オーボエ奏者ナツ始動 後編

 アタシがダブルリードパートに入って、だいたい一週間ほど経った。


 今日は音楽室にて、新入生を交えての初合奏練習が行われる。


 ウチの吹部はGWに校外で小規模の演奏会を行うことになっているそうで、今日はその演奏会で合奏する曲を、初めてみんなで合わせて演奏する予定だ。


 今日はアタシがオーボエ奏者として、初めて合奏に加わる記念すべき日だ。


 演奏会でアタシが吹く箇所は、この一週間、パート練習でみっちり体に染み込ませた。


 期待に胸を躍らせながら、アタシは音楽室で所定の位置に着席し、合奏練習が始まるのを今や遅しと待っていた。



 ♢♢♢♢♢♢♢



 合奏練習が始まった。自分としては、なかなか順調に吹けていると思う。


 そして、アタシがオーボエのソロパートを吹き終わると——


 なぜか指揮者の弦井つるい先生が、演奏を止めた。

 その直後から、アタシはみんなの注目を集めている。


 あれ? アタシ、なんかやっちまったのか?

 楽譜を渡されてからあんまり時間がなかったもんで、多分完成度はあんまり高くないとは思う。

 でも、音は外してないし、大きなミスをしたつもりもないんだけど……


「あの…… ひょっとして、吹くとこ間違えてました? アタシってばバカなんで、よく違うとこ吹いちゃうんですよ、ハハハ……」


「ふう、まったく…… 夏子は本当に、チート持ちの転生者だったんだね」


清風きよかぜ先輩、なに言ってるんですか? ひょっとして、鷹峯たかがみね部長から、おかしな影響を受けました? 別に部長に気を使って、ボケに乗ってあげなくても——」


「黙りなさい、このおバカ。すずはアンタの演奏が素晴らしいって言いたいのよ」


 ダブルリードパートに入って、そろそろ一週間。

 鷹峯たかがみね部長とは本音を言い合える、素敵な関係になったのだ。


「それからみんなも、アンタの演奏を聴いてビックリしたのよ、アンタがあまりにも上手いから」


「え? アタシって、そんなに上手いんですか?」


 アタシがそう言うと、音楽室がザワザワし始めた。

「あれ、とぼけて言ってるのかな?」

「謙虚なつもりなのかしら?」

「あそこまでいくと、むしろ嫌味だよね」

 そんな声が聞こえてくるのだが……


「あー、ちょっといいっスか?」

 そう言って、サチさんが立ち上がった。そしてサチさんは話を続ける。


「そこでオーボエを吹いてるバカは、あたしの中学の時のバカな後輩でして——」

 サチさんとは、既に本音を言い合える素敵な関係を築いていた…… ってことで、良いんだよね?


「コイツはオーボエがスッゲエ上手いくせに、なぜか中学の吹部ではチューバを吹いてたんス。まあ、バカだから仕方ないっスよね」


「ちょっと、なに言ってるんですか! 中学の吹部でチューバを勧めたのはサチさんじゃないですか!」


「……お前、中学に入学した時、新しく『地底人捜索部』を作ると言って息巻いてたそうだな。それで目を輝かせながら、お前んトコのおばちゃんに『大きめのシャベルを10本買って欲しい』ってお願いしたんだろ? それを聞いたおばちゃんがいたく嘆いてな…… 当時吹奏楽部員だったあたしに、『楽器はなんでもいいから、とにかくナツを吹奏楽部に入れてやって!』って、泣きつかれたんだよ。で、仕方なくあたしがお前にいろいろ楽器を勧めた中で、なぜかチューバだけは気に入った。それが真実だよ」


「おい! なに人の恥ずかしい過去を公衆の面前で披露してんだよ!それから、そんなに昔からウチのお母さんと仲良しだったんだな、知らなかったよ、チクショウ! そ、それからチューバを選んだのは、なんか大きくてカッコよかったからだよ!」


「おい、テメー…… 舐めた口利いてると……」


「……許す」

「……ちょっと、剛堂ごうどうサン。前にも言ったけど、もう一度言いますよ。それ、言いたいだけでしょ?」


「そんなことより久保田よ、お前はまだ肝心な話をしていないぞ? 本当に相田は、自分の演奏技術の高さに無自覚なのか?」


「そうっスね、すみません、なんかイラっとしちまって…… 要は、コイツは小学生の時、オーボエの練習してたんスけど、合奏はおろか、人前で演奏したことすらなかったそうっス。もちろん、他人のオーボエの演奏をちゃんと聞いたこともない。だから、自分の実力がわかってないんスよ」


「あの…… ちょっといいですか? そんなにオーボエが上手なのに、なんでオーボエをやめちゃったんですか?」

 ここで、弦井つるい先生が遠慮がちに口を開いた。


「お母さんとのバトルがピークに達したからです」

 アタシは力強く答えた。


「え?」


「えっと、通訳しますと、コイツはオーボエを教えてくれていた、元オーボエ奏者の母親と喧嘩したから、オーボエを吹くのをやめたと言ってるんス」


「あっ、久保田さん、通訳とてもわかりやすかったですよ、って、いや、そうじゃなくて、えっと…… その後、相田さんはお母さんと仲直りしてもう一度オーボエを再開したとか、そういう話にはならなかったんですか?」


「コイツの意志は相当固かったようで、家にあった大きなリュックサックに、詰め込めるだけ食料を詰め込んで家出したんスよ」


「……家出はいけませんね。まあ、それはさておき、それから、どうなったんです?」


「中国山地の中腹を彷徨さまよっていたところを保護されたんス」


「ちょっと、それはアタシが小学校3年生の時、遠足で海浜公園に行って迷子になった話でしょ! いい加減なこと言わないで下さいよ!」


「あれ? そうだっけ?」


「それはそれで、とてもスケールの大きな迷子だと思うんですけど……」

 ふう、と大きくため息をついた弦井つるい先生。


「あの時は電車に乗って逃げようと思ったんです。でも、食料はいっぱい持ってきたのにお財布を忘れちゃって、JR松山駅で警察の人に保護されたんですよ」


 それを聞いた弦井つるい先生が、

「まあ、大きなリュックを背負った小学生が、お金も持たずに駅でウロウロしてたら、明らかに怪しいですからね。えっと、それで結局、お母さんとは仲直りしたんですか?」

と、再び、質問を向けてきた。


「はい。警察の人に連れられて家に帰ったんですけど、あきれた顔した警察の人が、『そんなにオーボエが嫌なら、やめさせてあげたら? 大人げないですよ?』って、お母さんに言ってくれたんです。そしたら、スっごく恥ずかしそうな顔をしながらお母さんが、『わかりました』って言ったんです。それ以来、アタシはオーボエを吹かなくてもよくなりました」


「う、うーん…… 相田さんの行動力が身を結んだというのか…… いや、やっぱり警察の方にご迷惑をかけてはいけませんね…… うーむ…… こういう時、教師はなんと言えばいいのでしょうか……」


「『バカな家族だな』で、いいんじゃないスか?」

 ザックリ言い過ぎですよ、サチさん……


「ちょっといいかしら? ——」

 ここで今まで黙って話を聞いていた白鷺しらさぎ副部長が、口を開いた。


「——話の内容が空前絶後すぎて、私には直ぐに理解出来そうにないんだけど…… 要するにナッちゃんは自分の演奏技術を正確に理解していないけど、この超絶に上手いレベルの演奏を、同程度のレベルの曲であれば、基本的に再現可能だってことでいいのね?」


「大丈夫だと思うっス」

 サチさんは、サラッとそう言うんだけど……


「じゃあ、とにかく素晴らしいオーボイストがウチの部に入ってくれたということで、いいのよね! それって、全国大会出場に、また一歩近づいたってことじゃない!」


 白鷺しらさぎ副部長がそう言うと——


「「「「「 おぉぉぉーーー!!! 」」」


 と、音楽室から変な歓声が巻き起こった。


 歓声が収まったのを確認した副部長が、溢れんばかりの笑顔を振りまき、アタシの元へ駆け寄って来た。

 そしてアタシの両手を握ってこう言った。

「東高吹奏楽部へようこそ。私はナッちゃんを心から歓迎するわ! これから全国目指して、一緒に頑張りましょうね!」


 周囲にいる部員のみなさんから拍手の音が聞きえてきて、なんだかいい雰囲気になって来たところ申し訳ないんですけど……


『ようこそ』って言われましても、別に、今日入部した訳じゃないんですよ?

 アタシ、入学式の日から、ずっと吹奏楽部にいるんですよ?

 今まで何回も顔を合わせてますよね?


 それに、入学式の日なんて、アタシを見て大笑いしてたくせに。

 それ以降も、アタシの顔を見る度に、せっかくのカワイイお顔がブッサイクになるぐらい大笑いしてましたよね?

 きっとアタシのことなんて、お笑い要員の一人ぐらいに思ってたんじゃないんですか?


 それから、この前のパートリーダー会議の時だって、なんか最後の方は面倒くさそうな顔で、『なんだか疲れてきたから、早く終わって』みたいなこと、アタシに言いましたよね?


 うーむ…… 何やら白鷺しらさぎ副部長から、腹黒な香りが漂ってきたような……

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