だらだら会話

〈三〉

 優佳子が死んだのは高校二年の時だ。「予防注射打ったのに」とか言いながら罹ったインフルエンザがもともと持っていた喘息と合わさって重症化し、そのまま帰らぬ人となった。体力のある高校生でここまで重症化するのは相当珍しいらしいそうだが、そのかなり低い確率を引き当ててしまったというわけだ。

 ガリガリに痩せていた最期を知っているだけに、高校の制服姿のまま俺の周りをふらついている彼女はある意味元気いっぱいに見える。見えるだけだが。

 彼女がこうして俺の目の前に現れたのはお通夜の日。特別に斎場で一晩過ごすことを許してもらった俺は、どうしても寝ることが出来なくて棺の隣で本を読んでいた。

「じゃあ私たちは先に休むから。蓮君も早く寝なさい」

「はい、すみません」

「いいのよ。優佳子も蓮君が一緒にいてくれたら嬉しいでしょう」

 そう言って優佳子のお母さんが寝室に入って行ってからしばらくして。俺は棺の小窓を開けて優佳子の顔をまじまじと覗き込んでいた。本当はやってはいけないのかもしれないけれど。

(治ったら勉強教えてね。もうそろそろ受験勉強始めなきゃいけないのに、出鼻くじかれちゃた)

 などと言っていたことをふと思い出した。くじかれるどころの話ではない。きちんと化粧をしてもらってやつれた顔を隠してもらった優佳子、いろんな意味で見たことのない彼女のその顔を見ていると、心臓がキリキリと痛んだ。

 別に付き合っていたとか恋愛感情があったとか、そういうことはないのだ。ただ一緒に育って、一緒に遊んで、一緒に勉強して。喧嘩して、仲直りして、馬鹿な話をして、並んで歩いただけ。

それだけなのだ。

「なあ」

 表情をころころ変える人だった優佳子の動かぬ姿に話しかける。

「早く起きねえと、俺と同じ大学行けねえぞ」

 煌々と火を灯し続ける蝋燭が、だいぶ短くなっていることに気づいた。ここのホールには時計がない、今何時なのだろう。明日も朝から火葬場に行くのだから少しでも寝ておくべきなのは分かっている。

「ほんとにさ」

 それでも、ずっと一緒にいた優佳子が、これからも隣にいて欲しいと思っていた優佳子が、この棺の蓋以上に分厚いもので遮られた向こうにいるというのが、どうしようもなく苦しかったのだ。

「お前さ」

 後悔していることが一つあった。いや、たくさんある中で特に後悔していることが一つ。俺の携帯の写真フォルダには優佳子の写真が三枚しかなかったのだ。写真自体はたくさん撮っていたはずだ。事あるごとに優佳子が撮ろうとするから。それを俺は恥ずかしいだの鬱陶しいだのと言って殆ど消してしまっていたのだ。

 何か遺影にいい写真がないかと聞かれたときに改めてその事実に気づき、俺は携帯をぶん投げた。何だこの役立たず、そう吠えもした。

「なんでそんなとこいるんだよ」

 別に付き合っていたとか恋愛感情があったとか、そういうことはないのだ。ただ一緒に育って、一緒に遊んで、一緒に勉強して。喧嘩して、仲直りして、馬鹿な話をして、並んで歩いただけ。

 そんなはずはないのだ。

だってこんなに悲しくて、涙が止まらない。

「俺を置いて行かないでくれよ、頼むよなあ」

 叫ぶでもなく呟くでもなく、ただそう零した。その時のことだった。

「なーにやってんの蓮」

 はっと顔を上げた。今確かに優佳子の声がしたのだ。聞き間違いなどではない。あいつの声を聞き間違えるはずなんかない。

「うわ、私ほんとに死んでる……。なんかショックだわ」

 気付くと棺の横に優佳子が立っていた。しっかりとした足取りで、「ほえー」などと間抜けな声を漏らしながら、自分の顔を覗き込む、高校の制服姿の優佳子が、そこにいた。

「うわっ蓮めっちゃ泣いてんじゃん、ウケる」

 俺を指さして笑う優佳子が確かにそこにいた。


 それから俺は猛ダッシュして優佳子のお母さんにそれを報告しに行ったが、お母さんには優佳子の姿は見えないらしく「夢に来てくれたんでしょう。私のところにも来てくれないかしら」なんて笑うばかりだった。そのすぐ隣に立っているのに。

 俺にしか見えない「優佳子」がそれ以来俺の周りをうろついている。いつもいるわけではない、唐突に現れては消える、姿は他の人に見えず俺と優佳子の会話も聞こえない。まさしく幽霊に取りつかれたような状態である。

 とはいえさっき言ったように、俺は幽霊など信じていない。この「優佳子」は俺のどうしようもない未練が産んだ幻覚のようなもの、そう結論付けた。

「ちょっと酷くない。私はちゃんとここにいるのに」

「うるせえ」

 だってそうでもないと、俺と彼女でしか互いを見ることも会話をすることもできないことに説明がつかない。優佳子の両親や友達にも彼女が見えないんて不公平じゃあないか。優佳子が死んで悲しんでいる人は他にもたくさんいるのに。まるで俺だけが特別な存在のようで、それは何となく申し訳なく、居心地が悪い。

 だからこいつは幽霊じゃない、そう思うことにした。

「まあ好きにしていいけどさ」

「言われるまでもねえよ」

 四年間、こんなくだらない会話をし続けている。

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