後編

 私はあわてて馬車を飛びだし、来た道を戻った。

 道にアリウスの首は転がっていた。

 血が一滴も出ておらず、ほどけた金髪がもつれたそれは人形の部品のようだった。


 私はアリウスの首を抱きかかえ、顔を見た。首は話すことはできなかったが、返事の代わりにまぶたを一回閉じて、また開いた。

「……人間だったら、死んでる所だ」

「殺人鬼ですから」

 斧を持った男が近づいてきて答えた。何のことはない、という顔をして。


「貴様、何が目的だ!」

 私の問いに殺人鬼は笑ってこう答えた。

「今宵、女王を復活させるためです」

「だからその女王とは何だ!?」

 いつになく私は怒っていた。こいつは吸血鬼ハンターなどよりたちが悪い。目的がよくわからないからだ。


「サクシーズをかつて支配していたのです。彼女は人を惑わす術を心得ており、他の国々の者もおそれておりました」

「聞いたこと無いな……」

「千年以上昔の話です。そちらのアリウス様ならご存じでは?」

 私はアリウスの首を見た。今度はまぶたは動かなかった。

「知らないらしい」

 私は代わりに返事した。


「まあ別に構いません。とにかく女王はやがて神の怒りにふれ、地の底に眠ることとなったのです。しかし女王は必ずや復活を果たし、神に復讐することになるでしょう」

「何故そんなことが言える」

 話が大きいにも程がある。大体、話に神という言葉が出てきた時点でうさんくさい物を感じた。


「私が女王の使者だからです。私は女王の命で人を殺しているのです」

 だめだ。彼は頭がおかしいに違いない。そう判断した私は思いきって馬車の方へ駆けだした。アリウスの体を残してきてしまったからだ。

 殺人鬼は意外にも私を追いかけることはせず、そのまま自分の店の方へと戻っていった。




 アリウスの首を体にのせ、包帯代わりのハンカチを巻いて固定してやるとようやく彼は口を開いた。

「まあ、その気になれば自力で体の方へ戻れたんだがな」

 本当か?

「でもさっきは清隆に抱えられているのが心地良かったからそのままでいたんだ」

 一人で言っていればいい。それよりもこれからどうすればいいか。

「簡単なことだ。もう一度あいつを殺す」

「また生き返ったらどうする?」


 実際のところ、彼は本当に死んでいたのだろうか。あの時は一瞬、心拍が止まっていただけかもしれない。

「今度は血を全て吸って、体をばらばらにしてやろう」

 アリウスは平然と言い放った。普段目立たないようにしている口元の牙がはっきり見えて光った。

 元々彼はこうなのだ。ごく親しい人間以外は何の未練もなく命を奪える。

 だが今彼と対峙している殺人鬼、彼は本当に人間なのだろうか。しかし吸血鬼のような怪物とも何か違う気がする。

「女王の使者……か」

 私はやり場のないため息を吐いた。


「なに、全てただの妄言だ。妄想している限り害はないが、彼は一つ間違いを犯した」

 アリウスは馬車を降り、首のハンカチほどきはじめた。

「俺を騙して血を飲ませようとしたことだ」

 彼の首はすでに傷一つ無く、きれいに身体とつながっていた。




 私たちは再び殺人鬼の店へと向かった。途中で今まで泊まっていたホテルの前を通りかかった。

 もうかなり長い間、サクシーズに滞在しているような気がした。

 ホテルはすでに一階のロビーを除いて明かりが落ちていた。私には昼間の住人たちの寝息が聞こえてくるような気がした。

「……?」

 ふと、少女のことを思い出した。

 そして今更だが、今日少女と話した時、彼女の周りに保護者らしき者の存在が見当たらなかったことを思い出す。

「どうした、清隆?」

「……いや、何でもない」

 彼女は今どうしているのだろうか。少し気になったが、確かめるほどのことでもない。

 そう思って私たちはホテルの前を後にした。




 酒場『蠅の王の教会』に私たちは再び戻ってきた。そこはもはや教会に似せた酒場ではなかった。

「本物の教会だな……」

 アリウスがつぶやいた。だが私はこんな教会は見たことがない。白と紫を中心にした色とりどりの布が飾られた教会なんて。

 布だけではない。様々な飾りがかけられていた。ガラスでできた安っぽい飾りから、学者の喜びそうな古代の装飾品まで雑多にある。

「祭壇に誰か寝ている」

 私はおそるおそる教会の奥へ足を進めた。寝ていたのは先ほど逃げたはずの少年だった。


「良く来てくれました。キヨタカ様、アリウス様」

 また突然殺人鬼が現れた。男は教会の隅に斧を持ってたたずんでいた。

「彼をどうするつもりだ」

 私はいつになく低い声を出していた。男と少年にどのような関係があるのか私は知らない。

 しかし、狂って私たちを追いかけるだけでなく、彼まで危険に晒そうとしていると感じた私は殺人鬼をひどく嫌悪した。


「キヨタカ様、彼を心配しているようですな。しかし彼には今宵、女王の復活を手伝っていただかなくてはならないのです」

「貴様の話など聞く価値無いな!」

 突然アリウスが殺人鬼に飛びかかった。男は斧を構えたが、アリウスはあっさり蹴り飛ばした。

 私は事の顛末を最後まで見届けずに祭壇の少年の元へ駆け寄った。大体どうなるか予想がついたからだ。


 果たして予想通りになった。私が少年を祭壇から下ろしたときにはもう、殺人鬼はその原形をとどめていなかった。

 殺人鬼の持っていた斧は今やアリウスの手の中にあった。彼は殺人鬼を自分のしたいようにしてしまったので、満足しきった顔をしていた。

「これでもう妄言も吐けないだろう」

 そう言ってアリウスは斧に付いた血を拭い、指をなめたが、無意識の行動だったようですぐに唾を吐き捨てた。殺人鬼の血など舐めたくもないということだ。


 私は、この惨状で少年が目覚めたらきっと仰天してしまうに違いない、と思い死体をかたづけようとした。しかしその瞬間、奇妙な事実に気がついた。

 男の死体が教会の中から無くなっていたのだ。

「アリウス……!?」

 床や壁の血痕すら消えていた。ただ血まみれなのはアリウスと彼の持つ斧だけであった。


「何だ、何が起こった?」

 アリウスも私と同じように困惑していた。次の瞬間、私たちは殺人鬼が元通り教会の隅に立っていることに気がついた。

 仰天した。アリウスは仰天を通り越して怒りをあらわにしていたが。

「女王がお二人を求めています。命無き血肉、慈悲無き魂」

 殺人鬼は私たちを、いやもっと遠くの方を見ながらそうつぶやいた。


「復活のために必要だということか?」

 私は殺人鬼に問うた。不思議と冷静に質問できる自分がいた。

「さすがキヨタカ様。物分かりがよろしいですな」

 彼は今となっても一応私たちに敬称を付けて呼んでいる。しかしそこには敬意という物はみじんも感じられなかった。

 殺人鬼はつかつかと祭壇の脇、少年の寝ている方へ進んでゆく。

「彼に近づくな!」

 私は人間には出せない素早い動きで、殺人鬼の前に立ちはだかった。殺人鬼はその様子を見てただ笑うと、私のシャツをひっつかんで思い切り地面にたたきつけた。

「あぐ……っ!」

 人間の力に負けてしまった……いや、こんな力を出せる人間などいるものか。


「清隆!?」

 地面に転がった私を見てアリウスが叫んだ。

「お二人とも静かに願います。出番はじきに来ますから。女王がお目覚めになった、そのとき……」

 アリウスは拳をふるわせながらその場にたたずんでいた。ここで殺人鬼を何度殺しても生き返ってしまう。今のままでは勝てない、と思っていたのだろう。

 私はというと、地面に転がったまま殺人鬼を眺めているしかなかった。悔しいことこの上ない。

 しかし私は起きなかった。その代わり、殺人鬼が後ろを向いた瞬間、彼の足をつかんでやった。

 彼は見事に転び、祭壇の角に頭をぶつけた。


「大丈夫か……?」

 殺人鬼が起き上がってこないのに気づいたアリウスが私に駆け寄る。

 強く叩きつけられはしたが、これと言った怪我はない。なので彼の助けを借りずに起き上がれた。

 起きあがってようやく、私は祭壇に入ったヒビを目にした。

 それから、ヒビから何か煙のような物が出ていることに気がついた。


「何だ?」

 香の煙かと思った。何かのにおいを感じたからだ。

「清隆、見ろ」

 アリウスが気絶している殺人鬼をひっくり返して言った。煙は彼の周りに集まって来ていた。殺人鬼はひたいにけがをしていたが、少しずつ癒えてきていることに気がついた。


「どうやらその煙が彼を生かしているようだな。ということはこのままだと生き返る……」

 アリウスは殺人鬼をまじまじと観察しながらつぶやいた。

 私はそんな物に興味はなかった。なので落ちていた斧を拾い上げ、祭壇をバラバラに砕いた。

「……なんだこれは?」

 私は驚いた。祭壇の下に穴があり、地下へと続く階段があった。

「どうやら煙はこの底から沸いているらしいな」

 アリウスはそう言って私の顔を見た。どうする? と、その顔は問うていた。


 私は迷わず階段を下りはじめた。




 階段はかなり長い間続いていた。地下は地上よりもずっと寒く、湿度も高い気がした。

 やがて降りきると洞窟のような空間が広がっており、その中は淡い、青い光で満たされていた。

「どこかに明かりがあるのだろうか……」

 私のつぶやきを聞いたアリウスが首を振った。しかしそのとき彼は、あることに気がついたらしい。

「誰か寝ているぞ」

 私はアリウスの見ている方向に向いた。そこには誰かが切り出したのか、自然にできたのか、とにかく岩でできた台のような物があった。

 そしてその上で一人の少女が眠っていた。


「彼女は……!」

 私は自分の目を疑った。その寝ている少女は、どう見てもホテルで出会った少女とうり二つだったからだ。

 一瞬、理由は分からないが、アリウスがこっそり少女を連れてきて、台の上に寝かせたのでは、とさえ思った。

 しかし少女の着ている物は昔のサクシーズの女性が来ていたような、長くてゆったりした着物だった。対して私の知る少女は洋服を身にまとっていた。

 それに、よく見ると少女と言うにはやや大人びた女性の顔をしていた。

「彼女が殺人鬼の言うところの『女王』ということか」

 アリウスは興味深そうにその女性を眺めていた。




「結局、彼女は何だったのだろうな」

 今、私たちはサクシーズを遠く離れた王都にいた。あの日とは別のホテルに泊まり、二階の休憩室で休んでいる。今晩隣にいるのは少女ではなく、アリウスだ。

「昔は共同体ごとに霊媒……巫女や聖人として崇められる人がいた。彼ら彼女らはときに神の言葉を聞いて、人々を導く事があるという」

 アリウスらしくない解答だった。彼の言葉に「神」という単語は似合わない。


「……つまり彼女はサクシーズの巫女のような存在だったと? 本当にそんな神の声を聞くものがいるのか?」

 私が尋ねると、アリウスは首を振った。

「いや、俺も流石に見たことないよ。神も神の声を聞くものも。だが昔は我々みたいな怪物がもっと沢山人間の世界に溶け込んでいた」

「怪物? じゃあ彼女は吸血鬼のような何か……?」

「そうじゃないよ、清隆」

 アリウスは苦笑いしながら立ち上がり、窓の外に近づく。

 王都は夜の街も人通りがそこそこある。アリウスは自分に害をなさない多くの人間を眺めているのは比較的好きな様子だった。


「あのとき、煙を見ただろう?」

 外を眺めたままアリウスが話を続けた。

「ああ、あれが何だったのか知っているのか?」

 私の脳裏にはまだあの夜のことがはっきり残っている。


「俺も正確にはわからない。しかし昔似たようなものを見たことがある。あれは煙状の生物なのだ」

「生物!?」

 意外な答えだった。だが、我々のような吸血鬼が存在している以上、煙状の生物がいたっておかしくないのかもしれない。

「ああ。あの煙は人間に寄生し、生命力を吸って生きるが、その人間のもつ知能や体力を引き上げる。一種の共生関係のようなものを作り上げるのだ」

「それが、『神の声』の正体……?」

 考えたこともなかった。


「まあ霊媒の正体が全部が全部そうだとは限らないよ。そう言うケースがあるというだけだ」

 洞窟に眠っていた少女は、たまたまそのケースだったというのか。

「じゃあ彼女は寄生された人間……?」

「だろうな。ただ生きていたかはわからないよ。とても保存状態の良い死体だったかもしれない」

 たしかに、彼女の生死までは確認せずに戻ってきてしまった。触れるのも恐ろしかったからだ。


「とにかく、地下の少女の仮説についてはわかったよ。アリウス、しかし、その煙状の生物がなぜ殺人鬼の傷を癒やしていたりしたんだ?」

「そうだな、これも俺の推測だが……」

 アリウスは少し考え込んで、話し始めた。

「煙状の生物も無限に生きられるわけではない。寄生先の少女も生きているのかわからない状態だ。生きるための生命力が足りなかった」

 そこで、どういう経緯かはわからないが、殺人鬼が少女を発見した。


「殺人鬼……そのときは殺人鬼か分からないがね。そいつを煙状の生物が操って、生命力の強い者を集めて回復しようと企んだのだろう」

「わからないな。殺人鬼に取り付いてずっと行動すれば安全なのに」

 私がそう言うと、アリウスはそうだな、と頷いた。

「だが、彼は老いている。いずれ寿命が来ては同じことの繰り返しだ。そのため力を蓄えようと若い人間を集めて生命力を一気に吸収しようとしていた。だがそこに我々がやってきて予定を変えた」

「ああ……!」

 私はようやく殺人鬼の行動が腑に落ちてきた。

 人間より強い吸血鬼の生命力を吸収し、生きながらえようとしていた。それが殺人鬼のいうところの『女王の復活』だったのだ。もっとも、殺人鬼がそのことを分かっていたとは思えないが。


「戻ってきた時、少年を祭壇に寝かせていたのは……」

「我々をおびき寄せようとしたのもあるだろうが、殺人鬼を蘇らせることで生命力が足りなくなったのだろうな。だが結局、計画を達成する前に寄生生物の寿命が来た……」

 私たちが地上に戻ってきたとき、煙は出なくなっていた。そして、殺人鬼は永久に生き返らなかったのだ。


「……というのが今回の事件について俺の推測だよ。まあどこまで正解かわからないがな」

「もうどうだっていいさ。無事に逃げることができたのだから」

 私が最後投げやりにいうと、アリウスは「そうか」と、力なく笑って一階へと下りていった。月でも眺めながら、これまでのこと自分なりに整理したいのだろう。


 私はいまだ休憩室のソファにもたれかかっている。しかしその思いははるか砂漠を越えて、サクシーズの町へと向かっていた。

『蠅の王の教会』にはもう誰もいない。殺人鬼は死んで、少年は逃げたからだ。

 しかしその地下には今でも女王が眠っている。いや、生きているのかは定かではないが。

 いくら保存状態が良くても死体ならば、いつかは朽ちてしまうのだろう。

「生きていない少女、だと……?」

 私はそこで、ホテルで出会った少女のことを思い出した。

 あの時語りかけてきた少女は、実は生きていなかったのだろうか。地下に眠る少女の幽霊だったとしたら……?


「ばからしい」

 そこまで考えて私は首を振った。自分で言うのも何だが、幽霊なんているものか。

 しかし、煙状の生物がいるなら案外幽霊もいるのだろうか。

 考えてみても答えは出そうにない。私はアリウスほど長生きでないので、普通に現代の人間と同じ程度の知識しかない。

 そして、そのアリウスでさえも、世界のすべてを分かっているわけではないのだ。

「まあ、時々思い出して考えていれば、いずれ分かるのかもしれないな」

 私たちの時間は十分にあるのだから。

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吸血鬼とサクシーズに眠る女王 青猫格子 @aoneko54

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