〈 閑話 〉 クロエの情念と涼の決意 中編

 クロエは誰もいない場所を探して、会場の外を歩き続けた。

 そして、やっと建物の陰になっている人目につかない場所を見つけた。

 ちょうど日陰になっており、今の熱い頭と体を冷ますにはピッタリの場所だと思った。


 クロエはすずの顔を思い描いた。

 思い出の中の涼は、いつも自信有り気な様子ですまし顔をしている。

 涼とは中学の時も同じ学校の吹奏楽部に所属していた。かれこれ5年の付き合いになる。


「なんで涼のことなんか考えてるんだろう」

 自嘲気味にひとりつぶやくクロエ。

 全国大会へ進めなかった怒りの矛先が、いつの間にか涼に向いている。

 だが、もともとクロエが全国大会というものにこだわりを持つようになったきっかけは涼にあるのだ。




♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 中学3年生の時、全日本アンサンブルコンテストで、涼を含む5人は全国大会に出場し金賞を受賞した。金管5重奏——トランペット担当の涼を中心とした、金管楽器奏者5人のメンバーは栄光をつかんだのだ。


 アンサンブルコンテストに参加できるのは1校1団体までという決まりがある。

 当時から涼の演奏技術は飛び抜けていたため、涼を中心としたメンバーで大会に参加することに異を唱える者は誰もいなかった。

 木管楽器フルートを担当しているクロエには、大会への出場機会さえ与えられなったのだ。


 トロフィーと賞状を掲げて学校に戻って来た涼たちを遠くから眺めていたクロエ。

 その時、クロエの心には小さな炎がともった。羨望と嫉妬、二つの感情が激しくせめぎ合いながら、クロエの心を熱く強く締め上げた。




「そういえば、あの時もこうやって一人で泣いたっけ」

 ひとすじの涙を零しながら、一人つぶやくクロエ。


 涼たちの姿を見た多くの部員は喜びの涙を流していた。だがクロエはみんなの前では泣かなかった。

 部員みんなが帰った後、クロエはこうやって学校の校舎裏で一人泣を流したのだ。

 ただ、その涙の意味を知る者は、クロエ自身の他には誰もいなかった。ただ一人の女生徒を除いて。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎




 コンクール会場の片隅で、クロエはまだ、一人で涙を流している。


「やっぱり。アンタまたこんなところで泣いてたのね」

 建物の陰から、突然愛美まなみの顔が現れた。


 愛美はカンが鋭い少女である。

 他人の表情の変化を見逃さず、その人物の心の動きをすぐに見抜いてしまう。

 そのくせ、自分の感情はほとんど表に出さない。

 さっきだって、本当は全国に行けなくて死ぬほど悔しかっただろうに、静かに涙を流して、ちょっと顔を歪めていただけだった。


 愛美とも中学の吹奏楽部以来の付き合いだ。

 中学3年生の時、校舎の裏でひとり泣いているクロエを見つけたのも愛美だった。


「クロエは相変わらずだね」

 困ったような顔をして、それでも優しく微笑む愛美。


 クロエはまた、中学3年生だったあの時に思いを馳せた。




♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


「…………私、吹奏楽やめる」

 中学校の校舎裏で、一人で泣いているところを愛美まなみに見られたクロエは、ぶっきらぼうにそう言った。

「……何言ってんだか。そんなことだろうと思ってたわ」


 クロエと愛美、そしてすずが在籍していたのは、私立東松山熟田津南高の中等部。私立の学校なので、エスカレーター式で東高高等部への進学が決まっていたのだが……



「嫌なのよ! 涼と一緒じゃあ、私はずっと活躍の機会を与えられないわ!」

「ちょっと…… 少し落ち着きなよ。何も全国大会があるのはアンサンブルコンテストだけじゃないでしょ? やっぱり吹奏楽部の一番大きな大会って言ったら、夏に行われる『吹奏楽コンクール』じゃない」


 全日本吹奏楽コンクールには『中学校の部』もある。しかし、東高中等部の吹奏楽部は部員数が少なかったため、大人数編成がメインの全日本吹奏楽コンクールは、彼女たちにとってあまり身近な大会という感じがしなかった。


「東高の高等部は吹奏楽部員の人数も多いから、きっと『吹奏楽コンクール』を目標にした活動になると思うよ」


「でも、涼と一緒じゃあ……」

「コンクールのA部門は55人で演奏するんだよ? どっちか一人しか出られないってわけじゃないんだから。それでも絶対、涼に負けたくないって思うんなら、同じ高校の吹奏楽部の中で競い合えばいいじゃない。高校に入っていっぱい練習して、涼を見返してやれば?」


「……簡単に言うわね」

「私はね、高校では絶対、全国大会に行きたいの。私だって、今、悔しいんだよ?」

 愛美の担当楽器は木管楽器のファゴット。クロエ同様、愛美も今回の栄光から遠い場所にいた。


「だからね、フルートが上手いクロエがいないと困るのよ。クロエ、一緒に全国に行こうよ」


 愛美が言っていることの、どこまでが本音なのかクロエにはわからなかった。でも、自分の演奏技術を認めてもらい、救われた気持ちになったことは事実だ。


 

 この時、クロエは思った。

 はっきり言って、これからも、すずとは仲良くなれる気がしない。

 でも、今の自分の気持ちに共感してくれる愛美まなみそばにいてくれるのなら、きっとこれからも吹奏楽の練習を頑張って行けるだろう。

 もう、すずを気にするのはやめよう。全国大会出場より、もっと大切なものがあるはずだ。

 クロエはそんなことを、頭の中でボンヤリと考えた。


 しかし次の瞬間、クロエ本人でさえ驚くような言葉が、彼女の口から噴き出した。


「愛美、約束よ! 忘れたなんて言ったら許さないから! 高校に入ったら、絶対一緒に全国に行くんだからね! それから絶対、すずになんて負けないんだから、見てなさいよ!」


 言葉を発した後、クロエは戸惑った。


 クロエの中にあるドロドロとして形の定まらぬ熱情は、きっとこれからも冷めやることはないのだろう。



「まったく、クロエは可愛い顔して激しい性格してるんだから。絶対、忘れないから安心して。そう言えば、顧問の先生はクロエのことを『激情家』って言ってたわね。なんだか納得したわ」


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る