第12話

 ヘルロウの創った船、『アウトリガー・リアカヤック』は、船体に付いている車輪のおかげで労せず川へと着水。

 そのまま流れに乗って進み始めた。


 乗っていた鬼たちは、初めて渓流くだりを体験する子供のように大はしゃぎ。



「わっわっわっわっ!? わあっ!? すごいすごい! 本当に水に浮かんでる! 本当に船だったんだ!」



「ほう……。しかも、ダーツエヴァーの船よりも安定しています。これかなら、魚たちに突かれて転覆する心配もなさそうです」



 船頭のヘルロウは、船の調子を確かめながら彼らに言った。



「安定してるのは、横から出ている木の板のおかげだな。これが浮材の役割にもなるから、安定するんだ」



「へぇ、こんなペラペラの木の板で、こんなに揺れなくなるだなんて、すごいねぇ!」



「ほう……浮材の役割にも、ということは、この木の板には他の役割もあるということですね?」



「そうだな。乗ってみた感じは悪くなさそうだから、そろそろスピードを出してみるとするか」



 鬼たちが「「えっ?」」とハモった瞬間、彼らの身体が置いていかれそうな程に、船は加速した。

 船頭のヘルロウが、船首に付いている大きなコの字型のレバーを前後に倒したのだ。


 それを一漕ぎするだけで、左右の10本もの木の板が、オールのように動き……。



 ……ぐぐんっ!



 と後ろから押しているような、大きな推進力を船に与える。


 さらに漕ぎ続けると、風を得るほどのスピードになった。



「わっわっわっわっ!? わわわわっ!? わぁーーーーっ!! はやいはやはやいっ! はやーーーいっ!! ダーツエヴァーちゃんの船より、ずっとはやーーーーいっ!!」



 スピードの向こうを初めて体感したのであろう、ピンキーは歓声とポニーテールをなびかせる。

 ピンクの肌に鳥肌を浮かべるほどに大興奮していた。



「ほう……! 天技パラソル獄技インフルでもなく、ただの人力だというのに……! これほどまでに速度の出る乗り物があったとは……!?」



 落ちそうなるメガネを、しきりに何度も直しているミヅル。


 ヘルロウは彼らの反応に気を良くして、どんどんスピードをあげていく。



「ひゃっほーっ! この川は流れも穏やかで、水路みたいに深さも一定だ! 浅瀬も出っ張りもないから、好きなだけ飛ばせるぞっ!」



「やったーっ! 最高っ! ヘルロウ君っ! もっと飛ばしてーっ!」



「そ、そろそろ巡航に入ったほうが、よいかと思うのですが……」



 絶叫マシンに乗っているかのように、諸手を挙げて喜ぶピンキー。

 ミヅルはそれに無理やり付き合わされている人みたいに、船の縁を掴んで離さなかった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ヘルロウたちが川下りを楽しんでいるのと、時をおなじくして……。


 地上のとある海岸では、大きな火の手があがっていた。



「お頭! これでヘルロウの船は全部燃やしました!」



「よしっ! 新鮮な魚を届ける俺たち海の男が、まさか腐った悪魔が創ったカヤックに乗ってたんじゃ、示しがつかねぇからなぁ!」



 天国にいる時にヘルロウが創ったリアカヤックは、すでにほとんどが壊されていた。

 その船によって、安全と大漁の恩恵を幾度となく受けてきた、漁師たちの手によって。


 お頭はバラバラにされたカヤックの破片が、灰になっていくのを満足そうに眺めながら、後ろに控えた部下たちにこう宣言した。



「よぉーし、それじゃ、新しい門出と行くか! 穢れてない普通のカヤックで、神聖なる漁を始めるんだ!」



「へいっ!」



 このあたり一帯の海における漁は、カヤックが伝統的に使われていた。

 荒れ狂う海を小回りの利く船で乗りこなし、大勢で魚を追い立てるという、アクロバティックな漁法である。


 その安全性と効率性のほどはともかく、彼らは漁を生きる糧を得るためだけではなく、海の神から生命を分け与えてもらう神聖な儀式とみなしていた。

 そのため、堕天した天使の創った船を使うなど、もってのほかだったのだ。


 しかしヘルロウのリアカヤックを使い始めてからというもの、他の天使が創った普通のカヤックは倉庫に眠りっぱなしになっていた。

 お頭は部下に指示して倉庫を開放し、中に並べてあったあったカヤックを綺麗にする。


 そしていよいよ、倉庫から砂浜、砂浜から海にでて、漁に出発とあいなったのだが……。



「うっ……!? ぐぅぅぅぅぅ~~~っ!?」



「どうしたどうした!? まだ倉庫だぞ!? さっさとカヤックを海に持ってかねぇか!」



「そ、それが……! ヘルロウのカヤックだったら車輪が付いてたから、砂浜に置いててもすぐ漁に出られたんですが……」



「こ、こう重いと、なかなか動かなくて……!」



「だらしがねぇなぁ! それでも海の男かよっ!? うう~~~んっ!!」



 お頭もいっしょになって押してみたが、ちょっとずつしか進まない。

 これはあまりにもおかしいと思い、頭を捻った。



「あっ、そうだ! ヘルロウの野郎のカヤックが来るまでは、下に丸太を敷いて転がしてたんだ!」



 海の男たちは倉庫にあった丸太をわたわたと引っ張りだし、砂浜に並べる。

 そしてようやく、何隻かは海に出ることができた。


 しかし丸太の数には限りがあるので、いちいち戻して次のカヤックを運ばねばならず、かなり手間がかかった。


 それで、お頭は思い出す。

 そして、ようやく海へと繰り出していく部下たちを眺めながら、しみじみつぶやいた。



「そういえば、天国からこの海に臨海学校に来ていたヘルロウの野郎が、俺たちがこんな風にして苦労してたのを見かねて、創ってくれたんだっけ……」



「変わった野郎でしたよね。他の天使様たちはプライベートビーチで遊ばれてるっていうのに、ヤツはひとりで俺たちが働いているところにやって来て、じーっと見てたんですから」



「それで何を言い出すかと思えば、もっと楽に漁をさせてやろうか、だもんなぁ! 俺たち地上の人間を気に掛けてくださる天使様がいるんだと、その時は驚いたもんだが……まさかアレが、悪魔のささやきだったとはなぁ!」



「もしかしたら、このままヘルロウのカヤックを使っていたら、大変なことになってたかもしれませんね!」



「ああ! 悪魔が創ったカヤックだなんて、何があったもんだかわかりゃしねぇ! いつか示し合わせたように転覆して、みいんな沖にさらわれちまうぞ!」



 彼らがヘルロウのリアカヤックを唾棄したのは、単純にヘルロウが堕天したからである。

 それまでは毎日のように漁に使っていたのだが、何の問題もなかった。


 そしてこれからも、問題など起こるはずもなかったのだが……。

 この時はまだ、彼らは知らなかった。


 まさか普通のカヤックでの漁が、これほどまでに大変だったとは……!


 それは例えるなら、いままでフル装備のダイビング漁をしていたところを、素潜りで獲るようなものである。

 彼らがかつて、普通のカヤックで漁をしていた時ですら、事故が絶えなかったというのに、そんな無茶をしたら……!



 大 ・ 惨 ・ 事 ……!!



 横波を受けただけですぐに転覆、そのうえ体勢を立て直すヒマなく、あっという間に沖にさらわれてしまい……!



「たっ、たすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」



 転覆したカヤックになんとかしがみつき、漂流者のように助けをもとめる部下たちが、大量発生……!

 先ほどお頭が心配していた光景が、すぐ目の前に……!

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