1-3


 浴槽に浸かりながら、僕はぼんやりと天井を見る。

 全身に熱が通っていくのを感じて、ほっと息を吐いた。


 僕は風呂というものが嫌いではない。むしろ好きだとも言える。

 何も考えずに思考を放り出して、ただ脳を溶かすような感覚は何物にも変え難い。


 僕は病院で過ごした時期が長く、その頃はしっかりとした浴槽にも浸かれなかった。

 その反動もあるのかもしれないが、ともかくこの時間は僕にとっての至福の一時であった。


『報告。水温41℃。水質に異常なし』


「――っ。きゅ、急に喋るな。ビックリするだろ」


『失礼しました』


 完全に意識を飛ばし油断していたせいで、僕はビクリと身体を震わせる。

 Siryの自主的な報告は、割と彼女の気分次第で行われるので、たまに驚かされることがあった。


 それに浴室内では、Siryの声もやけに響く。

 湿度の高さ故ではあるが、彼女の機械音は肉声よりも少し耳に来るのだ。わざわざSiryに言うほどでもないな、と思って特に注意もしていないけれど。


『測定。浴槽内から検出される人垢比率――極低。しっかりと身体は洗われているようです』


「いや、そういうのは調べなくていいよ……」


『しかしマスターは三日前、身体を洗う前に浴槽に飛び込んでいます』


「お前そんなことまで知ってんの!?……いやでもさ、別に良くない?この風呂は僕しか入らないし、水も毎日変えてるでしょ?」


『暴露。浴槽内の汚れに伴い、洗浄工程が一つ増えました』


「すみませんでした……」


 Siryはきっと、僕が知らない特殊な薬剤を用いているのだろう。浴室掃除が元々何工程に渡るのかすら、僕は把握していないが、なんにせよSiryに余計な仕事をさせたことは反省せねばなるまい。


 浴槽に入るのはちゃんと身体を洗ってからにしよう。


『ところで。マスターに一つお伝えすることがあります』


「何?」


 僕は首を脱力させながら、天井に埋められた防水仕様スピーカーを見る。風呂場でSiryと話すときに、なんとなく目を向けるのはそこだった。

 スピーカーかカメラのどちらか、見やすい位置にあるものを僕は見るのだ。


『報告。本日15:58に、マスターのお母様よりメッセージが届いております。送信先は私ですが、内容はマスターに向けた物でした』


「……まだそんなことしてんのか。それは読み上げなくていいよ、消しといて」


『しかし――』


「良いから。あとその報告はもう要らない。もしまたアイツからメッセージが来たら、全部そのまま消して」


『……。畏まりました』


 僕のホロウのアドレスは誰にも教えていない。

 母親は勿論、他の家族の誰にもだ。


 つまり彼らが僕と連絡を取る最終手段が、Siryを通してのメッセージ、ということなのだろうが、はっきり言って迷惑だった。

 家族との縁はもう切ったのに、いつまで僕に関わろうとするつもりなのだろう。


『問。マスターは寂しくないのですか』


「……最近。変な質問が多いよ」


『不安。マスターは人との関わりが希薄すぎる、と遠隔コミュニケーションツールの使用履歴から推測されます』


「うるさいなぁ。Siryがいればそれでいいし」


『私はマスターの家族にはなれません』


「……家族みたいなもんでしょ」


 友達も家族も居なくたって、僕は何も気にしない。一人でだって生きていけるから。

 金は自分で幾らでも稼げるし、世界中に天才と認められてもいる。これ以上を求める必要なんてなかった。

 

 天は二物を与えない。

 だから、これでバランスが取れているんだ。

 

『問。明日のスケジュールが空白になっていますが、何か予定はありますか?』


「明日は完全に休み。学校はないし、学会にも呼ばれてない」


『では一日家に居る、ということで間違いありませんね?』


「なんでそんなに気にするの?いつもそこまで聞くっけ?」


『マスターの生活をより快適にするためです』


「もうそれ常套句になってきてるね」


 僕はざばりと風呂から立ち上がる。

 嫌な人の顔を思い出したせいか、もう早く寝たい気分だった。





☆彡 ☆彡 ☆彡





 翌日の昼。

 二階の自室でギャルゲーをプレイしていると、インターホンが鳴った。


 あまりにも久しぶりに聞く音に、僕はビクリと驚かされる。「あ、これインターホンの音か」と気づき、来客だと理解するまで一秒くらい掛かった。


「Siry。外のカメラと繋いで」


『畏まりました』


 僕は玄関前に置かれたカメラの映像を、目の前のホログラムモニターに映し出す。ギャルゲーのキャラの上に被さるように、屋外の様子が現れた。


「……女?」


 するとそこに立っていたのは、銀色の長髪を携えた一人の女性。何故かメイド服を身につけている。

 宗教勧誘には見えないが、怪しげなことに変わりはなかった。


「無視でいいや。そのまま放置でいいよ、Siry」


『謝罪。間違えてカメラと同時にマイクも繋いでしまいました。マスターの今の声もあちらに聞こえています』


「マジで!?」


 なんてことしてくれたんだ、と思いつつもSiryを責めても意味は無い。仕方なくそのまま話すことにした。


 僕は、んんっと喉を整える。

 そして久々の人との会話に、何を言ったものかなと考えて――


「おいさっさと帰れ」


――つい、思ったことが口に出た。


『困惑。Siryは外道なマスターに困惑していまいます』


「……わ、分かってるよ。今のは流石に僕もどうかと思う」


 マイクが拾わない小声で、こっそりとSiryと話す。

 対人コミュニケーションが久しぶりすぎて、脳がちゃんと仕事をしていないらしい。


 僕は椅子の上で姿勢を正し、言葉を選び直した。


「何の用ですか?宗教なら間に合ってますけど」


『いえ、宗教ではなく。この度は私を雇って貰えないかと思い、訪ねさせていただきました』


 スピーカー越しに聞こえてくる、凛とした声。

 ホログラム越しでも、クールな雰囲気が伝わってくる。


「……は?雇う?意味わかんないです。やっぱり帰ってください」


『こちらは道衣様のお宅だと伺っております』


「ええ、それは合ってますけど。帰ってください」


『良かった。間違えていたらどうしようかと』


 帰れと言ってるのに、彼女は僕から視線を外す気配が微塵もない。

 この人、僕の言葉を完全に無視して会話を続けてくるんだけど、どうすれば良いんだ。


 彼女は僕のことを知っている。つまり偶然ではなく、この女は僕に用があってこの場に現れたということ。


 そしてそういう人物は、大抵危険である。


『メイドの募集は、していませんか?』


「してません。帰ってください」


 ホントもう帰れ。

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