第9話「ノブレス・オブ・リージュなき貴族剣士」
「ふたりとも準備はいいですね~? それじゃ、模擬線開始いたしますよ~。それでは、始めてください~」
こんな状態でもシガヤ先生は間延びした緊張感のない声で号令をかけた。
ロイルの発言は全部聞こえてるだろうに、まったく咎めようとしない。
完全に教師失格だと思うのだが、それがまかり通るのだから学園という場所はロクでもない場所だと感じる。これなら、まだ戦場のほうがマシかもしれない。
「ここはおまえにとって完全アウェーなんだよ! 庶民は庶民のいる汚ねぇ村へ帰れ!」
模擬線開始とともに、ロイルは間合いをつめて上段から思いっきり模造剣を振り下ろしてきた。
「それなりだな」
感想を口にしながら、俺はバックステップを繰り返してジグザグに避けていく。
追撃を想定しての回避技術であるが――ロイルは次の攻撃に移ることはなかった。
「なっ!? 俺の斬撃を避けるとは!」
なんだ。この程度の攻撃をかわされたぐらいでショックを受けているのか。
「でも、悪くなかったぞ。不良みたいな見た目だが、剣に関してはそれなりに修練してるんだな」
「てめぇ! 何様だよ! 『それなり』だぁ!? この野郎!」
どうやら貴族の子弟様のプライドを傷つけてしまったようだ。こんなことでいちいち傷つけるのだから相当ぬるい環境にいたということでもあるな。
「事実を言っただけだ。生きるか死ぬかの戦いをくぐり抜ければ、もっと剣も心も冴え渡るぞ」
「てめぇはそんな戦いをくぐり抜けてるって言うのかよ!?」
……しまった。つい、余計なことを口にしてしまった。
このまま俺が『最前線の羅刹』だとバレるわけにはいかない。
ここは上手く誤魔化さないと……。
「え、えっと……まぁ、田舎は獰猛な獣がいっぱいいるからな。それと戦ってるうちに俺は強くなったんだよ」
我ながら上手く誤魔化した!
「ちっ! そんな田舎剣術に負けてたまるかよ! 俺の剣術は帝国貴族の習う『麗閃一刀流』なんだぞ! 俺はその伝統と格式ある流派の次期当主なんだ!」
どうやら相手のプライドをさらに刺激したようだ。まぁ、『聖麗一刀流』だろうとなんだろうと最前線では強ければなんでもいいのだ。あっと、『麗閃一刀流』だったな。
ちなみに俺たち最前線で戦っていた者の中に『麗閃一刀流』の使い手は一人もいなかった。
「ともかくその剣技は俺には通用しないぞ」
「うるせぇ! 生意気なんだよ!」
ますます怒りに駆られたロイルは連続攻撃を放ってくる。
上段、上段、上段。なんの工夫もない三連撃。
「素振りしてるんじゃないんだから、もっと攻撃のバリエーションを持たせろよ」
俺だったら下段、突きなど別の角度からの攻撃を織り交ぜているところだ。
「上段からの攻撃が正当なんだよ!」
「訳のわからないこだわりだな」
戦場において、攻撃に正当もなにもない。
いかに効率的に致命傷を与えられるどうかが大事なのだ。
それに、一対一で戦って終わりではない。ひとりで多数を相手することだってあるのだから型にこだわっている場合ではないのだ。
「俺は『麗閃一刀流』の次期当主だ! 俺が言うことが正しいんだよ!」
本当に狭いコミュニティの中で生きてるんだな、貴族って奴らは。
そもそも家柄だの流派だの、そんなものは戦場ではなんの役にも立たない。
「つまり、圧倒的に実戦経験が足りないってことだな」
バカのひとつ覚えの上段からの攻撃を、ひたすらかわしていく。
これなら一万回繰り出されても、かする気すらしない。
「このぉ! 舐めるなぁ!」
ロイルはここで初めて、下段からの攻撃を繰り出した。
振り下ろしたところからの斬り上げ。
「おっと」
意表を突いたつもりだろうが、手先だけで力がしっかりと伝わってない。
「斬り上げはもっと体のバネを使わないとダメだぞ。あるいは、ここから突きを繰り出すとか連続攻撃に移行しないと」
つい、俺もアドバイスしてしまう。
「るせえんだよ、こらぁ!」
本当に頭に血が昇りやすい奴だ。
どうにか俺に一撃を加えようと滅多矢鱈に無茶苦茶な軌道の攻撃をしてくる。
相当の膂力の持ち主なら、強引な攻撃の仕方は有効なこともあるのだが――。
「筋肉も足らないな。圧倒的に」
筋肉をただつければよいわけではないが、あまりにもロイルには腕力が足りてない。そして、走り込みも不足している。
足腰がしっかりしていないから、体重の乗った強烈な一撃を放つことができない。
「おまえのような田舎者なんかに!」
「いや、田舎暮らしは剣術にとって最高の環境だぞ。自然豊かなところで生活しているだけで戦う上で必要な筋肉が身に着く。鍬を大地に向けて振り下ろす動きなんて、そのまま剣術に応用できる」
俺も子どもの頃は農作業をしたものだ。そのときにつけた体力と筋力があったからこそ師匠から剣術の基礎を叩きこまれたときに、すんなり習得できたのだ。
「クソが! べらべらと田舎者が貴族に向かって!」
「剣に身分も家柄も関係ない」
貴族の持つ特権意識というのは厄介かつ無駄だ。ノブレス・オブ・リージュがあるならまだしも、先の大戦で先頭に立って戦っていたのは俺たち庶民階級だった。
ほんと、嫌になるな。こんな貴族がのさばる国のために戦っていたかと思うと。
いっそこんな国滅んだほうがよかったんじゃないかと思ってしまうが、帝都よりも先に被害を受けるのは辺境の村々――つまり、俺たちのような庶民が住む村なのだ。
「理不尽だよな、ほんと」
フツフツとこみ上げてくるものがあった。ロイルの力量を見極めてから引き分けにしようと思ったが、少しだけ本気を見せてやるか。
「うらあああああああ!」
そんな俺の感情の変化にもちろん気がつくことなく、ロイルは力任せの斬撃を放ってくる。また最初と同じ、上段からの振り下ろし。
「貴族としてのプライドにこだわるよりも――」
回避に徹していた俺は、このとき初めて一歩前へ踏み出した。
「――現実を見ろ」
相手が振り下ろすよりも早く、ガラ空きの胴に向かって模造剣を叩きこむ。
……といっても、俺の膂力をそのままぶつけると絶対に死ぬので超手加減した。
「がはっ――!?」
俺の背後で、ロイルの情けない声が漏れ出る。
そのまま前のめりに倒れていく音がした。
「くだらない奴相手に剣を振るってしまったな」
ここまで無駄な戦いというのは、俺の戦歴の中でも稀だ。
というか、これまで剣を振るった中で最もくだらない相手だったかもしれない。
「ふえっ? ヤナギくん、今、どうしたの?」
ちょうど俺の近くにはカナタがいた。
キョトンとした表情で訊ねられる。
「どうしたって、すれ違いざまに模造剣を胴に叩きこんだだけだ。とはいってもメチャクチャ手加減したがな」
「そ、そうなんだ……? ぜんぜん見えなかったよ……」
やがて、クラスメイトたちが騒ぎ始める。
「なんだよ、今の!」
「えっ、なんでヤナギの奴があんなところにいるんだ?」
「どうしてロイルくん、倒れてるの?」
俺の動きを誰ひとりとして見えていなかった。
仮にも戦闘を学んでいる生徒が、ここまでレベルが低いとは。
そこで、シガヤ先生が口を開く。
「え~、今の戦いですが~……よくわからなかったのでヤナギくんの反則負けにしときましょう~」
シガヤ先生は相変わらずブレない。悪い意味で。
「先生には見えてたんじゃないですか? これぐらい見えないで教師をやってるってことはないでしょう?」
いくら生徒たちがボンクラだといっても、教師まで俺の動きがわからなかったとは思えない。
「はて、なんのことでしょうか~? ともかく授業を進めましょう~。というわけで~、皆さんは素振りをしてください~。ヤナギくんは授業態度が悪すぎるので罰として時間が終わるまで校庭をひたすら走り続けてください~」
……横暴だ。まったく、この国の貴族主義はどうしようもないな……。
でもま、俺の圧倒的な剣術の腕が周りにバレなくてよかったとも言える。
「んじゃ、走ってきます」
というか、俺は走り込みは嫌いじゃない。
地味ではあるが、だからこそ、心を無にして自分を鍛え直すことができる。
「いきなり懲罰食らってやがる」
「だせぇ転校生だよな!」
「庶民が俺たちと同じ授業を受けようなんて百年早いんだよ!」
ここまでクズなクラスメイトだと、いっそ清々しいな。
「わ、わたしも走るよ!」
そんな中、カナタが大きな声を上げた。
「はい~? カナタさんは走る必要はないですが~?」
「で、でもっ! なんだか、わたしも走りたい気分なんですっ!」
シガヤ先生の疑問に対してカナタは顔を真っ赤にしながら言いきる。
その突拍子もない発言に、クラスメイトたちはザワついた。
「なんだよ、あの遅刻令嬢」
「意味不明なんだけど」
「いらない奴ら同士惹かれるものがあるんじゃね?」
俺に向けられていた異端を見る目が、今度はカナタにも向けられる。
「いや、俺につきあう必要はないぞ。……というか、俺にかかわるとクラスの中での立場が悪くなるからやめたほうがいい」
後半部分は声をひそめて、カナタにだけ聞こえるように伝えた。俺の立場に同情してくれたのだろうが、カナタの学園生活にとっては百害あって一利なしだろう。
「ううん、わたし、ヤナギくんと走りたい! 走ろっ!」
「……お、おう」
なんだかよくわからないが、押しきられてしまった。
こうとなっては仕方ない。でも、悪い気はしない。
これが友達ってやつか。
俺とカナタは、クラスメイトから冷ややかな視線を向けられながらも校庭を走り始めた。
「はぁ~、うちのクラスは問題児ばかりで嫌になりますね~。まぁ、どうでもいいですけどね~」
シガヤ先生の呆れたような声が漏れ聞こえたが、もう知ったことか。
こうして俺とカナタは、授業が終わるまで校庭を走り続けることになった。
……なお、カナタは運動能力がメチャクチャ低かったので、すぐに速度が落ちて息も絶え絶えになっていた。
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