コンクールへの道 編
オーボエ奏者ナツ始動 前編
アタシの運命を変えたパートリーダー会議から2日後。
ここは普段、オーボエとファゴットの混成パートであるダブルリードパートが練習場所として使っている空き教室。
アタシは同じクラスのカンナに連れられてここまで来た。
カンナは先ごろ、正式にファゴット奏者に決まったのだ。
そう言えば、ファゴットの演奏経験があるカンナが吹奏楽部に入部してくれて本当によかったと、
基本的に、部活開始時間になったら、まずは自分の所属するパートが練習する教室に行くんだって。
だからアタシは今、この教室でカンナと一緒に、同じパートの先輩たちがやって来るのを待っている訳だ。
「ねえナツ、ひょっとして緊張してる?」
カンナがアタシに問いかけてきた。
「当たり前だよ。だってアタシ、部長とは何度か会ったことあるけど、だいたい大笑いされるか、あきれられるかの、どっちかだったしね。ちゃんと話をしたことないんだよ」
「……なんだかナツらしいね」
しみじみとアタシの顔を見ながらつぶやくカンナ。
カンナと友だちになってからまだそんなに時間は経ってないけど、カンナってばもうアタシのことをよくわかってくれてるんだ。なんだか嬉しいよ、アタシは。
「それに、もう一人のファゴット奏者の先輩とは、まったく話したことがないんだもん。ねえ、その2年生の先輩ってどんな人?」
このパートの構成員はアタシを含めて4人。部長、カンナの他に、もう一人先輩がいるのだ。
「もう、何度も言ったでしょ。優しそうな人だって。私、このパートを選んで本当に良かったって思ってるんだから」
カンナはどちらかと言うと、演奏技術云々より人間関係を重視するタイプだ。
そのカンナが優しそうな先輩っていうんだから、きっとアタシにも優しくしてくれるだろう。いや、そうでなくては困る。
そんなことを二人で話しているうちに、廊下からこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。
件の先輩二人が教室に入って来ると——
「部長、
あっ、挨拶するの、カンナに先を越された。
もう、こういう時は、アタシから先に挨拶させなさいよ!
ど、どうしよう、何か言わなくちゃ。えっと……
「チ、チワーっス!!! 自分、相田ナツコって言います! チューバ…… じゃないや、オーボエを三中でやってた…… いえ、やってたのはチューバでして、あれ?…… えっと、三中っていうのは2年の先輩のサチさんがいて、あっ、サチさんっていうのはアタシの野球チームの先輩で…… え、えっと、えっと…………………… ヨ、ヨ、ヨロシクオナシャーっス!!!」
「……なにテンパってるの? シドロモドロにもほどがあるわ。それに、どうやら最後は勢いで押し切ったようね」
「ちょっと、部長! 冷静に分析するのやめてくださいよ! アタシ、演奏では緊張したことないんだけど、こういうのは苦手なんですから」
「まったく…… 誰もあなたに感動的なスピーチなんて、期待してないわよ」
やっぱり今日も、あきれられたようだけど…… まあ、いいや。
「ふふふ、もう部長はナッちゃんと仲良しだったんですね」
部長の隣にいる優しそうなお姉さんがつぶやいた。
「やめてよ。名誉毀損で訴えるわよ」
優しそうなお姉さんの隣にいる部長が、とても失礼なことをつぶやいた。
アタシと仲良しだと思われるのが、そんなにも不名誉なのか?
部長はともかく、この2年生のお姉さんってば、アタシのことナッちゃんって呼んでくれるではないか。
なんてフレンドリーな人なんだろう。
この先輩と仲良くなりたいな。
優しそうな先輩は、カンナの方へ視線を移し、
「あら、カンナちゃん、早いのね。でも、あんまり無理して早く来なくてもいいのよ?」
と、優しい言葉までかけて下さるではないか。
なんだかカンナが羨ましいので、アタシは思わず叫んでしまった。
「なんだよカンナ! アンタいつの間に先輩とそんなに仲良くなってんのよ! ちょっと羨ましいぞ!」
「……私は昨日からパート練習に参加してるのよ。ナツは昨日、先に帰っちゃったじゃない」
「そ、それは…… おばあちゃんとお母さんが学校の前で待ってて、一緒に楽器屋まで連れて行かれたから……」
「ふふふ、私達も昨日、ナッちゃんのおばあさんとお母さんを、ちょっとだけ見かけたわよ。そうですね、 部長」
「……………………とても素敵なご家族ね」
「……たったアタシの家族を褒めるだけなのに、なんでそんなにも悩む必要があるんですか?」
そうは言ったものの、これは仕方のないことかも知れない。
おばあちゃんはアタシがオーボエをもう一度やると言ったことに痛く感動したようで、昨日、校門の前で号泣してたっけ……
お母さんは右の拳を高々と掲げ、これでセンチュリーホールがどうのこうのと叫んでたし……
多分、見られてたんだろうな、あのシーン。恥ずかしい……
「さて、じゃあちょっと、ナッちゃんへの説明をさせてもらうわね。ここのパートリーダーは言うまでもなく部長の
なんだかめちゃくちゃ、いろいろ聞いちゃいそうだ。
必要もないのに聞いちゃいそうだ。
「それから、ウチのパートでは代々、下の名前で呼びあうのが伝統なの。だから私は二人のことを『ナッちゃん』と『カンナちゃん』って呼ぶから、私のことは『
「え? 『優先輩』って言わなくていいんですか?」
思わず口を開いてしまったアタシ。
「そうよ。私も去年までは部長のことを『愛美さん』って呼んでたの。でも、やっぱり役職を持たれた以上、これまで通りだと失礼かなって思って」
「別にこれまで通りでいいって言ったのに…… まったく優は本当に真面目なんだから」
部長が優しく微笑んだ。
なんだかこの二人、とても仲がいいようだ。カンナがこのパートに入れて良かったって言った気持ちが、ちょっとわかったような気がした。
「わかりました。アタシもダブルリードパートの一員としての自覚をもって、先輩のことは全力で『優さん』って呼ばせてもらいます!」
アタシは気合を入れて、アタシの心意気を伝えると、
「ふふふ、別にそんなに堅苦しく考えなくていいのよ」
と、優さんは柔和な笑顔で返してくれるではないか。
「みんな下の名前で呼び合うのって、なんだか一体感があっていいですね」
どうやらカンナも嬉しいみたいだ。
「じゃあ、私は『夏子』と『カンナ』って呼ぶから、これからよろしくね、二人とも」
部長も笑顔でアタシたちにそう告げた。
「「 ハイ! 」」
アタシたちも笑顔で返した。
なんだか本当に良い雰囲気だな。
「それにしても、部長の名前って『マナビ』なんですね。なんだか部長にピッタリですよ」
アタシも積極的に仲良しの輪に加わろうと思い、気を利かせたコメントをした…… はずだったんだけど。
「…………ハイハイ。どうせ私はマジメキャラですよ。世間じゃメガネかけてるだけで、賢く見えるそうですからね」
「ちょっと、ナッちゃん! 部長の名前は『マナビ』じゃなくて『マナミ』よ!」
「いいのよ、優。私のアダ名は小学校の時からずっと『マナビ』だったから。どうせ私にはお勉強がお似合いなのよ。きっとみんなからは、ファゴットを吹きながら頭の中では百マス計算とかしてると思われてるのよ」
いや、そんなこと考えてる人、いないと思うんですけど……
「ち、違うんです、部長! ナツは嫌味を言ってる訳じゃないんです。単にバカなんです。ナツは未だに自分の高校名が言えないんです。ニキタツって言えずにニギダヅって言うんです。濁る音と濁らない音の区別がつかないだけなんです!」
「そ、そうですよ! だいたいバカなアタシに、そんな高尚な皮肉が言える訳ないじゃないですか!」
「噂には聞いてたけど…… ナッちゃんは、その…… 相当おバカなのね」
「……まあ、おバカなら仕方ないか」
「ナツ! バカでよかったね!」
「ありがとう、カンナ! アタシ、バカでよかったよ!」
アタシは心からの喜びを言葉で表現した。しかし——
「……ねえ夏子、ここは『アタシ、バカでよかったよ…… って、なんでだよ! アタシのことバカにするんじゃないわよ!』みたいな感じで、ノリ突っ込みしないの?」
「もう嫌だな部長。アタシ芸人じゃないですから。アタシにそういう計算した笑いを求めても無理ですよ?」
「あーあ、ちょっと期待外れ」
いったいアタシに、どんな期待をしていたのやら……
「ふふふ、部長はこう見えて、大のお笑い好きなの」
ひょっとして、部長は漫才の相方でも募集してたのか?
さて、そんなおバカな会話も一段落して。
部長がアタシに、とりあえずオーボエを吹いてみてと言うので、アタシは家から持って来た楽譜をカバンから取り出した。
ちなみに、肝心のオーボエはというと、昨日のうちに音楽準備室にあった備品の中から一番良いものを借り受けていた。
おばあちゃんとお母さんを満足させるほどの逸品であったことを、ここで付け加えておこう。
なんか最近、買い換えたばっかりなんだって。
もちろんリードは…… 昨日、おばあちゃんとお母さんが、そりゃもう、じっくり、みっちり、ばっちり、長時間かけて選んでくれましたとも……
いかん、気分が沈んできた。ここは気持ちを切り替えて、いっちょ元気に吹いてみましょうか!
リードに口をつけ、演奏を始めてみたところ——
——ああ、なんだか気持ちがいいな。
よく考えてみると、アタシは昔から、別にオーボエが嫌いだった訳じゃないのだ。
おばあちゃんやお母さんからのプレッシャーが恐ろしかっただけなのだ。
おばあちゃんやお母さん以外の人のまでオーボエを吹くのって、実は初めてかも知れない。
——なんだかとても、気持ちがいいや。
あまりにも気持ちがいいので、調子に乗って10分以上吹き続けちゃった。
迷惑だったかな?
さて、自分では上手く吹けたと思うんだけど、みなさんの感想はどうだろうか。
「……ちょっと夏子。アンタなんでそんなに上手いの?」
まず口を開いたのは部長だった。
でも、なんだかちょっと不満そうなんだけど……
「あれ? イマイチでしたか?」
「何を言ってるの? 今の演奏って、久し振りに吹いた人が出せる音じゃないはずよ」
「…………昨日の夜、お母さんとおばあちゃんに、そりゃもう、みっちりとシゴかれたもので」
「……………………とても素敵なご家族ね」
「それはさっき聞きましたよ!」
「それにしても上手すぎよ。ねえ、夏子。確かアンタは小学生の時お母さんからオーボエを教わっていたけど、中学に入ってからはほとんどオーボエに触っていないって言ってなかった?」
「うーん…… 本当のことを言うと、実はウチってお年玉とお小遣いが、評価性だったんですよ」
「「「は?」」」
「毎年、お盆とお正月の前になると、おばあちゃんから10段階ぐらいの難易度に分けられた楽譜の束が送られて来たんです。で、その楽譜を元に、お盆とお正月に、おばあちゃんの前でオーボエを吹くんですけどね、高難易度の楽譜をクリアすればするほど、いっぱいお金がもらえるんです。アタシ、いっぱいお金が欲しいから、お盆とお正月前になると、めちゃくちゃオーボエの練習頑張っちゃって。だから、時々はオーボエの練習もしてたんです」
あれ? なぜだか部長が優さんを見つめてるんだけど。
「え? 私が言うんですか?」
「3回目だからヒネらなきゃダメでしょ」
まるで『当然でしょ』と言わんばかりに返答する部長。
「わかりました…… えっと、とっても素敵なご家族ね…… これででいいんですか?」
優さんの言葉に、部長が満足そうに頷いた。
なんだこれ?
どうやらダブルリードパートでは、お笑いの技術も求められるようだ。
そしてまた、部長がため息混じりに口を開く。
「それにしても、オーボエの演奏技術が相当高いくせに、そんなことはおくびにも出さずに澄ました顏して、サラッと演奏してくれちゃって…… なんだか異世界でスッごい魔法を使ってるくせに、『俺、別に普通のことしかしていないのだが?』とか、トボけたこと言ってる転生したチート持ちの日本人みたいね」
「……すみません部長、今の笑うトコなんですか? アタシ、部長の笑いのツボがイマイチ理解できません」
「気にしなくていいのよ、ナッちゃん。私も理解できないから」
ちょっと困り顔の優さん。
「仕方ない…… じゃあ、これから毎日お笑いの特訓ね!」
部長はやる気に満ちた表情で、声高らかに宣言した。
いったい、なんの特訓をするのやら。
なんとなく隣にいるカンナを見たところ、なぜだか楽しそうに笑っている。
カンナが嬉しそうなので、まあ、これはこれでいいのだろう。 ……よくわからないけど。
でも、最後にひとこと言わせて欲しい。
ここって吹奏楽部で、合ってますよね?
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