吸血鬼とサクシーズに眠る女王

青猫格子

前編

「窓から見える? あの人。彼は殺人鬼なの」

「殺人鬼?」

 私は少女の唐突な発言に驚いた。




 私とアリウスは二人で砂漠の国アルメディーヤ王国を旅していた。

 目的地の王都へ行く途中、昔ながらの風景が残るサクシーズという町に泊まっていたのである。


 町の一番大きなホテルに泊まることにし、フロントに食事は不要なことと、連泊するので掃除は必要ないことを伝えた。

 夜に着いてそのまま眠り、目が覚めた時は昼もだいぶ過ぎていた。

 季節は冬だった。もうすぐ外は暗くなるだろう。


 アリウスはというと、まだベッドで寝ている。おそらく暗くなるまで目覚めないだろう。

 私は彼と食事へ行こうと思ったので、服を着てホテルのロビーで時間をつぶすことにした。




 そのような経緯で、ホテルのロビーで新聞を読んでいたところ、見知らぬ少女に突然話しかけられたのである。

「殺人鬼?」

「そう。みんなそう呼んでるわ」

 少女は10代前半くらいで、ヨーロッパ系の旅行者の子供のようだった。

 そんな彼女が、なぜ私に話しかけてきたのかは分からない。しかも、外にいる人物を殺人鬼呼ばわりしている。

 唐突すぎる事態に私は面食らって間抜けな顔をしていたと思う。


 ホテルの窓の外には人物は一人しかいない。ということは彼が該当者だ。

 落ち着いた色のスーツを着ている老人に近い男で、ぱっと見た感じでは営業員のようなビジネスマンに見える。

 誰かを待っているのだろうか、時々懐中時計を眺めていたりする。


 少女は窓の外に目を向けたまま、私の向かいの椅子に座り話を続けた。

「……ほんとうに人を殺したことがあるのかは分からない」

「では、何故……」

 殺人したのか分からないのに殺人鬼だなんて。顔ははっきり見えなかったが、そこまで人相が悪いとも思えなかった。


「殺人鬼は酒場を開いてるの。『蠅の王の教会』っていう。おとなの人は気味悪がってる」

 男は酒場の店主のようには見えなかったので意外に思えた。

 そして『蝿の王の教会』というのも酒場の名前には全く思えないので、ますます奇妙なことに思える。


 要するに、あの男は悪魔崇拝者を気取っているということなのだろうか。それでもまだ殺人鬼と呼ぶべきではない気がする。

「清隆」

 ふと廊下の方から声がした。振り向くと見慣れた男がいた。


 上下ワインレッドのスーツ、丸い眼鏡、肩まで伸びた金髪が柔らかくウェーブを描いている。

「アリウス、まだ日は落ちたばかりだが」

 私が答えると、アリウスが首を振り、柔らかい金髪が揺れた。

「まぁそういうな。客が来ている。こんな異国ではめったにないことだ」

「客?」

 それが誰か薄々感づいてはいたが、行くことにした。私は少女に別れを告げ、アリウスと共にフロントへと向かう。




 ホテルのフロント前で待っていたのはやはり、少女のいうところの「殺人鬼」であった。

「はじめまして」

 男はそう言って手を差し出した。ごく普通の挨拶である。はるか遠くの国からわざわざこのサクシーズの町までやって来て下さり云々。


「わざわざご挨拶ありがとうございます。長尾清隆ながおきよたかです」

「アリウスだ」

 私たちも男に自己紹介をする。

 男はどうやって私たちが町に来たのを知ったのか不思議だったが、どうやらこの町を訪れる海外からの旅行者は少なく、昨日の夜にホテルへ向かう馬車を見かけて挨拶に来たのだという。

 やはり見た目のように営業員のような男に見えた。少女の話はどこまで本当なのだろう?


「お二人には是非、私の酒場へ来ていただきたいのです。『蠅の王の教会』という名前でしてね」

「ほお……」

 アリウスが面白そうな顔をする。彼の丸い眼鏡が一瞬、光ったような気がした。

 私は名前の趣味もよくわからない酒場に興味はなかったが、アリウスは興味を持ったらしい。

 正直、彼の興味を持つ対象は私にもよくわからない。


「清隆、俺は行きたいと思うんだが、どうだ?」

「構いませんよ」

 私はあっさり同意した。しばらく都合でサクシーズの町に泊まるが、特別な用事はない。

 それに、たとえ殺人鬼と言えど、私たちにとって脅威ではない。そう思っていたからだ。




 私たちは食事を早めに済ませ、殺人鬼の店へ向かった。途中アリウスに少女の話を聞かせたが、私と同じで特に心配していない様子だった。

 サクシーズの町並みは昔ながらの建物が多い。その多くは日干しレンガでできている。

 昼間は通りに多くの露店が立っているようだが、今は人通りも少ない。

 そんな中、彼の店はあった。

「あれだろう」

 アリウスがつぶやいた。外から見た感じ、教会とか神秘的な雰囲気はない。看板すら出ていなかった。

 殺人鬼に住所を教えてもらっていなければ店と分からなかっただろう。




 中に入ると、うすぼんやりとした明かりがともっている。

 店の中はそこまで広くないが、なるほど確かに教会かもしれない。

 長い椅子が並べられており、祭壇らしきものがある。

 しかし、祭壇にも周りにも宗教的な装飾は何もなく、非常に質素な室内だった。酒場という雰囲気もなかった。

 何かの集会所といったほうが近いだろう。


「もっと悪趣味なものを期待していたんだがね……」

 アリウスが小さな声でそっと漏らした。そのとき『殺人鬼』が店内に入ってきた。

 殺人鬼の隣には少年がいた。アルメディーヤの普段着を着ている。若いが店員だろうか。


「異国の方。早速お越し下さりありがとうございます。ささ、お座りください」

 殺人鬼は祭壇の近くに立ち、私たちは少年に追い立てられるように祭壇の前、左側の席に座った。


「何を注文なさいますか?」

「御主人、先にメニューを見せてほしいのだが」

 私がそう言うと殺人鬼は首をふった。

「それがこの店に唯一無い物です。それ以外なら何でもありますよ。どうぞ遠慮せずおっしゃって下さい」

「ではワインを」

 アリウスが右手を小さく挙げていうと、殺人鬼は少年に何か合図した。すると、少年は頷いて店の奥にある厨房らしき部屋へと消えていった。

 しばらくすると少年が戻ってきた。少年の手には酒瓶とグラスの載った盆がある。


 少年と目が合う。私は妙だなと思った。

 感情を押し殺している様子なのだ。何かに怯えているが、それを隠している。

 だが次の瞬間、少年は私達に向かってニコリと笑った。

「この地では貴重な、上質なワインです」

 アリウスはワインが好きだった。といっても私は彼が飲んだところを見たことはなかった。


(どうするんだ、本当に来たぞ。飲むのか?)

 私は少年に聞き取られないくらい小さな声でアリウスを責め立てた。この店には卓がないため、少年は盆を持って私たちの隣に立っている。

「ありがとう少年。これは祝儀代わりだよ」

 アリウスは私の問いかけは無視し、少年に自分のはめていた指輪を一つ渡していた。そして受け取ったグラスを傾け、香りを味わっている……はずだったが、何か妙な点に気づいたようだ。


「御主人」

 アリウスはグラスから顔を離して、祭壇の方にいた殺人鬼を見た。その目に先ほどまでの、状況を楽しむゆとりはなかった。

「これが出る店を俺は知らないが、あっていいものではない」

 少年は明らかに怯えていた。アリウスは急に立ち上がり酒瓶を盆からはたき落とした。その途端、私はその中身が血であることに気がついた。


 私は驚いて立ち上がり、厨房の方を見た。

 扉はなく、間仕切りの布が垂れ下がっていたが、下の方から誰かが地面に座らされているのが見えた。

 顔は見えないが、少年と同じくらいの……おそらく少年が壁に拘束されている。

 壁に拘束された少年の腕からは血が流れ、皮膚の色は青白い。

 血を抜かれて貧血になっていると思われた。


「おや、どうしましたか?」

 しかし殺人鬼はこの異常な事態に平然としたままだった。

「はっ、成る程。殺人鬼か。確かにそうに違いない」

 アリウスは殺人鬼をものすごい剣幕で睨んだ。床には瓶からこぼれた血が広がっている。

「いいましたよ。ここには何でもあると」


「ワインと称して血が出てくる酒場がどこにある!」

「ですが、あなた様の飲めるものはそれだけでしょう? いや、他のものも飲めるのかもしれませんが、栄養を取れるのは血だけのはずです」

 アリウスと私は顔を見合わせた。

(彼は私たちの正体を知っている……)

 どちらともなくそう感じていた。

「……吸血鬼ハンターか」

 私の推測を殺人鬼は笑って否定した。


「そんな低俗な連中と一緒にしないで下さい。私はただの殺人鬼です。私の殺した者の血は女王の元へ行き、糧となるのです」

「女王?」

 私は問い返したが、答えが出る前にアリウスが前に出た。

「清隆、構うな。こいつは少々イカれている」

 アリウスは一歩、また一歩と殺人鬼に近寄ってゆく。薄暗い部屋でアリウスの表情はよく見えなかったが、眼鏡の奥の瞳は怒りの感情に支配されているのが分かった。

「……殺人鬼と言えど人間に変わりない。人間にここまで侮辱されたのは初めてだ」

 普通の人ならばこんなに怒ったアリウスを前にしていられない。しかし殺人鬼は表情ひとつ変えなかった。

「本当にそう思っているのですか。人間と変わりないと」

「黙れ!」

 アリウスは殺人鬼を思いきり蹴り上げた。男は蹴りをまともにくらって、空中に弧を描き、そのまま入り口側の壁に強く頭をぶつけた。天井からぱらぱらと埃が落ちる。

「うわあああっ!」

 震えていたウェイターの少年が叫び声を上げ、店の外へと逃げた。

 しかし、アリウスも私も少年を追うつもりはなかった。


「死んだか」

 アリウスが倒れている男を確認した。倒れた男は頭から血を流し、息をしてしなかった。

 アリウスの表情はいつものようなおだやかなものに戻っていた。

「町を出た方がいい。少年が誰かに話すかもしれない。何より『殺人鬼』が死んだとなれば大騒ぎになるに違いない」

 私がそう言うとアリウスは無言で頷き、店の外へ向かった。

 殺人鬼が出した血の主についてそれ以上確認はしなかった。逃げた少年の関係者だったのだろうか。そして殺人鬼に脅されて血を提供していたのか……まだ生きているのか……?

 しかし謎が多すぎて、時間の無駄だと感じていた。




 ホテルに戻り馬車を呼んでもらうことにした。ロビーで待っていても良かったのだが落ち着かず、私たちは入り口付近の外でうろうろしていた。

 彼は何者だったのだろうか。ほんとに頭のおかしいただの人間だったのか。女王とは……?


「考えるな、清隆。狂人のことばかり考えていると自らも狂気に侵される」

 アリウスは私の考えていることが分かるらしい。とはいえ彼も全く気がかりでない訳ではなさそうだ。

 なんだか後味の悪い一日だった。しかしその原因たる殺人鬼はすでにこの世にいない。

「馬車が来るぞ」

 アリウスが嬉しそうに声を上げた。




 この国に馬車で走れる道はそう多くない。主要街道を使って王都へ向かうのがよいだろう、と私たちは事前に決めていた。

 あと少しでサクシーズの町境というとき、思いもよらぬ事件が起こった。

 私はそのとき、馬車の窓から手が入ってくるのを見てしまったのだ。

「アリウス! 手が……!」

「なんだ、な……」

 言いきらないうちに手はアリウスの金髪をつかみ頭を窓の外まで引っ張り出してしまった。


「止めろ! 上に誰かいるぞ」

 私は御者にそう大声で叫んだあと反対の窓から上半身を出した。


 馬車の上にいたのは死んだはずの殺人鬼であった。

「またお会いしましたね」

 そう言ってほほえむ彼の脇には大きな斧が携えられていた。反対側の腕にはアリウスの体を抱えている。

「何をする!」

「足止めです。あなた方はまだこの町にいなくてはなりません」

 そう言うと一瞬アリウスの方を見て、再びこちらを向いた。

「いいのですか? お連れの方を放っておいて」

 その言葉で私はあわてて殺人鬼に飛びつき、アリウスの体を引っ張った。殺人鬼の力は普通の人間とそう変わらないようで、すぐに彼は手を離した。

「……っ!」

 アリウスが無言なのもうなずける。すっかり首から上が無かったのだ。

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