第5話


 豪奢な造りの別邸の周囲は兵士たちに取り囲まれており、侵入する余地はないように見えた。


『どうするの?』


「こちらです」

 雫の質問に自然に返事をするようになってしまっているのに気が付いた。独り言を呟いているようで少し嫌な気分になる一方、少し楽しく感じ始めてもいる。


 別邸から少し離れた場所に石で作られた柱が建てられている。表面に樹々の中で戯れる女神の姿が掘られている。しゃがんで基部のブロックの一つに手をかけて力をこめると外すことができる。中に隠されていたレバーを倒すと、石柱の前の床がゆっくりと動き、地下へと降りる階段が現れた。


『こんな隠し通路があったんや。ゲームには出てこんかった』雫は驚いている。


「ゲームではどうやって侵入したのですか?」


 かがり火から拝借した松明を照らしながら階段を下りていく。しばらくすると平坦な通路に出た。


『分からんねん。ゲームではカミーラは王都で捕らえられているって情報だけがあって、オルフィナがビクトールに刺される瞬間に現れて、オルフィナを救うの。どうやってそこまで来たかの説明は全然なかった』


「そう。だったら、私はどうやってオルフィナを救うの?」


「誰が誰を救うですって」


 声と共に、松明の光の中に一人の人物が現れた。


「……どうしてあながたここに?」


「ビクトール皇子に頼まれたんですよ。あなたがここを通るかもしれないからそれを阻止して欲しいと。こんなところで女性を待つなんて僕の趣味じゃありませんが、皇子の頼みでは仕方がありません。しかも本当にあなたが来た。待ったかいがありました」


 そう言って、一直線に切り揃えられた前髪の下にある眼鏡のつるを右手の中指でチョンッと持ち上げた。


『眼鏡生徒会長来たー!!』

 さすがに雫のテンション爆上げにも慣れて来た。


 アイザック・ドール。成績優秀、誰にでも優しく人道的、教師からの信頼も厚く、下級貴族の出身ながら生徒会長を務めている。

 しかしアイザックの攻略ルートではそれらは全て表向きの顔で、裏では構内で麻薬売買を行っていることが明かされる。オルフィナの頑張りによって更生し、二人は結ばれる。

 ちなみにアイザックルートでのカミーラは、麻薬を使ってオルフィナを罠に賭けようとするが、逆に自分が薬物中毒になってしまい、病院に送られてしまう。


「私って本当にろくなことをしていませんのね」雫から送られてきた情報に頭が痛くなって眉を顰めるが、アイザックにはそれを自分に向けたものだと取られてしまう。


「そんなに睨まないでください。僕もあなたと争うのは本意ではない。そのまま回れ右をして帰ってくだされば何もしません。命じられているのはこの道を通さないことであって、捕まえることではありませんからね」


「私は急いでいるのよ」


 デニスのために足止めを受けてしまった。時間はもうほとんどない。


「そうであれば、すぐにこの道を戻られた方が良い。それとも、」


 アイザックは右手を掲げながらにやりと笑う。


「僕を倒して進みますか?」


 アイザックは武闘派ではないが、能力に秀でた者が集まる魔法学園で生徒会長を務めるだけあって、運動能力は低くない。将来の皇妃として特別な護身術のトレーニングを受けているカミーラであれば勝てるかもしれないが、簡単ではない。

 魔法の力は同程度だったはずだが、こちらが風の魔法なのに対し、アイザックは土の魔法の使い手だ。風は土に対して相性が悪い。しかもここは土の魔法に有利な石に囲まれた地下通路だ。風はほとんど吹いていないので、魔法対決では勝ち目がない。


 そもそもアイザックは私と闘う必要はない。魔法でこの通路を塞いでしまえば良いのだ。それを実行しないのは、もし私がビクトールに勝った場合に、私と敵対したという事実を残さないためだ。この男はそこまで頭が回るのだ。


『大丈夫。私はあいつの弱点を知ってる』


 次の手を決めかねていると、雫が意外なことを言ってきた。


「弱点?」アイザックとはそれなりの付き合いがあるが、この場を覆せるほどの弱点は知らない。


『良いから私の言うとおりにして』


 雫から伝えられた作戦は俄かには信じられないものだったが、時間がない今はそれが上手くいく可能性に賭けるしかない。

 右手を前に出し、魔法の詠唱を開始する。


「やれやれ、僕は止めましたよ」


 呆れたように言うアイザックはあくまでも自分からは手を出してこない。彼は私を倒す必要はない。私の攻撃を全て受けきるだけで勝ちになるのだから当然だ。

 かまわずに詠唱を続ける。全ての魔法がその法則にしたがうわけではないが、基本的に高度な魔法はそれに比例して長い詠唱を必要とする。私が使える中で一番高度な魔法を、できるだけゆっくりと詠唱する。高度な魔法には詠唱だけではなく、魔法力も大きく必要とする。

 風のないところで高度な風の魔法を使おうとすればより多くの魔法力を必要とする。私は奪われていく魔法力に顔をゆがめるが、それに反してアイザックは愉悦の笑みを浮かべている。この私の渾身の魔法を受けきれると確信しているのだ。


 そしてその予想は正しい。

 正しいからこそ余裕が生まれ、余裕は隙を生じさせる。

 隙があるから、私の、私たちの作戦に気が付かない。


「う、うわあああ、止めろ止めろ、止めてくれ」

 アイザックは突然悲鳴を上げてしゃがみこんだ。


「見ないでー、見ないでくれー」


『今っ!』


 アイザックのあまりの変貌ぶりに驚いて動きを止めてしまったが、雫の声で我に返ると、詠唱を止め、パニック状態になってしゃがみこんでいるアイザックの横を駆け抜けた。


『作戦成功!』雫が歓喜の声を上げる。


「どうなっているんですか?」


『あいつは髪形を乱されるんが大嫌いやねん。大嫌いって言うか、乱されるとパニックになる』


「髪型だけで、あんなことになるんですか?」


『実際に見たやろ』


 雫の作戦は、アイザックの髪形を乱せと言うものだった。それだけであれば大した魔法は必要ない。しかし、その魔法を放ったことを気付かれてはならない。

 だから私は小さな風の渦を放った後すぐに高度な魔法の詠唱を始めることによって、最初の魔法を放っていないかのように見せかけたのだ。ゆっくりと魔法の詠唱を続けることによって、アイザックはそれに受ける準備をする。その間に小さな風の渦はゆっくりと進み、彼の髪に直撃したのだ。

 確かにアイザックの髪はいつもキレイに整えられていた。しかし、そこまでの拘りがあるとは知らなかった。


 悲鳴を背中で聞きながら通路を走り、何度か角を曲がった後に現れた階段を上る。先ほどの下りよりも長いのは、出口は別宅の二階にあるからだ。

 隠し扉のある部屋は幸いにも使用されていなかった。部屋の外に出る前に大きな鏡で自分の姿を確認する。

 走って汗をかいたので化粧が落ち、顔はボロボロ、髪のセットもゆるゆるだ。ドレスは埃まみれで、ほつれも何か所か見える。こんな姿で人前に出るなんて耐えられないことだが、急がなければオルフィナの命が失われる。


 意を決して部屋の外に滑り出る。


 別邸は一階吹き抜けの大広間があり、二階には吹き抜けを囲むように廊下がある。私はその廊下に立ち、大勢の人で賑わっている大広間を見降ろした。ゲームで見た通りの光景、らしい。

 時計を見ると八時三分前。ギリギリ間に合った。


「雫さん、どうやったらオルフィナを救えるのか教えてちょうだい」


 僅かな間の後、答えが返って来た。


『ごめん、たった今思い出した』


 躊躇いながら、答えは続く。


『カミーラは、私は、オルフィナを庇って刺されて……死ぬ』

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