第6話


 ビクトールがオルフィナを伴って壇上に上がる。招待客には事前にこのパーティーは二人の婚約発表の場であることが知らされており、盛大に祝福の拍手が巻き起こる。

 オルフィナもそれを信じ切っており、上気した顔で隣に立つ男を見上げる。

 拍手が鳴りやみ、ビクトールがいつもの爽やかな笑顔で出席者たちに挨拶をする。


「こんなに大勢の方に集まってもらえて嬉しく思う」

 軽やかな声からは、これから起こる悲劇は全く想像できない。

「我々の進む道を祝福するかのように、月もなく、漆黒の闇となりました。今夜共に、輝かしい未来へ歩もう」


 そしてオルフィナの顔を見る。挨拶の内容に違和感を感じていた者も、彼女に口づけをするのだと思って沸き上がった。


 しかし口づけはなかった。


 代わりに、胸に黒い刀身の短剣が突き立てられる。

 純白のドレスにみるみる赤い血の色が広がる―――ことはなかった。

 黒い刀身が赤に染まっていく。オルフィナの血を吸い込んでいく。そして刀身全体が赤く満たされたときに、魔法力が解放される。


 星光屑スターライトダスト。光の魔力を闇の魔力に変質させる闇の宝具。


 オルフィナの強い光の魔法力を吸収した宝具の力はそれだけにとどまらず、周囲にいる人々の魔法力と生命力を吸収し、闇の魔法力に変換する。今、別邸にいる者の多くはレーデラック魔法学園の生徒たち、つまり、魔法力と生命力に溢れたものたちである。膨大な闇の魔法力を手に入れたビクトールはレーデラック帝国の掌握に向かう。

 恐ろしい計画であった。

 しかしそのたくらみは、ビクトールのかつての婚約者によって阻まれる。


 オルフィナに向けられたはずの短剣は、間際に飛び込んで来たカミーラの胸に突き刺さった。


「なんでお前がこんなところに!なぜ邪魔をする!」


 引き抜かれた短剣が再びオルフィナを襲うが、それにもカミーラが盾になる。

 怒りに駆られたビクトールは何度もカミーラを突き刺す。

 ようやく我に返った者たちがビクトールを止めに入り、血にまみれたカミーラは崩れ落ちる。

 それは、ショックで座り込んだオルフィナの膝の上だった。


「どうして、こんなことを」

 呆然と呟きながら見降ろしてくるオルフィナに、カミーラは最後の力を振り絞って微笑む。


「こんな形でしか謝れない私を許して。愛おしいオルフィナ


 その言葉に全てを悟ったオルフィナは、悲しみのあまり光の魔法を爆発させる。


 それがこれからここで起こるはずのことだ。

 光の魔法によってビクトールは正気に返り、帝国の転覆を企てていた闇の組織は壊滅させられる。

 帝国は平和を取り戻すが、そこにカミーラの姿はない。

 カミーラは悪役令嬢ではなく、国を救った聖人となるが、命を落とすのだ。


 なんでこんな大事なことを今まで忘れていたのだろうか。


 私はこれから死ぬのだ。


 いや、違う。


 もう死んでいるんだ。


 私はトラックに引かれて死んだんだ。

 そんな大事なことから目を逸らして、異世界に来た、ゲームの世界に来た、魔法の世界だと、浮かれて、喜んで、はしゃいでいたのだ。

 そんなことだから、ゲームの世界に来てまでまた死ぬことになるのだ。


 主役ではなくて、悪役令嬢なのだ。


『ふざけたことを言わないでください』

 私の中でカミーラがギリギリと歯を鳴らす。強張っていた身体がぎしぎしと軋みを上げながら動き始める。壇上へ向かって進み始める。


『私は死んでいませんし、死ぬつもりもありません』


「でも、あそこに行ったら死ぬんや」


『それはあなたのゲームの世界の話でしょう。ここは私が生きて来た世界です。悪役だと思われるような生き方だったとしても、今まで必死で生きてきたのです。私が生きるか死ぬかは、私の行動が決めるのです」


 トンカチで頭を殴られた気がした。

 熱中してプレイしていたが、ゲームの世界はあくまでも異世界だ。趣味や娯楽として楽しむ世界だ。

 ここで生きてきたカミーラとは重さが全然違う。


 しかも親が立ててくれた家に住み、親が作ってくれたご飯を食べ、学校に行って適当に授業を受けて、友達と他愛もない話をし、ゲームで遊ぶ。そんな生活を送って来た私とカミーラでは、人生の濃さが違う。

 伯爵令嬢として産まれた彼女は、金銭的には恵まれていただろうが、その身分に見合っただけの教養や立ち振る舞いを求められ、更には皇子の婚約者として、未来の皇妃としての品位が求められ続けてきたのだ。

 そのために涙ぐましい努力をしてきた。ゲームの中では出てこなかったけれども、彼女はずっと努力をしてきて、ここに立っているのだ。


 私とは人生に対する覚悟が違う。

 その違いが、まだ動くことができない私の足を無理やりに動かす。


「でも、でも、どうするんや。ビクトールとオルフィナの周りにはたくさん人がおる。あんなところまでどうやって辿りつくんや」


『それこそ、あなたのゲームではあそこまで辿りついたのでしょう。それなら、私たちにだって辿りつけるはずですわ』


「辿りついても刺されるんや」


『でしたら、刺される前に刺しましょう』


 カミーラはきっぱりと言って、優しく微笑む。


『雫さん、私はあなたに感謝しているんです』


「感謝……?なんで?私、全然役にたってない」


 私がこの世界に来てからやったことは、アイザックの弱点を教えた、それだけだ。ゲームの設定も色々教えたけれども、ここまで来るのには何も役立っていない。これから起こるはずの悲劇を打ち破る方法も知らない。アイザックだって、カミーラなら一人でも突破したに違いない。


『二人でここまで来たのよ』


 カミーラは、二人、に力を入れて言った。


『私はあなたに勇気づけられたの。捕らえられて、監禁されて、オルフィナに何か悪いことが降りかかろうとしているのにそれが何かは分からない。この別邸に来たのだって、当てがあったわけではないわ。できることがこれだけしかないから、ガムシャラに進んで来ただけ。本当は不安しかなかった。でも、あなたがいてくれて、道を示してくれたから、オルフィナを救うことができると教えてくれたから、私はここまで来ることができたの。あなたがいなければ、私たちはここに立っていませんわ』


 大広間の方でざわめきが起こる。時計を見ると、長針が真上を指すまであと一目盛りになっていた。


『行きますわよ』


 決意のこもったカミーラの声に右手を見ると、いつの間にか短剣を握っていてびっくりする。


「なにこれ?」


『護身用の短剣を持つのは、令嬢として普通のことでしょう』


 きっと私は今、物凄く悪役令嬢っぽい顔をしているんだろうなって思い、自然に口角が上がった。


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