本音

〈六〉

 いわゆるデートなんてものをするのは初めてだったけれど、及第点は取れたのではないかと思う。奇をてらったことなんかするべきじゃないと考えて、デートコースとして有名なとある水族館をチョイスした。

 ここは美帆さんの好きな小説の舞台でもあるので、ちょうどいいと思ったのもある。

「そう、このあたりで翠ちゃんと悠介さんが初めて会うんですよ」

 入ってすぐのクラゲのコーナーでやたらテンション高く解説をする美帆さんが、はたと気付いて小さくなるのがとても可愛かった。

 そこで昼食も摂り、午後のイルカショーまで見てから水族館を出た。水族館のすぐそこにあるお土産屋さんで家族に買って帰るお土産をどうするかについて真剣に考えている。

「お兄ちゃんは、なんか適当におやつでも買っておけばいいんですけど、マオにはちゃんと選んであげようかなって」

 兄がいることは前も言っていたので知っていたが、妹がいることは今日初めて聞いた。

「どういうのが好きなの」

「そうですね。普通に可愛いのが好きなので一番無難なのはこういう」

 そう言ってカワウソのぬいぐるみを取り上げる。

「やつでいいんですけれど、この手のってぶっちゃけどこ行ってもあるじゃないですか。なるべくその場所らしいやつが良いんですよね」

「なるほど」

 などと言いながらそのカワウソのぬいぐるみの頬の辺りをグニグニと揉んだりしている。さっきカワウソに餌やりができるコーナーでキャーキャー言いながら餌をあげていたくらいなので、まだ印象が残っているのだろうか。

「それ、気に入ったん?」

「そういうわけじゃないですけど、ほら、さっきの子思い出しちゃって。目とか結構似てませんか」

 どこ行ってもある、などと言っていた割に偉い気に入り様で笑ってしまったのだが、すると少しむっとしたような顔をした。

「何ですか、別にちょっと気になっただけですから」

 そう言ってぬいぐるみを商品棚に戻すも、また名残惜しそうな顔をしているのが可笑しくて、ついそれを手に取った。

「買ってやるよ」

 びっくりしたように首を振る。

「いいですよ。この前チョコだって貰いましたし」

「ほら、クリスマスプレゼントってことでさ」

 返事を待たずにさっさとレジに向かおうとすると、コートの裾を引っ張られて止められた。

「ちょ、ちょっと待ってください。それなら私も先輩に何か買いたいです。交換ってことにしませんか」

 クリスマスに女の子とプレゼント交換、なんとも甘い響きである。承諾した俺は美帆さんに件の小説の特装版を買ってもらった。

「すごい泣けるので、読み終わったら映画も観ましょうね。年明けたら実家からブルーレイ持って来るので」

「オッケー。今年中に読んどくわ」

 地味に次回も遊ぶ予定が立った。こうして次も、その次もあるのだと思うと素直に楽しみになってくる。

 なんだかんだと数十分はお土産屋さんにいた俺たちは、それから適当にぶらぶらと雑貨店や服屋をめぐって歩き、いつの間にか日も暮れていい時間になっていた。

「さっむ」

 そう呟きながら美帆さんはコートの前を閉じる。今は駅から美帆さんの下宿に歩いているところだった。

「ねえ」

「……驚かせんなよ」

 その時、唐突に優佳子が現れた。今日一日一度も話をしなかったから少々以上にドキッとした。

「そんな反応久しぶりに見た」

 と、少し寂しそうに笑う優佳子。確かに急に話掛けられることなどザラなので今みたいに肩を跳ねさせるのは本当に久しぶりと言える。

「どうかしました?」

「いや、俺も寒いなって思ってさ」

 正直マフラーも手袋もせずに来たのは失敗だった。昼間よく晴れていたので、夜になって急に冷え込んできて非常に堪える。

 ちらっと前を往く優佳子を見やる。彼女はいつも高校の冬服を着ている。いまは冬なのでそこまで違和感もないが、夏は中々暑そうに見える。もっとも何も感じていないらしいが。違和感がないと言ってもその上にコートも何も羽織っていないのは不自然で、ここに彼女はいないというのが強調されているような気がする。

「なあに?」

「別に」

 視線に気づいた優佳子が聞いてくるが、黙って首を振る。言っても仕方のないことは極力言わないようにしていた。

「先輩、今日は誘ってくれてありがとうございました。すっごく楽しかったです」

 もう少しでアパートというところでまた美帆さんが口を開く。

「いやこちらこそ。なんか後半適当に歩いてただけでごめんな」

「いえ、全然。友達と遊びに行くのだってそんな変わらないですし」

「そうか」

「そうです」

 街灯の下。最近電灯が取り換えられたばかりでやたら明るいその下で俺は立ち止った。普段送るのもここまでだったからだ。

「でも」

 だけどいつもと違ってまた一歩歩くことになる。

「デート、ですから」

 そう言った美帆さんが俺の手を取ったからだ。ぎゅっと握ってくる彼女の細い指に、緊張の震えが伝わっていないかと心配しながら俺はおずおずと握り返す。

「……先輩の手、冷たいです」

「ごめん、離す」

「そういう意味じゃないです」

 より力を込めて握ってきた。

「ほら、そのままだと風邪ひくかもしれないですから」

 一瞬妙な期待が走ったが、どうどうと心を落ち着かせる。それはない。

「コーヒーでも、飲んでいきませんか」

 右隣を歩く美帆さんは下を向きっぱなしで、その表情を見ることはできない。彼女は今どういう顔をしているのだろうか。そして、俺の方は。

「ほら、先輩よく飲んでいらっしゃいますし。もし、良かったら、なんですが」

 段々と小さくなっていく言葉と対照的に、指先に込められた力はずっと強くなっていく。

「よくない」

 その時、言おうとしたのと別の言葉が聞こえた。

「やだ」

 寒さなんか微塵も感じない癖をして、細かく震える声だった。

「行かないで」

 スカートの裾をぎゅっと握って、何年も見ていなかった泣き顔で優佳子は言う。

「この前と言ってることが違う」

「そうだけど、やなの」

「なんでだよ」

「なんで説明しなくちゃいけないの」

「じゃあどうして欲しいんだよ」

「わかんないよ」

 そうこうしているうちに一秒、また一秒と時間が経っていく。隣に今いる子を待たせている、いい加減決める時だった。

「……お邪魔するよ」

 ぱっと顔を上げた彼女の明るい顔は生涯忘れない。

 前髪の奥に隠れた彼女の顔を生涯知ることはない。

「じゃあ、早く行きましょう。もうこんなに冷たくなっちゃってますから」

 繋いだ手を引いて美帆さんが言う。今目の前で笑ってくれる女の子を置いて帰るなんて、俺にはできない。いや、彼女のせいにするのは卑怯だ。俺はただ、どうしようもなくこの子に惹かれている、ただそれだけなのだ。

「ねえ蓮」

 それでも声は聞こえてくる。

「行かないで」

 耳を塞ぎたくなるほど確かな声で聞こえてくる。

「私のこと、置いて行かないでよ」

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