第9話

 ピンキーとミヅルにとって、最初の魚……それは恐る恐るであったが、すぐに随喜へと変わった。

 彼らにとって、初めての『嬉しい悲鳴』を一献轟かせた後、



「わっ、わっわっわっわっ、わっわっわっわっ、わあっ……!?」



「ほっ、ほっほっほっほっ、ほっほっほっほっ、ほおっ……!?」



 ガツガツムシャムシャと魚を頬張りはじめた。

 ふたりとも、目が獲物に襲いかかった猫みたいになっている。



「調味料がなかったから味付けしてないけど、そんなにうまいか?」



 すると、鬼たちは瞳をギラギラさせながら、



「わっわっわっわっ、わぁっ!? おいしいなんてもんじゃないわ! いままで食べてきたどんな殻よりおいひいっ!」



「ほっほっほっほっ、ほおっ!? た、食べても口の中の水分が奪われないだなんて! 口内がパッサパサにならないだなんて!?」



「だいぶ気に入ったみたいだな。たくさんあるからいっぱい食べるといい」



 ヘルロウは自分が食べるのはそこそこに、すでにカマドで焼いていた魚を取り外し、鬼たちに差し出す。

 彼らは奪い合うようにしてそれを受け取ると、両手で串をもってハグハグしだした。


 ヘルロウ的には、今回の『クラフト』は100点満点ではなかった。

 調味料がなくて味付けできなかなったからだ。


 しかしピンキーとミヅルは喜んでくれたので、それで良しとする。


 食べ盛りの子たちを見守るようなヘルロウ。

 その鼻頭に、不意にぽつりと何かが当たった。



「雨か……。こんな所にまで、落ちてくるもんなんだな」



「はぐっ、はぐはぐっ。シャカ様が降らせてるのよ」



「はぐっ、はっはぐっ。特に火炎系の地獄では、亡者たちにとっては『恵みの雨』とされていますね」



「ただの、シャカの気まぐれだろ」



 ヘルロウが吐き捨てるようにそうつぶやくと、鬼たちはあれほど食らいついて離さなかった魚から口を離し、顔を上げる。

 ふたりとも、ヘルロウを奇妙な動物でも見るかのようであった。



「わぁ……ヘルロウ君って、シャカ様のことを呼び捨てにしてるよね」



 「ああ、それがどうした?」と素っ気なく答えるヘルロウ。



「ほう……シャカ様のお名前が出ると、我らがボスのエンマ様でも震え上がるというのに」



「ねぇ、初めて会った時からずっと気になってたんだけど……。ヘルロウ君って、一体何者なの?」



「ほう……珍しく意識が合いましたね、ピンキー。実は小生もそう思っておりました」



「壊れない供養塔を作って、この河原にいた子たちをみんな天国送りにしちゃうし……。そのうえ、何もないと思ってたこの河原で、火を創り出したうえに、こんな美味しいものまで食べさせてくれるだなんて……」



 越後のちりめん問屋の正体を探るような目つきになる、ピンキーとミヅル。



「なぁに、ただの『人間見習い』さ。……ほら、コイツも焼けたぞ」



 ヘルロウはぶっきらぼうな山男のように答えながら、焼きたての串をカマドから取り上げていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 小一時間後。

 獲った魚はほとんど全て、鬼たちの胃袋におさまっていた。


 ピンキーとミヅルは河原に寝そべり、ぽっこりと膨らんだお腹を横たえていた。

 ふたりとも水着のような格好なので、腹が膨らむとかなり目立つ。



「ふわぁ……こんな幸せな気持ちになったの、初めて……」



 ウットリした表情で、飛び出たおへその上を撫でさするピンキー。



「ほう……これが高位の鬼たちのみが味わえるという『満腹感』というものですか……」



 落ちそうになっているメガネを直そうともせず、ウトウトしているミヅル。


 彼らは今まで、食事で満たされたことなど一度も無かった。

 手のひらに出てくる殻を、空腹をまぎらわせるためだけに口に入れていたのだ。


 それは食事というよりも、燃料補給のようであった。


 しかし、今日初めて知ったのだ。

 美味しいもので自分の中を満たすという、生き物にとっては当たり前である喜びを。


 この世界で誰よりも幸せそうにしているのも、無理はなかろう。


 そしてヘルロウはというと、さしたる感激もなく……。

 彼らの前に立って、手をパンパンと叩いていた。



「おい、休憩は終わりだ。次の作業をするから手伝ってくれ」



 すると鬼たちは、幸せの余韻から離れたくないのか……。

 顔だけを上げて、気だるそうに尋ね返してきた。



「わあ……まだなにか創るつもりなの?」



「ほう……次はなにを見せてくれるというのでしょうか?」



「ここで暮らしていくための活動拠点を作る」



「かつどうきょてん……?」



「米飯の上に、衣を付けて挙げた豚肉を乗せ、熱した卵をかけた食べ物ですよ。地域によっては卵ではなく、『ソース』というものをかけるらしいですが」



「わぁ……それって、おいしいの……?」



「先ほど我々が食した魚に比べれば、取るに足らないものだといえるでしょう」



「それはカツ丼だな。……なんでついさきっき魚を口にしたようなヤツが、カツ丼なんて知ってるんだよ。これから創るのは、家みたいなもんだ」



 そう口にしたところで、ヘルロウはあることに気付いた。



「そういえばお前たちには、家ってあるのか?」



 すると、寝たまま首を左右に振り返された。



「こんな雨の日とかはどうしてるんだ? もしかして雨ざらしで寝てるのか?」



 すると、それが当然であるかのように首を縦に振り返された。


 なんと、彼らは下っ端とはいえ、地獄の獄吏であるはずなのだが……。

 その扱いは、亡者とほとんど変わりがなかった。


 ちなみにではあるが、鬼も雨に濡れると風邪をひくことがある。

 亡者や天使も同様に、風邪もひけば病気にもなる。


 地上にいる、生きとし生けるものとの違いといえば、『死なない』というくらいであった。


 ピンキーとミヅルの置かれている状況を、その地上で例えるとするなら、ホームレスのほうがよっぽどいい暮らしをしていると言えよう。

 ヘルロウは、なんだかしんみりとした気持ちになってしまった。



「そうか……じゃあなおさら家を作らなきゃな。といっても、簡単なやつだが。さぁ、わかったらさっさと起きて、木を集めてきてくれ。落ちている枝だけじゃなく、今度は生えている木ごと必要なんだ。それもありったけな」



 ホームレス高校生のような鬼たちは「「ふわーい」」と返事をして起き上がり、フラフラと散っていく。


 満腹で元気いっぱいになったピンキーは、鬼の力強さを遺憾なく発揮。

 木を根っこごと引っこ抜き、肩に担いで運んできてくれた。


 例によってミヅルは『生えている木』の定義について悩み続け、小さな苗木みたいなのを持って帰っただけだった。



【三途の木】 素材レベル:1

 三途の河原に生えていた、まるごと1本の木。



【苗木】 素材レベル:1

 三途の河原に生えていた苗木。



 ヘルロウはピンキーが持ち帰ってきた木から枝を落とし、その枝を使って、屋根だけの簡単な小屋を作り上げる。



【木のさしかけ小屋】 建物レベル:1

 木の枝で組んだ簡素な小屋。家としての耐久性はない。



 それは、とても家とも呼べるものではなかったが、ひとまずは雨だけはしのげるようになった。

 それに、鬼たちには大好評。



「わあっ……!? 本当にお家ができた……!? わっ、すごいすごい! 中にいると雨に当たらないよ!?」



「ほう……それは、屋根というものがあるからですよ。棒状の木を並べて一枚の板のようにするとは、考えましたね」



「わぁ……! 雨が降るたびにビショ濡れにならなくていいだなんて、ほんとうに素敵……! それにお家のなかに住めるだなんて、夜叉姫様になったみたい……!」



「ほう……きっと今の我々の姿を見たら、同僚の鬼たちはさぞや悔しがるでしょうね」



 初めて蚊帳に入った子供みたいにはしゃぐ彼らを横目に、ヘルロウは黙々と『クラフト』を進める。


 次に、彼が創り上げたのは……。


 そう……!

 【木のツルハシ】っ……!

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