーはんとミヅルはんを、その後釜に座らせるっちゅう魂胆どすな?」
「それもいいが、ちょっとまどろっこしいやり方だな。俺はもっと手っ取り早く『等活地獄』が欲しいんだ。例えるなら、配達途中のピザを、一切れつまみ食いするような感じでな。でもそのためには、お前たち獄吏の協力が必要不可欠なんだ」
「それはほんに、おもろいお考えどすなぁ。どこの世界に、亡者と下級の鬼が企てた革命に協力する、変わり者の鬼がいるんどすやろか?」
「その地獄初の『変わり者』に、今からなってもらうぜ。たとえ力づくでも、な……!」
「オホホ、それこそ傑作やわぁ。うちはひとりとはいえ、亡者と下級の鬼に力でどうこうされてまうほど、甘くはないどすえ」
彼女はついに堪忍袋の緒が爆発してしまったかのように、石棒をぐるんと振り回して構えた。
「あんさんが何者か知りまへんけど、おいたが過ぎますえ。ここはひとつ、きついーいお仕置きが必要のようどすなぁ」
その時を待っていたとばかりに、ヘルロウの目が輝く。
「よし、やれっ!」
するとダーツエヴァーがいつの間にか、アローガのそばに忍び寄っていた。
ヘルロウの合図を受け、「いただきなのだっ!」と綱引きをするような仕草をする。
瞬間、アローガの手から石棒は消え、ダーツエヴァーが押しつぶされていた。
「ああっ!?」
と武器を奪われたアローガが取り返そうとするが、もう遅い。
待ち構えていたミヅルとストローのコンビが、石棒の両脇を抱え上げ、しがみついているダーツエヴァーごと、
……ぴゅうっ!
とつむじ風のごとく、逃げ去った……!
なおも追いかけようとするアローガの前に、立ち塞がったのは……。
「へへーんっ! 練習してた技、誰かに試したいってずっと思ってたんだよねー!」
ポキポキと指を鳴らす、同じメス鬼が……!
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