第2話

 悪役令嬢ってなんですの!

 我慢できなくなってとうとう叫んでしまった。


 私、カミーラ・マルコリーニは離宮の廊下で転び、頭を打った。


 かなりの勢いが付いていたので、痛みで一瞬意識が飛んだ。その瞬間に、突然他人の意識が入り込んで来たのだ。

 他人、つまりは霧乃 雫とかいう騒がしくて変わったイントネーションで話す女だ。

 彼女が言うには、彼女は私の前世らしい。

 別の言い方をすると、私は前世の記憶を取り戻したのらしい。


 前世の記憶などという非科学的、非論理的なものは認めたくはないし、更にはその前世がこんな他人の意識に入り込んで無遠慮に振る舞うデリカシーのない女だとは重ねて認めたくなかったが、正体の分からない力によって強引に共有させられた意識が、それが事実なのだと認識することを強要してくる。


 勝手に頭の中をいじられているようで腹が立つ。

 殊更ことさらに私を苛立たせるのは、雫がこの状況を容易に受け入れて認めているということだ。

 見たことも会ったこともない相手と優劣を競うのは愚かなことだとは思うが、「負けた」と思わされるのは非常に腹立たしい。


『悪役令嬢っていうのは―――、まずは主役がおるんよ。主役は基本的に正義やんね。その主役の邪魔をしたり嫌がらせをしたりするのが悪役。あんたは令嬢やから悪役令嬢』


 雫の記憶が一方的に頭の中に流し込まれてくる。


「悪役の定義を訊いているのではありません!」


 二人分の意識と記憶を共有させられたことに対する混乱はまだ続いている。くらくらする。立っていれば頭を抱えながら倒れてしまっただろうが……、すでに転んでいるのがせめてもの救いだ。

 アホなことを考えたら少し楽になった。私はこの状況を、二人が会話しているように認識することで整理しようと思いついた。


「なにゆえ私が悪役令嬢なのですか」


 まずはこの理不尽ないわれを正さねばならない。


『だってオルフィナを虐めたやろ』


 雫があっけらかんと言った指摘に胸が痛む。


『オルフィナは主役なの。だから彼女を虐めたあんたは悪役令嬢』


 オルフィナを虐めたつもりはない。虐められるわけがない。しかし、そう思われても仕方がないことをしてきた自覚はあった。だから、すぐに雫に反論することができなかった。


 しかし反論する必要はなかった。 


 他人に見せたくない記憶であるが、記憶を共有している者には隠すことができない。雫は無遠慮に記憶の箱を開けてしまう。


『オルフィナを大事に思うばかりに厳しい態度を取ったし、彼女を狙う者たちから守るためにわざと突き放したりしたんやね。何せ彼女は大事な妹なのだから……。ちょっと待って!だったらここはビクトール闇落ちルートってこと?離宮にいるっていうことはクライマックス間近じゃない。倒れている場合じゃないんちゃう』


 突然慌て始めた雫が早口でまくし立てる。後半の内容は意味不明であったが、倒れている場合でないのは確かだ。

 ゆっくりと顔を起こす。途端に、頭の中の乱入者のために忘れていた痛みが襲ってきた。


「痛い……」と顔を抑える。


 雫とは長々と話していたような気もするが、実際にはコンマ数秒しか経っていない。


「あ、あの、大丈夫でございますか」


 怯えたように震えている声の方を見ると、若い侍従が青ざめた顔で立っていた。

 この侍従にスカートの裾を踏まれて転んだのだ。とはいえ、薄暗い廊下にいるはずのない令嬢が走っていたのだ。彼にばかり非があるわけではない。それでも、伯爵令嬢を転ばせて顔に傷を付けたならば、厳しい罰が下されるのは間違いない。


「お怪我はございますか。今、医師を呼びますから」


 慌てながら走って行こうとするのを呼び止める。

 医師を呼ばれるのは困る。それではさすがにバレるだろう。廊下が薄暗いためなのか、新人のだからなのか、侍従は私の正体に気が付いていない。


「大したことはありません。医師を呼ばなくても大丈夫です。それより、今は何時かしら」


「時間でございますか」


 侍従は露骨に安堵した表情を見せながら振り返った。その視線の先には大きな柱時計があった。


「七時三十六分でございます」


『二十四分しかないやん!』と雫が叫ぶ。


「ありがとう。それと、転んだことが皆様に知られたらとても恥ずかしいから、私とここで会ったことは誰にも言わないで下さいね。もし誰かに話した時には……」


 優しい声から一転、少し凄ませる。


「言いません。絶対に誰にも話しません。私は誰にもお会いしませんでしたです」


 侍従はバタバタと手を振り、そして目を逸らす。


「お願いしますよ。それでは失礼」


 パッとドレスを翻し、その場を立ち去る。


『急いで!あと二十四分しかない!』


「私も急ぎたいわよ。だからって、走ったら怪しまれるでしょう」


 まだ痛む顔をしかめながら、できるだけ速足で歩く。


「八時に何が起こるの?」


 今夜、離宮で行われているパーティーでビクトール皇子が何かを企んでいるのは知っている。それがオルフィナにとって良くないことだというのも分かっている。しかし、具体的に何が起こるのかまでは知らない。

 しかし、なぜか雫はそれを知っているようだった。


『八時に……』雫は二十四分後の未来の話を、確信を持ってきっぱりと答えた。


『オルフィナがビクトールに殺される』

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