第3話


「恋愛シミュレーションゲーム?」


『テレビもないんだし、ゲームなんかないよね』


「ゲームはありますけど、恋愛シミュレーションゲームも魔法でABCも知りませんわ」


 建物の外に出ると、幸いにも雲が月を隠しており、周囲は闇に覆われていた。パーティーはこの建物ではなく、庭園の向こうにある別邸で開催されている。

 皇子も参加しているパーティーなので庭園には警護の兵士が立っているが、皇子の婚約者として幼いころからここで遊んでいた私にとっては、言葉通りに庭のようなものだ。植木や石像の陰に隠れながら、遠くに見える光の方に進んでいく。


 この庭園はかなり広い。普通に歩けば別邸まで十五分ぐらいかかる。

 ドレスを着てハイヒールで、道ではなく植え込みの中を、しかも兵士に見つからないように進まなければならない。小走りであるが、歩くのと同じぐらい時間がかかってしまうだろう。

 だからと言って急いで兵士に見つかれば全てが水の泡だ。慎重に進みながら、頭の中では雫と情報を整理する。



 この世界は雫の世界にある恋愛シミュレーションゲーム「魔法 de A・B・C」と同じ、近世ヨーロッパっぽい世界らしい。先ほどから「この背景見たことある!あそこの噴水で溺れかけたのよね!変な石像って思ってたけど、本当に変な石像?これってなんて動物なの?」とうるさい。


 自分の世界がゲームの中の世界だと言われるのは、前世の記憶が甦るとの同じぐらい俄かには受け入れられないし、腹立たしくもある。けれども、「その気持ちは分かるけど、ここがゲームの世界と同じだってことは、私がいた世界も誰かのゲームの世界と同じかもしれないってことやろ。あんたは気が付いたからここがゲームの世界だって分かっているけど、転んで頭を打たなかったら、今でも本当の世界だって思って生きているんやろ。ここが本当の世界かどうかなんて、神様やなかったら分からんってことや。もっと言えば、神様だってゲームキャラの一人にすぎないかもしれない」などと、意外にも達観したことを聞かされて、今はそれで納得することにした。


 魔法 de A・B・Cの主役はオルフィナらしい。平民であるにも関わらず、光の魔法の力を持った彼女は特別にレーデラック魔法学園への入学を許される。そして、学園生活を送る間に出会う様々な男性の中から意中の人を選び、恋仲となり、恋愛のABCを体験して、結ばれるように進めていくゲームらしい。

 ゲームなので、簡単に結ばれることはない。様々な障害が彼女に降りかかる。その障害の一つが、悪役令嬢カミーラ・マルコリーニだ。


「だからなんで私が悪役なんですの」


『ゲームやん。ゲームの設定でそう決まっていることやからどうしようもない。この世界にある物語にやって、そういう役回りのキャラがおるやろ』


「それはいますけれども。でも、私は婚約者であるビクトール皇子を取られたりすることもあるのでしょう。むしろ私は被害者で、オルフィナが悪役ではありませんか」


『それは主人公補正ってやつ!』


「主人公補正……」


 また知らない単語が出てきたが、次の瞬間には雫の記憶で補填されて納得させられてしまう。

 主人公が行うことは全て正義であり、それに相対(あいたい)する者は全て悪なのだ。悪役令嬢として設定されたカミーラ・マルコリーニが行うことは、全て悪なのだ。


 オルフィナの意中の相手によってストーリーは分岐し、異なる未来が用意されているが、どの未来ルートに入っても、カミーラには悲惨な出来事が降りかかるらしい。

 反逆者として処刑されたり、国外追放になったり、勘当されて平民に落ちたり、タコに凌辱されたりする。


「タコに凌辱ってどういうことですの!タコって足がいっぱいあってヌルヌルして吸盤がある生き物でしょう。なんで私がそんなものに凌辱されるんですか!」


『ビジュアルがえるからかな』


「ビジュアルがえる」次の瞬間に送り込まれてきた映像に悲鳴を上げ、即刻記憶から抹殺する。


 この人はなんて恐ろしいゲームで遊んでいるのでしょう。


『でも、ビクトール闇落ちルートってことは、唯一カミーラが悪役ではないストーリーよ。カミーラとオルフィナは血の繋がった姉妹で、カミーラだけがそれを知っている。闇落ちしたビクトールや彼を闇落ちさせた闇の勢力はこの国を亡ぼすために強い光の魔法力を持つオルフィナを狙うんだけど、それを阻止するために、カミーラはオルフィナに対してわざと冷たい態度を取って、闇の勢力から遠ざけていた』


「その通りです」それは私の記憶と一致している。


『カミーラが邪魔になったビクトールは第二皇子のデニスに命令して、カミーラを捕えさせ、拘束させる。そして、今夜この離宮でオルフィナを殺すことによって闇の魔法力を解放し、この国を亡ぼす』


「オルフィナは殺されますの?」その様子を想像して心の中の声が震える。


『大丈夫。カミーラが邪魔するから失敗するんや。それをきっかけにオルフィナが光の魔法力を解放させて、ビクトールを浄化させて、国内に潜んでいた闇の勢力を露わにして、皆で力を合わせて闇を打ち滅ぼすの』


「では、タコに凌辱されずに済むのですね」


『凌辱はされないけど……、あれ?このルートではカミーラはどうなるんやったかな?』


「ちょっと、しっかりしてください。自分のことでしょう」


『だって悪役令嬢になるなんて思っていなかったんやもん。悪役令嬢なんてどうせ酷い目に会うんやろって思ってたし、このルートはあんまり好きじゃないからはっきりと覚えてないんよねー』


「はぁ……。とにかく、私がオルフィナを救わなくてはならないのは変わらないということですね」


『そういうこと』


 雫はあくまでも呑気だ。


「ところで、もう一つ確認しておきたいことがあります」


『なに?』


「あなたはどうしてこの世界に来て、私と意識を共有されているのですか?」


『おお、ついにそこに気が付きましたか』


「頭の中に突然もう一つの人格が芽生えたら、誰でも気になると思いますわよ」


『そうやんな……』


 ここまでうるさいぐらいに饒舌だった雫が初めて言い淀んだ。


「む」


 それが気になったからでもないが、ドレスの裾を植木の枝に引っ掛けてしまった。


『今の私は世に言う異世界転生ってやつやと思うけど、その原理は良く分からん。よくあるのはトラックに引かれたショックで死んで、別の世界で前世の記憶を持ったまま産まれるの。産まれた時から記憶を持っていることもあるし、何かをきっかけに記憶を取り戻すこともある』


 私たちの場合は、先ほど頭を打ったのがきっかけだったということだろう。暗がりの中で裾を強く引くが、なかなか取れない。


『こっちに来る前に、眩しい光がこっちに近づいてきたような気がするねん。あれはトラックのヘッドライトやったんやな。そっか、私死んだんか』


 ポツリとこぼれてきた言葉に胸が痛む。


『しかも転生先が悪役令嬢だなんてついてないわ』


「あなたという人は……」一瞬でも同情したことを後悔する。なかなか外れない枝が苛立ちを増幅させ、手元が乱暴になってしまう。


『ちょっと待って、トラックに引かれる前に何かあった気がする。なにかとても大事なことがあった。なんやったかな。誰かが一緒にいたような……』


 少し布が避けてしまったが、ようやく裾が取れた。ほっとした時―――、


「何者だ、止まれ!」


 夜の庭園に、兵士の鋭い声が響いた。


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